特集 “School Compass”を創る〜未来志向の学校経営〜 theme6 未来を見据えた学び方改革

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2021.08.12

特集 “School Compass”を創る〜未来志向の学校経営〜 theme6
未来を見据えた学び方改革

京都大学大学院准教授
石井英真

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.1 2021年4月

「未来形の学び」をめぐって

 グローバル社会、知識基盤社会、Society5.0などの言葉で社会や学校の変化の必要性が叫ばれ続けている。知識は検索すれば容易に手に入るし、それは個別最適化されたAIドリルを使えば、個々人のペースで効率的に学ぶことができる。知識の習得は効率化して、その分、考える力やコミュニケーション能力や粘り強さなどの様々なスキルを育てる探究的な学びに時間を割くべきで、ブレンディッド学習やAIドリルで効率化した教科の学習は午前中だけにして、午後は各人が、学校外の場やネットワークとつながったりしながら、自由に体験や探究を進めればよい。そうして学校をスマート化すれば、教師の働き方改革にもつながるし、ICTをフル活用したデジタル化された学びにシフトすることで、学校という集団や空間や時間に縛られるわずらわしさもなくなる。さらに、デジタル化すればするほどデータも蓄積され、それが子供たち一人一人のニーズに応じた学習プログラムや時間割やカリキュラムを提案してくれる。企業はすでに創造的なアイデア勝負になっているし、個々人のニーズに応じるサービスが重視されているし、ジョブ型雇用やテレワークへの移行も進んでいるから、それに合わせて、知識習得の重み、一斉授業という形態、登校を前提とした教育など、学校の当たり前も問い直さないと、学校だけが「未来」に乗り遅れてしまう。

 あたかも、こうした「未来形の学び」が新しい「正解」であるかのように語られる中、従来の日本の学校は一斉一律で教師中心の受け身の授業だと総括され、「個別最適な学び」がキーワードとして浮上し、「学びの責任」は子供たちが負う、「自走する」といった言い回しもしばしば耳にするようになった。他方で、一人一人が自由に学ぶことが、孤立化や格差や分断の拡大に陥ることも危惧され、協働的な学びや学校におけるつながりとのバランスが問われている。また、子供にゆだねることが自由放任や自己責任に陥ることも危惧され、子供たちを自立へと支援する教師の仕事の意味が問われている。この小論では、「個別最適な学び」を切り口に、真に子供たち一人一人の多様性を尊重し、行為主体(エージェンシー)として自立させていく教師の仕事について述べる。

「個別最適な学び」の先にいかなる学びを構想するか

 「個別最適な学び」が注目を集めているが、その言葉の意味は自明ではない。「個別」という言葉は、一人一人の個別のニーズに応じる志向性を表現し、「最適」という言葉は、本人が望んでいるものと効率的に出会えるようにする志向性を表現している。そうした「個別最適」という発想は、生活のあらゆる場面で際限なく蓄積されたデータを統計的に処理することで可能になるレコメンド機能やマッチング機能によって具体化しうるものである。ネット通販サービスのように、自動的に学習を導いてくれると考え、AIドリルが注目されることには一定の合理性がある。

 一方で、「個別最適な学び」という言葉には、AIドリルに矮小化されない広がりが期待されている。もともと「個別最適化された学び」と言われていたものが、「個別最適な学び」と言い換えられたのは、AIの活用によって、受け身の学びに陥るのではなく、子供たち自身が主体的に学びたいものを学び続けていくという意味を持たせるためである。ここに至って、「個別最適な学び」という言葉は、一斉一律の教育を脱すること、個性尊重、自ら学び続ける力の育成といった形でその輪郭はあいまいになっている。それは、1990年代に、個性尊重を掲げ、知識・技能よりも関心・意欲・態度や自己教育力の育成を強調した「新しい学力観」を思い起こさせる。

 では、AIドリルに矮小化させず、一方で、個性尊重の「新しい学力観」の焼き直しでもない形で、「個別最適な学び」に込められたメッセージをどう未来の学校や学びの姿へとつなげていけばよいのか。まず、「個別」という言葉が示す、一人一人に応じた教育については、個別化と個性化の二つのあり方を区別することが重要である。「個別化」の発想は、個人差を学び進む速さや量の違い(タテの垂直軸)で捉え、検定試験のように、より高度なスキルへと先に先に進めていくことに傾斜しがちである。他方、「個性化」の発想は、かけがえのないその子らしさ、個々の持ち味といった質的差異(ヨコの水平軸)を大切にする。それゆえ、自由に進めるだけが個を生かすのではなく、他の子供に教えたり、学んだことを文脈化したりするなどして、立ち止まって深めていくことを通してこそ、他者との関係の中で個が生きると考えることができる。一元的な価値観の下で差異化が序列化につながりがちで、有利さを競って学校内外において先取り学習が行われている状況においては、個別化以上に、一人一人の水平的多様性を尊重する個性化を重視すべきであろう。

