未来を拓く新しい学び 2030年を見据えた“学びの羅針盤(ラーニング・コンパス)”
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2021.08.02
目次
未来を拓く新しい学び 2030年を見据えた“学びの羅針盤(ラーニング・コンパス)”
東京大学教授・慶應義塾大学教授
鈴木 寛
(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.1 2021年4月)
OECD教育2030と学びの羅針盤(ラーニング・コンパス)
2015年からOECDは「Future of Education and Skills2030プロジェクト(通称:OECD教育2030)」を進めてきた。筆者は、文部科学大臣補佐官時代から、このプロジェクトの発足に参画し、現在も理事を務めている。2015年から2018年のフェーズ1では、30を超える国から教育関係者が集まり対話を重ね、「2030年に望まれる社会のビジョン」と、「そのビジョンを実現する主体として求められる生徒像とコンピテンシー(資質・能力)」を議論し、2019年5月には、コンセプトノートにまとめ、そのなかで「学びの羅針盤」も発表した。2019年から2022年までのフェーズ2では、コンピテンシーの育成やカリキュラムが現場において効果的に実施されるため、カリキュラム改定と連動して改定される教授法・評価法や教員養成・教員研修などについて国際的な議論を深めている。
現代の生徒が成長して、世界を切り拓いていくためには、どのような知識、スキル、態度・価値が必要か。これらの問いに対するひとつの答えとして、ラーニング・コンパス(学びの羅針盤)が考案された。このラーニング・コンパスは、個人や社会のウェルビーイングの実現を目指し、私たちの望む未来(Future we want)に向けた方向性、複雑で不確かな世界を歩んでいく力を示している。ラーニング・コンパスという比喩は、生徒が教師の決まりきった指導や指示をそのまま受け入れるのではなく、未知なる環境の中を自力で歩みを進め、責任をもって進むべき方向を自分で見出すことの大切さを強調するために採用された。
ラーニング・コンパスでは、学びの中核的な基盤として、読み書き能力やニューメラシー(数学活用能力・数学的リテラシー)に加えて、データ・リテラシーやデジタル・リテラシー、心身の健康管理、それから社会情動的スキルが必要となるとした。そのうえで、単に知識やスキルの習得にとどまらず、不確実な状況における複雑な状況に対応するための知識、スキル、態度・価値の活用を含む概念としてコンピテンシーをとらえ、より良い未来の創造に向けた変革を起こすため、①新たな価値を創造する力、②責任ある行動をとる力、③対立やジレンマに対処する力の三つを重視している。また、学習プロセスとして、学習者が状況に適応し、振り返り、必要な行動を起こし、継続して自分の考えを改善していく力、つまりは、見通し(Anticipation)、行動(Action)、振り返り(Reflection)のAARサイクルの獲得を提唱している。
エージェンシー(Agency)
ラーニング・コンパスの中心概念の一つが「生徒のエージェンシー」である。エージェンシーを「変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力」として定義づけている。エージェンシーは方向付けとなる目的を設定し、目標を達成するために必要な行動を見出す能力を必要とする。つまり働きかけられるというよりも自らが働きかけることであり、型にはめ込まれるというよりも自ら型を作ることであり、また他人の判断や選択に左右されるというよりも責任を持って判断や選択を行うということである。
エージェンシーは、道徳、社会、経済、創造などあらゆる文脈において発揮される。エージェンシーを育むとき、生徒はモチベーション、希望、自己効力感、そして成長をめざす態度を支えとして、ウェルビーイングの方向へと指針を合わせ、生徒は目的意識を持って行動するとしている。
学習は、指導や評価だけではなく共に構築する営みであり、教師と生徒が教えと学びの過程を協働して創っていくときに「共同エージェンシー」が立ち現れる。共同エージェンシーによって、共有された目標に向かって生徒が邁進できるように、生徒、教師、保護者、コミュニティが互いに手を取り合うことの大切さが強調されている。
