interview 挑む 〜チャレンジャーの目線〜 宝塚ホテル支配人 憧花ゆりの氏
『ライブラリ』シリーズ/特集ダイジェスト
2022.07.01
目次
interview 挑む 〜チャレンジャーの目線〜
宝塚ホテル支配人
憧花ゆりの氏
(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.3 2021年8月)
夢は見つづけるもの “今の私”だから見られる夢を探して
2020年6月21日、晴れわたる青空のもと、宝塚ホテル(兵庫県宝塚市)が移転開業した。コンセプトは「夢のつづき」。劇場で見た夢のつづきをホテルで作る、宝塚大劇場のオフィシャルホテルだ。
移転開業の日、支配人としてロビーに立ったのは、憧花ゆりの氏。宝塚歌劇団に19年間在団して活躍した元タカラジェンヌだ。透き通ったのびやかな歌声に定評があり、在団時には歌い手の花形であるエトワール(フィナーレのパレードの始まりに舞台上の大階段で歌う役)を務めた。仲間から慕われ、信頼も厚く、組子をまとめる組長としても奮闘した。
宝塚歌劇団での充実の日々を経て、ホテルの支配人へと転身を遂げた憧花氏。宝塚の舞台で夢を叶えた彼女が挑む「夢のつづき」とは──。
宝塚に戻ってきた元タカラジェンヌ ■私だからできること
──憧花さんが考える、宝塚ホテル支配人の役割は。
私の役割は、元タカラジェンヌということを活かして、宝塚ホテルの伝統も大事にしながら、歌劇とホテルをつなぐという部分でアドバイスすることだと思っています。
宝塚ホテルは、宝塚大劇場の隣に建つオフィシャルホテルです。劇場の隣にオフィシャルホテルがあって、そのホテルに私のような支配人がいるホテルって他にないと思うんです。お客様からしたら、劇場とホテルはつづいていて、ホテルも舞台の一部なんですよね。劇場からの「夢のつづき」を作る世界で唯一のホテルとして、宝塚の世界観をどうやって作っていくかというところで役に立ちたいと思っています。
宝塚ホテルのスタッフは皆、ホテルのプロフェッショナルなので、ノウハウはあるんです。ただ、そこに歌劇の要素を入れるとなると、戸惑いも多いです。
私は実際に舞台に立っていた分、お客様がどういうものを観たいかとか、歌劇を観た後にホテルでどういうおもてなしやサービスを受けたいかとか、そういったことの想像はできるかなと思っていて、ホテル内の歌劇ギャラリーや歌劇に関するイベントなどで自分の経験を活かせるかなと思っています。
──支配人のオファーがあった時の気持ちは。
初めて聞いたときは、「へー、そっか、そういう道が私に広がってくるのか」って思いましたね。宝塚ホテルの支配人は、今までの自分のキャリアが最も活かせる職業だと思いました。
退団して2年、大学で歌を学んだり、人に歌を教えたりして、宝塚とは違う世界で葛藤するなかで「19年間宝塚歌劇団にいたのが自分の強みなんだ」と気付きました。そういう時にホテルの人に声をかけていただいて、「宝塚が私を呼んでいる!帰らなきゃ」と思いました。
──支配人を引き受けた時の気持ちは。
「何の役に立てるのかな……」「ロビーに立って挨拶するだけの人になったらどうしよう」と、しばらくは不安でした。支配人に就任して1年目はホテルのいろんなことを覚えるのに必死で、「この先自分は何ができるのかな」ということを自分に問いかけるような1年でした。宝塚ホテルで自分に求められていることは何だろうと考えて、ホテルの業務的なプロになるのではなく、元タカラジェンヌという経験を活かして、普通ではできない形でサービスをしていけたらいいなと考えるようになりました。
それから、宝塚ホテルにいると、劇団の方とよくお会いしてお話したり、ホテルにも訪ねてきてくださるので、「宝塚に戻ってきた」っていう感じがあって、やっぱりそれはすごく嬉しかったですね。
──実際に働いてみて感じた在団時とのギャップは。
芸術は感情を表現するものなので、「感情を出せ」と在団時は言われてたんですけど、社会では感情的になってはいけないんですよね。それが真逆だなと思いました。