 また、「最適」という言葉については、「快適な教育」や「快適な学び」という方向性でのみ捉えられていないか注意が必要である。特に、ICT活用やデジタル化は、便利さやスマートさを実現する方向で実装されやすい。教師や他の大人が手をかけなくても自分で、自分たちだけで学びを進めているように見えて、大人たちが設定した一定の枠内で、あるいは、自分の世界観の枠内に閉じた形での主体性になっているかもしれない。それは、学びの責任という名の大人にとって都合の良い従順な主体性であり、学び手自身にとっても、自分の嗜好や信念に閉じていく自己強化であり、既存の選択肢から選ぶ、あるいは選ばされる学びとなっているかもしれない。これに対して、学びの責任以上に、世界や社会への責任を大人たちとともに担っているという感覚、時に自らの価値観がゆさぶられる痛みや不快さを感じながらも、自分の視野の外の異質な物事や他者と出会い対話すること、既存の選択肢から選ぶことに止まらず、新しい可能性や選択肢を見出したりしながら、自己決定していくこと、そうした、「主体的な学び」に解消されない、自分たちが生きる世界や共同体をも他者とともに創り変えていくエージェンシーとしての「自治的な学び」が重要である。

 日常生活との連続線上に学校があるなら学校はいらないし、いまの社会に適応する実用的な学びのみでは、即戦力やただ生き延びる力にはなっても、伸び代のある真に実践的な力や、変化する社会をしたたかに生き抜きながら、人間らしく自分らしく豊かに生きていく力、社会を創り変えていく可能性にはつながらない。実用や便利さや効率性の外部にある、手間や回り道の意味に注目してこそ、社会に踊らされない、人間としての軸が形成される。足元の具体的経験や生活から学び、そこで自分の視野の狭さに気づく経験、子供だましでない噓くさくないホンモノの面白さを経験しながら、時に先達の追求の厚みに圧倒され、自らの非力を感じながら、力をつけていく経験、こうした「真正の学び(authentic learning)」が重要である。

一人一人の多様性を尊重しながら、教育から離脱させていく教師の仕事

 子供たち一人一人の多様性を尊重し、エージェンシーとして自立させていく教師の仕事はどのように考えればよいのであろうか。まず、「一人一人に応じた教育」については、個別化の発想で、一対一の手厚い個人指導を理想化することは危うい。少人数学級でクラスの子供の数が少し減るからといって、教師の目を常に行き届かせる、教師が救うという発想で考えるのではなく、教室空間にできた余裕を生かして、個人、ペア、グループなどの様々な形態を許容しつつ、フレックスな時間と空間において子供たち同士の学び合いを組織することが重要である。

 日本の教室は「一斉授業」のように見えて、実態は、鵜飼(鵜匠が複数の鵜たちに個別に紐をつけて操っている)のように、教師と学習者の一対一の関係の束と見ることができる。さらに、学校外での宿題は、ドリルやワークブックと学習者が個別に対峙しパッケージ化された知識・技能に習熟していく個人作業である。日本の学校は、共同体の文化としては同調主義的であるが、学習の文化はむしろ個別主義的であったりする。少人数指導とICT活用を、教師による一対一の手厚い個人指導の実現という発想で受け止めてしまうと、個人端末で子供たちの回答が確認しやすくなるので、一対一の机間指導を効率化し、「鵜飼の構造」を強化することになるかもしれないし、逆に、宿題でやっていた個別作業が授業に入り込み、機械的ドリル学習の効率化により、学びを孤立化させてしまうかもしれない。

 鵜飼の構造、さらに言えば、その背後にある個別主義的学習観を解きほぐして学び合いを促し、教室の関係に横糸を通すこと、練り上げ型授業や協働的プロジェクトや個人作業の協同化を活性化させる方向でICTを活用していくことが肝要である。人間の学びは本質的に社会的であり、つながりの中で学びは深まっていく。個別か協働かという二項対立ではなく、問うべきはつながりや関係性の質である。確かに現在の日本の学校や学級集団は、日本社会の同調主義を凝縮する形で、個が埋没しがちで生きづらい場になっているかもしれない。1人1台端末は、そうした集団のしがらみから個々人を切り出していくきっかけとなりうる。そこで、孤立化や教師との一対一関係を強化するのではなく、リアルにあるいはバーチャルに隣にいる人たちと自然な学び合いや対話が生まれるよう促していくのである。