OECD教育2030と新学習指導要領・大学入試改革
我が国はOECD2030の立ち上げ当初から深く関与してきた。そもそも、OECD教育2030は、福島大学の三浦浩喜教授(現学長)が率いてきたOECD東北スクールを源流としている。また、東京大学教育学部長の秋田喜代美教授もOECDのアカデミア・グループの中核的存在としてラーニング・コンパスなどの策定に貢献してきた。また、下村博文文部科学大臣時代には、筆者とOECDアンドレアス・シュライヒャー局長との間でOECDと文部科学省で政策対話が行われ、その議論が中央教育審議会の教育課程企画特別部会でも共有され2020年から22年にかけて始まっている日本の新学習指導要領の作成に生かされた。そうした経緯から新学習指導要領とラーニング・コンパスは、基本的考え方を共有し、連動して作られてきた。
例えば、VUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)の時代を見据えて、新学習指導要領でも、「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」を中核的な概念に据えているが、これはまさに「エージェンシー」と連動している。
アクティブ・ラーニングの鍵は、実際のプロジェクトに基づく学び(PBL)の導入である。そこで、2022年4月より、高校に新科目が導入され、国立大学の入試において総合型の入学定員が3割まで引き上げられる。「総合探究」「理数探究」で行われる探究学習は新たな価値創造を目指すものであるし、プロジェクトを始めれば責任感をもってそれをやり遂げなければならない。そして、プロジェクトを行えば、必ず板挟みに直面する。「公共」では、対立やジレンマなどの板挟みに直面したときに、まず、何と何が対立しているのか、それはどんな価値と価値との対立であるのかを分析する公共哲学的枠組みを理解し、使いこなせるようになることを目指している。「歴史総合」は、近現代史に絞って日本と世界の歴史、とりわけ対立と紛争の歴史を学び、単に歴史的知識だけではなく歴史的思考法を学ぶことを目的としている。これによって、過去、先人、先哲たちが、どんな対立やジレンマに直面してそれをいかに乗り越えてきたのかを理解し、そこから、自分たちが直面している板挟みを乗り越えるための知恵と勇気をもらうことも目的としている。同じく、「地理総合」は、世界の様々な地域において、様々な板挟みと向き合って頑張っている同世代の人々のことを知ることによって、ここから知恵と勇気をもらうことも目指している。
探究やPBLを誰が教えるのか?
上述のように、2022年4月から高等学校で「総合探究」と「理数探究」の探究学習が導入される。そのことを歓迎する声も多い一方で、果たして探究を指導できる教員がいるのかとの戸惑いの声も聞こえる。理数探究については、SSHの実績も蓄積されているし、これまでも理科実験や実習を重視してきた教師も少なくなく、あまり問題はないかと思われる。しかし、総合探究については、まだまだ指導できる高校教員の数が限られていることは確かだ。
こうした課題に対応すべく、筆者は三浦浩喜先生、秋田喜代美先生とともに、OECDイノベーション教育ネットワークを立ち上げ、グローバル・プロジェクト・ベースド・ラーニングの実践を支援してきた。福島県立ふたば未来学園や福井県立若狭高校など全国各地の高校教員とそれを支える大学の研究者たちをネットワークし、2回にわたる国際的な大会も開催し、国を越えてノウハウを共有してきている。
また、筆者が実行委員長を務める「高校生マイプロジェクトアワード」には、2021年でなんと1.3万人の高校生から4905のプロジェクトへのエントリーがあった。8年前は18人、12プロジェクトだったから、まさに、指数関数的に伸びている。ここにも多数の実践例とノウハウが蓄積されつつある。特に、多くの農業高校や水産高校では探究の指導がかなり充実しつつあることが実感できるし、一方で、学校教員の指導がなくても、地域や大学生やNPOの指導によって、レベルの高い探究が可能であることもわかってきた。