でも、無感情ではいい職場は作れないし、感情を表現する部分は少ないですけど、分量が違うだけで、社会も感情や想いで動いている部分もあるんだなって思いました。
──宝塚ホテルで働いていて「自分だからできる」と感じたことは。
お客様が、舞台の感想を言いにきてくださったり、「この人応援してるんです!」って教えてくださったりするから、タカラジェンヌ時代の自分をお客様が知っていて、「あの舞台に立っていた人が今ここにいて、話をきいてくれた!」と思ってもらうことは、自分にしかできないことだと思いました。
コロナの影響で、チケットを買っていた公演が中止になったお客様が「泊りにだけきました」と言ってホテルに来てくださったんです。「今日本当は観るつもりだったんです」って泣いてしまうお客様とか「すーさん(憧花さんの愛称)と写真が撮れたから、それだけでよかったです」と言ってくださるお客様もいらっしゃいました。それまでは写真撮影は、密になるからやめておこうって思っていたんですけど、自分がお話をきいたり、写真を撮ったりすることで、お客様の気持ちが浄化できるのであれば、できるだけ安全を守りながら対応しようと思って、公演が中止になっていた時期はできるだけロビーに出るようにしていました。
「やりきった」と思えたタカラジェンヌ人生 ■憧れの宝塚での日々
──宝塚歌劇団を目指したきっかけは。
小さい時から、母に連れられて宝塚歌劇を観に来ていて、生活の一部という感じでした。舞台を見ている間は現実のことを忘れられて、ワクワクする気持ちになれた時間でした。
宝塚音楽学校を受験できる歳になって、何になりたいか考えたときに、「宝塚の舞台に立ちたい」っていうのが最初に思い浮かんで、宝塚音楽学校を受験しました。
──在団時の目標は。
「この人」という特定の目標というよりは、舞台人として、「あの人、いたね」と言ってもらえるような、人の心に残る舞台人になることが目標でした。すごく自分に自信がない人間だったので、人の心に残るような舞台を作って、自分の存在価値を認めていただきたいという気持ちが根底にあったように思います。
──組長の役割はどう考えていたか。
組子が前向きに舞台に立てるように、よりよい環境をつくることが組長の役割だと思っていました。例えば、多少競争する世界なので、人間関係のトラブルもあるんですけど、一つ一つ大きな問題にして自分が対応するのではなく、競争があったとしてもそれが舞台に活気を与えるものであれば、あえて介入しないことも、よりよい環境づくりの一つと考えていました。でもそれは、難しいことで、最初のうちは本当に一つ一つ悩んで「自分が対応できるんじゃないか」とか、自分を責めてしまうことが多かったです。
──組長として、リーダーとして心がけていたことは。
相手の話をきくことですね。あと、否定しないこと。相手の不得手な部分を頭ごなしに否定してしまうと、萎縮してしまい、その人自身が元々持っている良さも発揮できなくなってしまいます。否定するのではなく、「そのままでいいわよ。でもそのままだと役は付かないよ。違うことを磨きなさい」と。そうすると、自分なりのスタイルを作っていくし、気楽になったっていう子もいました。「あなたのことは分かったけれども、ここではこういうことが求められている。あなたはどう思う?」と話をきくことの繰り返しでした。
──退団を決めたきっかけは。
観たときにハッと鳥肌が立って、「これやったら、ほかにやりたいことないな」と思っていた『エリザベート—愛と死の輪舞—』という演目の皇太后ゾフィー役をやることになった時に、退団を決めました。ゾフィー役は、私が目標とする「人の心に残る」という点では、これ以上ない役だったし、自分のやりたい役をやってしまった人が次の目標もなしに舞台に立ちつづけて、そういう人が組長っていうのはどうなんだろうと思って。自分は舞台人として劇団に入ったんだから、やりきったと思ったときが自分の退団のときだなって思いました。
──イメージしていた退団後のビジョンは。
漠然と指導者になりたいと思っていました。そう思ったのは、組長時代に「何かを人に教えてあげられたな」という時の喜びを経験ができたのが大きかったです。
