校長室のカリキュラム・マネジメント

末松裕基

校長室のカリキュラム・マネジメント[第2回] 校長のビジョンが現代ではなぜ重要か

学校マネジメント

2020.07.13

校長室のカリキュラム・マネジメント[第2回]
校長のビジョンが現代ではなぜ重要か

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.2 2018年6月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 2017年の学習指導要領の改訂に際して、校長のビジョンやリーダーシップの重要性が再三強調されました(たとえば、2016年12月21日中央教育審議会答申を参照)。

 本連載第1回でも述べたように、そのような指摘を確認するだけでは十分でありません。なぜ、現代では組織運営においてビジョンやリーダーシップが重要視されるのでしょうか。

 皆さんは、ご自身のことを「管理職」と呼んでいるでしょうか。わたしは学校を訪問して「この学校の課題は何ですか」という質問に「管理職としては○○と考えます」と答える校長さんは少し意識が低いと感じます。「管理職のビジョン」「管理職のリーダーシップ」という表現も耳にしますが違和感を覚えてしまいます。普段何気なく使っている言葉に注意を払っていくことが、わたしたちがよりよく考え、生きるためには大切になってきます(学校経営について言葉にどう向きあっていくか、またなぜそのようなことを真剣に考える必要があるかについては、別の回で改めて丁寧に論じようと思います)。

なぜ現代ではビジョンが重要か

 ある言葉や考えが重視されるようになるのには何らかの理由があるため、その背景や経緯を十分に理解する必要があります。そのような理解を抜きに言葉を用い行動をすると、先ほどのようにちぐはぐで空回りした状況に陥ってしまいます。言葉を社会的な文脈に位置付けることがここでは求められます。

 以前の安定的な時代であれば、学校に関わる人は学校の進むべき方向について共通認識を持っていました(または学校が担うべきことや教師への信頼は揺るぎなく、そもそも問われることすらない時代が長く続いてきました)。現代では学校や教師がバッシングされることが多くなりましたが、果たしてこれは先生方の能力が低下したり、学校の努力が本当に足りないのでしょうか。わたしの知る限りでは、そうでない場合が多いようです。では、何が起きたかというと、学校を取り巻く社会環境が変化したと言えます。そのため、社会の変化にともなって、人々の認識や物事を考えるための前提や方法、抱える問題が少なからず影響を受けてきたと言えます。

いかだ乗りから水夫へ

 現代という時代がどのように変化してきたかということについて、社会理論家のジグムント・バウマンが、おもしろい指摘をしています。「いかだ乗りは川を下るとき、川の流れに乗って進むのでコンパスを必要としない。それに対し、広い海を航海する水夫はコンパスなしというわけにはいかない。いかだ乗りは、川の流れに身を任せつつ、時折、艪や竿を使っていかだが岩にぶつかったり急流にはまったりしないように、あるいは砂州や岩場に乗り上げたりしないように、いかだをうまく漂流させる。しかし、水夫がもし船の行く手を、気まぐれな風や移ろいゆく流れに任せたら、とんでもないことになる。水夫は船の動きの主導権を握る必要がある。行く先を決めなければならないし、そこへたどり着くには、いつどちらへ向かえばよいかを示してくれるコンパスがなくてはならない」(長谷川啓介訳『リキッド・ライフ―現代における生の諸相』大月書店、2008年、40頁)。

 高度経済成長くらいまでであれば、われわれは、良い大学に行けば良い仕事に就ける、良い仕事に就けば幸せな家庭が築けると「こうすればこうなる」という社会で誰もが共有できる価値観や信念を「大きな物語」として抱くことができました。それに対して、現代ではそのような状況はなくなり、皆自らの手の届く範囲で各々の幸せを得ようとし、その日その日が楽しければ良いと思うことが多くなりました。時間さえあれば、スマートフォンをいじって、今日のニュースや小ネタを消費し、インスタグラムやツイッターなど「小さな物語」が社会に溢れ人々の心をつかんでいます。

 多様性や個別性が重視される社会では、互いに「どうせ」と現実に立ちすくみ、映画を観るという単純な行為ですら、失敗を恐れ、予め星の数や評判をネットで確認し行動したりします。少し厳しい表現ですが、損得ばかりを考えた打算的で実利主義的な大人が増えたとわたしも感じています。

 日常生活の単純なことですらこういう状況にあるわけですから、子どもを育てたり、組織で人と関わり、大人を仕事の上で育てたりという行為は面倒なことから、さらに切り詰められ単純化していくことが容易に想像できます。

 本屋に行くと『○○の法則』『○○する方法』というものが多くあるのは、複雑になった社会関係をなんとかしたいという人間の不安の表れであり、楽に考えたいという安心の欲求の裏返しです。

 人を育てていく上での物語やシナリオをなんとか中長期的につくっていく必要があります。器用だが従順な若者も増えています。マニュアルや技術的な対応もある程度は社会に必要ですが、人間形成や人間関係はテクニックや精神論だけでは立ち行きません。知性とその結晶である制度、そしてそれを柔軟につくり変えていくことが必要です。

 「学びの地図」という表現が新学習指導要領をめぐって使われましたが、人が育っていくためのシナリオ作成の能力や物語を語る言葉をわれわれが準備していく必要があります。

 不透明な社会だからといって、小さな物語に閉じこもったり、権威付けられた大きな物語に身を委ね甘んじることで良いでしょうか。ビジョンとvisibleは、目に見えること(visible)を意味することから分かるように、人々が信じるべきものを見えるようにし、暗闇でも進むべき針路や見通しを持てるようにすること。それは灯台のように立派なものでなくとも関わる人々に一定の光を放つサーチライトや羅針盤でも良いかもしれません。

それでは現代の水夫として校長はどのようにビジョンを構築し、学校のあるべき姿を描いていく必要があるか。それを次回、考えましょう。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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