PBL導入においては、地域の第一次産業、第二次産業、第三次産業の協力や、地方自治体も様々な部署、そして、地域住民の協力が得られると探究学習の質は劇的に高くなる。今では、都会より地方のほうが探究学習には向いているといわれ始めている。ただ一方で地方においては、自ら総合型選抜を経験してきた学生たちを指導者、伴走者として確保することが難しかった。しかし新型コロナ以後、オンラインでの指導が急速に可能になっており、都会や県庁所在地に住む大学生が地方の探究学習の指導体制を構築しつつある地域も出現しつつある。その代表例が、萩市である。萩市では萩市役所が主導して、萩探究部という課外活動が立ち上がり、そこに参加する高校生への指導を鈴木寛研究室の学生がオンラインとオフラインのハイブリッドで行い、半年間の指導で劇的な成果を上げている。
指導者が十分にいないことを逆手にとることもできる。探究はそもそも教えられるものではなく、主体性を発揮して、生徒自身が進めていくものだからだ。絶対の指導者がいないからこそ、生徒が自ら考え、切り拓くことができ、探究教育を通じてエージェンシーが育まれる。指導者がいたとしても、その人は生徒に探究を教えるのではなく、一緒に伴走し、ともに悩み、考え、提案し合う。探究活動を生徒と協働して作っていくのだ。生徒の切り口、感性が鋭いことも多くある。そこを率直に評価してあげれば、生徒の自己肯定感も向上する。
ティーチング・コンパスの策定、自ら探究する教師像
2030年に向け新たな学びを実現するには、やはり教員のマインドセット、スキルセットを大幅に変革していくことが極めて重要であり、OECD教育2030も、現在、ティーチング・コンパスの策定に着手した。
これから、教員の役割も大いにかわる。いい教案をつくり、いいレクチャーを提供する人ではなく、その生徒ごとの個別の特性、状況、興味・関心を的確に把握し、その生徒の意欲やエージェンシーを最大限引き出すための公正で個別最適な学びをデザインし、個別生徒と向き合い、その疑問や質問に的確に応え、さらに動機づけ、日常の生活、キャリア、進路についての個別対話を重ね、仲間との熟議や協働を創発し、成功体験を積み重ねていくことをオーガナイズすることなどに重点が移行していく。
こうした教員の役割の再定義のプロセスのなかにあって、教師自身も、まずはエージェンシーを獲得することが重要で、教師自身が自分自身をメタ認知し、自らのエージェンシーを育む絶好の機会として探究をとらえ直すことが必要だろう。
未知であることは全く恥ずべきことではない。未知を未知のまま放置しておくことを恥じるべきで、未知なるものを探究し、少しずつ知を発見していくプロセスに挑むことは尊いことである。未知と遭遇した当初は戸惑いや不安があるかもしれないが、それを乗り越え、その正体を探究することは好奇心をくすぐられるとても楽しいことだと生徒たちに感じてもらうようにすることが教師の役割だ。そのためには、教師自らが探究の先達となることが大切だ。学び方を学んでいるという点において教師に一日の長があるはずで、自ら探究する教師の背中を生徒たちに見せていけばいい。
そこではまた、校長や管理職、何よりも保護者、メディアの理解と支援が不可欠だ。相手の不完全さを粗さがしをして、ただ非難するのではなく、正解がない挑戦を前に、個々では不完全な個人が、それぞれの情熱と得意技をもちより熟議し、勇気を発揮して、試行錯誤し、AARすることを応援しなければいけない。皆がコ・エージェンシーを発揮して、自発的で協働的な学びのコミュニティを作れるか、大人たちの学び直しこそが今なによりも大切だ。
[参考文献]
●白井俊著『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来』ミネルヴァ書房、2020年
Profile
鈴木 寛 すずき・かん
1964年生まれ。東京大学法学部卒業後、86年通商産業省に入省。慶應義塾大学SFC助教授を経て2001年参議院議員初当選。12年間の議員在任中、文部科学副大臣を2期務める。東京オリンピック・パラリンピック招致議連幹事長、日本ユネスコ委員などを歴任。12年一般社団法人社会創発塾を設立。社会起業家の育成に努めながら14年2月より慶應義塾大学・東京大学教授に同時就任。同年10月より文部科学省参与、15年2月より18年10月まで文部科学大臣補佐官を4期務める。日本でいち早く、アクティブ・ラーニングの導入を推進。2020年度からの新学習指導要領の改訂、40年ぶりの大学入学制度改革に尽力。OECD教育スキル局Education2030ビューローメンバー、Teach for ALLグローバルボードメンバー、日本サッカー協会理事など多くの役職を務めている。