「こころ」を詠む
「こころ」を詠む うらがえし
シリーズから絞り込む
2020.10.12
「こころ」を詠む
(『新教育ライブラリ Premier』Vol.2 2020年8月)
うらがへし
猫の蚤取る
生きる意味
克弘
数字との戦い
クレジットカードの審査に落ちました。
「今回はご意向にそえないこととなりました」という素っ気ないメールが、朝一番に届き、まだうまく働かない頭で、何がダメだったんだろう……と考えます。
今までカードの類が苦手で持たずにきたのですが、買い物に出ることの憚られる新型コロナウイルスの感染拡大期、通販サイトに頼ることが増え、とうとうネットで申し込むことに。数日前にカード会社から電話があって、口頭審査した人の朗らかな感じに、勝手に問題ないだろうと思い込んでいたところへ、非情なる入会不可の知らせ。年収が十分ではなかったのでしょうか? それとも、「お勤めのところはなしということでよろしかったでしょうか」と聞かれたときに、「あーはい、自営なので、自宅でお願いします」と答えたのが良くなかったのでしょうか?
ふだんはあまり意識しないのですが、こういうときには、俳人として生きていることの頼りなさを痛感します。資本主義社会においては、数字で人が測られます。どれだけの年収を得て、どの程度の規模の会社で働いているかが、人の価値を決めるのです。ひとりひとりの事情や、個性まで考慮していたら、カード会社は業務過多に陥ってしまいますから、今回の査定は間違っていないと思います。自営でも、なんとかやれているということを、うまくアピールできなかった自分の責任です。そうは思いつつ、数字って何だろうと、考え込むのです。今回がはじめてではありません。やや大げさになりますが、私のこれまでの人生は、数字との戦いでした。
「夏炉冬扇(かろとうせん)」
宮沢賢治に憧れて童話を書くようになり、文学で身を立てようと志したのですが、まわりには反対されました。特に父親は、法律や経済を学び、稼げる人間になることを、私に望んでいました。それに逆らって、文学部に進んだところから、戦いがはじまります。
文学の価値は、数字では測りがたいところがあります。一応、本がこれだけ売れたとか、こんな賞を獲ったとか、数値化できる部分もありますが、売れているものがすなわちすぐれた文学という等式は成り立ちません。
大学では俳句にのめりこみました。句会というのも面白いもので、たくさんの人に支持された句が良いというわけではないのです。句会の参加者はそれぞれ、匿名のままに配られた出句一覧から、自分の好きな作品を選びます。まるで選挙の投票のように、句によって点差が生まれますが、では最高点をとった作品が秀句かというと、そういうわけでもないのです。逆に、たくさんの点を集める句は俗っぽい凡作の可能性も高く、そこで目利きの宗匠の判定がものをいうわけです。いまだに師弟制度というものが俳句界に残っているのは、「数字をとれるものが勝つ」という消費社会の原則に逆らう部分があるからです。
数字を拒否しては、社会は成り立ちません。特に今のような未知の感染症に対処するためには、ファクトやエビデンスを明示して、客観的に物事を進めていく必要があります。それでも、新規感染者が何名という数字が毎日出される現状に、なんとはない居心地の悪さを感じるという声を聞きます。それは、数値化されてしまうことへの抵抗感が、誰の中にもあるということではないでしょうか。数字ははっきりしていて強いぶん、コンクリートのように私たちの心を固めてしまいます。文学や芸術は、そういうときに、数字化されない価値を示します。心のコンクリにひびを入れる役割があるのです。
松尾芭蕉は、自分の俳諧を「夏炉冬扇(かろとうせん)」になぞらえました(「許六離別詞(きょりくりべつのことば)」)。夏に使う火鉢、冬に使う扇、つまり、何の役にも立たないということ。でもこれ、自虐ではありません。「役に立たないけれど、役に立つ」という矛盾したものが俳句だと言っているのです。これ、俳句に限らず、実は世の中の多くの仕事にもあてはまるのではないでしょうか。
……と、そんなことを、カード会社に電話して、まくしたてたところで、クレーマーになるだけ。水鉢のメダカに餌をやるという、朝のルーチンに入ります。ふっと思い出すのは、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』に出てくる言葉。苦行をやめ、街に降りてきた若き僧は、おまえに何ができるのだと問われて、こう答えます。「僕のできることは三つだけ、考えること、待つこと、断食すること」。
僧ならぬ私にできるのは「考えること」。「僕は無用の人間なんだ」という絶望と、「金に換算できない価値を追求するんだ」という希望の間で揺れながら、ひたすら言葉や人間や自然について「考える」― 、それが私の仕事です。
Profile
髙柳 克弘
俳人・読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者
1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。2016年、第二句集『寒林』(ふらんす堂)刊行。2017年度Eテレ「NHK俳句」選者。2018年、浜松市教育文化奨励賞「浜松市ゆかりの芸術家」を受賞。現在、「鷹」編集長。読売新聞朝刊「KODOMO 俳句」選者。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)選者。早稲田大学講師。