「こころ」を詠む

髙柳 克弘

「こころ」を詠む 聖家族

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2020.11.30

「こころ」を詠む

『新教育ライブラリ Premier』Vol.3 2020年10月

聖家族
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克弘

人の無き空の碧さや鳥帰る

 四月の自粛期間、いつもは賑わう銀座和光の時計台前から、人がほとんど消えてしまった情景を詠んだ句。「鳥帰る」は、冬を日本で過ごした鳥たちが北方へ帰っていくことを表す、春の季語です。雁や鴨と一緒に、人も去ってしまったような寂しさを伝えています。

 この俳句、実は人間が作ったものではありません。作者は、スーパーコンピューター「AI一茶くん」。インプットされた過去の膨大な俳句作品をもとに、こういう達者な句を作ってしまうのです(正確にはこれまでに作った膨大な句の中から題材に適合する句をピックアップするとのこと)。AIの最先端を紹介するテレビの企画に、俳句の専門家として呼ばれ、「AI一茶くん」の生みの親である北海道大学の川村秀憲先生と相談しながら、より良い作品を選んでいった中で見つけたのが、この「鳥帰る」の句でした。そう、いま「選ぶ」といいましたが、一秒間に四百句の俳句が作れるというこの「AI一茶くん」は、どれがすぐれた句かの選別については、いまひとつなのです。そこで、私の出番。はじめが示したのは、「見えてゐる都会の空の寒さかな」という句。「都会」と「寒さ」との連想関係が近いので、常識的で面白くありません。そこで「もっと対比の効いたものを」と指示したところ、冒頭にあげた「人の無き」や「宙吊りの東京の空春の暮」といった、言葉遣いに意外性のある句が出てきたのです。「宙吊り」と「東京」とは、ふつう結びつかないですよね。収録で、「宙吊りの」の句について私が「春の暮は人類の黄昏も感じさせる」と評したところ、所ジョージさんが「読み取る人間の力が大事だね」という発言をしていたのは、俳句の本質を突いていました。つまるところ、作品にこめた思いは、句を読む人が決めていくのです。作品を作ることはできても、そこにこめた思いを受け止め、味わうことは、やはり人にしかできないでしょう。


小林一茶と曼殊沙華

 ところで、この企画が進んでいる期間、実は胸中穏やかならぬものを抱えていました。七月の上旬、東京都の新型コロナウイルス感染者が増えていた時、妻がもはや東京にいるのは危険と言い出し、子供を連れて、感染者のほとんど出ていない地方の実家に帰ってしまったのです。妻子のいない一人の日々が続き、しかもいつ戻ってこられるかわからないということで、心細さと孤独感に呑まれていきます。子供はまだ幼く、離れている間にお父さんのことを忘れてしまわないか……などとつい悪い方へ考えが走り出してしまいます。YouTubeで、どこかの家族がアップロードした、仕事帰りのお父さんをはしゃいで出迎える子供の動画を繰り返し見ては、布団の中で涙に暮れる日々。あまり感情の起伏のない方だと思っていたのですが、それは思い込んでいただけで、ずいぶん情動的な人間であることを思い知らされました。感情を持たない「AI一茶くん」はこういう心細さや孤独感に苛まれることなく、今日も孜々として俳句を生み出し続けているんだなあと思うと、うらやましくもなります。私はこの間、俳句どころではなくて一句も詠めませんでした。

 「AI一茶くん」の名前の由来となった小林一茶という俳人が偉大なのは、彼もまた情動的な人間でありながらも、その昂る思いを俳句に昇華させたというところです。江戸で俳諧師として身を立てようと奮闘するも、相手にされない悔しさ。夢破れて郷里に戻った己への忸怩たる思い。病気の父を手厚く介護する優しさ。父の死後、その財産を奪おうとする継母と義理の弟へ向ける激しい怒り。その折々の感情が、一茶の創作のエネルギーでもあったのです。歳を取ってからようやくできた我が子への愛情の深さも、並々ならぬものがありました。「さと」と名付けられた一茶待望の女の子は、すくすくと育ちますが、二歳の時に天然痘にかかり、哀れにも命を落としてしまいます。一茶の慟哭は、亡くなって三五日の墓参で詠んだ次の一句に集約されています。

  秋風やむしりたがりし赤い花   一茶

 秋に咲く「赤い花」ですから、これは彼岸花(俳句では曼殊沙華ということが多いです)でしょう。子供らしいいたずら心で花をおもちゃにしてしまう、そのしぐさがかわいらしくて、忘れられないのです。秋風に吹かれる曼殊沙華をむしる子は、もういません。我が家の子供はピンピンしていますので、この句になぞらえるのはいささか縁起が悪いのですが、おもちゃ箱の端にクタリと引っかかっているアンパンマンの人形を見ていると、なんとなくこの句が思い浮かんでくるのです。

 いま、この原稿を書いている時点で、まだ妻子は帰ってきていません。人と人との関係をも蝕む新型コロナウイルスの恐ろしさを、痛感しているところです。はたして、真っ赤な曼殊沙華が咲くまでに、二人は帰ってきてくれるだろうか……。そんなことを思いながら、息子と一緒に世話をしていた水鉢のメダカに、餌をやる毎日です。

 

 

Profile
髙柳 克弘
俳人・読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者
1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。2016年、第二句集『寒林』(ふらんす堂)刊行。2017年度Eテレ「NHK俳句」選者。2018年、浜松市教育文化奨励賞「浜松市ゆかりの芸術家」を受賞。現在、「鷹」編集長。読売新聞朝刊「KODOMO 俳句」選者。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)選者。早稲田大学講師。

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俳人・早稲田大学講師

1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者。

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