 体育や美術などの技能教科で、あるいは、総合学習や特別活動や部活動で、みんなでゲーム(試合や大きな学習課題:真正の学び)に取り組みながらも、必要に応じて全体練習から離れて、自主トレ的に各自で、あるいは、自主ゼミ的にペアやグループで学び合いながら、自分のペースとレベルに合わせてドリル(個別の技能の練習)に取り組んで、最後に再び集ってみんなでゲームに臨むという形は自然だろう。少し長い期間をかけて取り組む、試行錯誤の余地のある大きな課題を軸にしたプロジェクトのような形で、単元レベルで大きな目標を共有することで、個性的で自由度の高い学びと自主ゼミ的な自然な協働が生まれうる。教師の役割は、そうした学習課題や単元展開や学習環境をデザインする間接的な指導性と、自主トレ場面では子供たちの学びを見守りゆるやかに伴走し、全体の場面では、子供たちの視野の外を指さし、気づきや思考を深めていく直接的な指導性とによって構成される。

 最後に、教育から離脱し、学校を超えて学び続けていく子供を育てる教師の仕事について述べてみたい。授業という営みは、教師と子供、子供と子供の一般的なコミュニケーションではなく、教材を介した教師と子供たちとのコミュニケーションである。学習者中心か教師中心か、教師が教えるか教えることを控えて学習者に任せるかといった二項対立の議論は、この授業という営みの本質的特徴を見落としていると言わざるをえない。そして、授業という営みの本質的特徴をふまえるなら、子供たちがまなざしを共有しつつ教材と深く対話し、教科の世界に没入していく学び(その瞬間自ずと教師は子供たちの視野や意識から消えたような状況になっている)が実現できているかを第一に吟味すべきである。

 教師主導は教師を忖度する授業に、学習者主体は教材に向き合わない授業になりがちである。そして、教える者の責任か学ぶ者の責任かという議論では、結局子供たちは教師や学校を学び超えていけず、学校的な学習から離脱できない。教師主導でも学習者主体でも、子供を引き込み、成長を保障する授業は、教師と子供、子供同士がともに教材に挑み学び合う関係性になっている。そこにおいて、子供たちは教師と学びの責任を分かち持っている。

 教師の仕事は、その教科のうまみを得られる材を、できるだけ本物のナマのそれを考え抜き(教材研究)、材と子供たちとのいい出会いを組織し(導入)、子供とともに横並びでその材と対話し、時にはナナメの関係に立ちながら、うまみを感じられる入り口をさりげなく指さし続けることである(発問とゆさぶりによる展開の組織化)。さらに、「まだやめたくない」「じゃあ○○はどうなっているのかな」「これって授業で習ったことと関係あるんじゃないか」といった具合に、授業の先に、授業外、学校外の生活で引っかかりを覚え、立ち止まり、学びや追究を始めるような、生活場面や生きることを豊かにしていくような、そんな子供たちの姿を願い目指し続けることであろう(学ぶことへの導入としての授業)。

 大人になっても学び続けているように見える人たちは、自分で課題を設定して学ぶ力があるから学び続けているというわけでは必ずしもなく、自分の向き合っている仕事や世界が絶えず投げかけてくる課題に応答し続け、その挑戦とそこでの出会いと自らの変容を楽しみ続けている人なのではなかろうか。そうした対象と人生において出会えるかどうか、あるいは、何かについて学びこむ経験から、物事を知ることや深めることや考え抜くことや一皮むけることの楽しさ(学ぶことの快楽)を味わったことがあるかどうかが重要である。

 教師と子供の二項関係でなく、教材の先に広がる社会や世界とともに向き合う三項関係を意識することが教師の仕事の出発点でありゴールでもある。「未来を見据えた学び」は、それらしい「未来形の学び」のパッケージに乗せていくことでも、未来社会の姿を探りそれを創る責任を子供に丸投げすることでもない。教師を含めた大人たち自身が、未来社会を探り創ろうとする営みの、正解のないもやもや感を引き受け、「未来」について、子供たちとともに考え、成長していこうとする姿勢が重要なのである。


Profile
石井 英真 いしい・てるまさ
 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。日本学術振興会特別研究員(PD)、京都大学大学院教育学研究科助教、神戸松蔭女子学院大学専任講師を経て、2012年4月より現職。博士(教育学)。専門は教育方法学(学力論)。学校で育成すべき資質・能力の中身とその形成の方法論について理論的・実践的に研究している。主な著書として、『未来の学校─ポストコロナの公教育のリデザイン』(日本標準)、『授業づくりの深め方』(ミネルヴァ書房)など。

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