声についての文献を読んで、今までは実践ばかりで理論がないから、「生徒さんに教えられるように大学に入って勉強しよう」と思って大学に入りました。
──退団して客観的に宝塚を見て感じたことは。
在団時には現実と舞台のギャップがしんどかった時期があったんですけど、退団して改めて宝塚と向き合うと、宝塚は夢の世界を徹底的に作るから、人が集まってきて、また観たくなるんだなと感じました。
タカラジェンヌって本当に忙しくて、公演と舞台稽古でほぼ1年間の予定が埋まるんですよ。公演場所に合わせて生活拠点を変えるので、一つの場所に落ち着くこともない。お休みの日もレッスンしたり役のことを考えたりするので、周りの人のことを考える、想像する時間がないんですよね。在団時はできていたつもりだったんですが、実際はできていなかったと思います。
でも、退団して、実際に舞台に立っていた立場から、外側で歌劇団なりホテルの人と話したり一緒に働いたりする立場になって、客観視することができました。「在団時に夢だけを追っていられたのは、周りが現実的なことを考えなくていい世界にしてくれてたんだな」と、退団して初めて思いました。
──退団していちばんに感じたことは。
生活するのって本当に大変なんだなって(笑)。
在団時は労働時間なんて考えたこともないし、将来設計とか、予算とか売上とかそんなの全然考えてないんです。でも、世の中の人は、そういうことも考えた土台の上で、人の心が喜ぶことをしていらっしゃるのがすごいな、と思いました。宝塚ホテルで働く女性で、家庭をもってお子さんを育てながら働いてる人を見ていても、「働いて帰ってご飯作って、子供の面倒みるんだ……。なんて大変なんだろう」と思うんです。そういう「社会」みたいなものにホテルに来て初めて触れています。
真の意味での「清く正しく美しく」 ■自身とホテルの「夢のつづき」
──座右の銘は。
「清く正しく美しく」です。宝塚歌劇団を作った小林一三先生の言葉ですが、退団してからの方がこの言葉を意識することが多いです。
「清く正しく美しく」って、表面的には着飾っていて、純真無垢な少女のようなイメージなんですけど、奥に違う意味があるような気がしていて。それは、「清く」は、嘘偽りのない素直な心、「正しく」は、道理に即していること、正義感、「美しく」は信念を持つこと、全てにできるだけ平等に接するみたいな精神の在り方だったり、心身共に健やかであることだったりするのだろうと思っています。そう考えると、本当の意味で清く正しく美しく生きるのは、難しいことだけれども、すごく尊いことだと思います。
社会で働いていても「これは清く正しく美しいだろうか?」と意識する場面が多いですが、それは私を縛っているわけではなくて、信念として道を踏み外さないように導いて守ってくれているのだと思っています。
──今後の夢や抱負は。
一つは、劇場からの「夢のつづき」というコンセプトのために、歌劇とホテルをつないで、歌劇ギャラリーの監修やイベントなどをはじめ、今までやっていなかったことをやっていきたいと思っています。
コロナの影響で休演していた歌劇が再開して、観たとき、心が震えたんです。舞台に立っている人とお客様が同じ空間を共有して、その間に目には見えない心の交流があるから感動するんだなと思いました。だから、目には見えないものの喜びや心の交流を大切にしながらロビーに立って、おもてなしをしていけたらなと思っています。
もう一つは、歌を歌うことも自分の豊かな生活のためのものとして、ずっと寄り添っていきたいと思っています。
退団してディナーショーをやった時、1年半ぶりくらいに人前で歌ったら、現役の頃より練習量は減ってるのに、うまく歌えたんです。「歌にかけて生きなければ」と思っていたときよりも、宝塚歌劇団の外に出て、色々なことを知ったことで、自由に歌えたなと思いました。歌というものは、自分が今まで思っていたよりももっと優しくて、扱いやすいものなのかもしれないなとも思えました。
職業はホテルの支配人で、歌=生きていくための手段ではなくなったし、宝塚との関わり方も大きく変化しましたが、ホテルの支配人と歌、二つの世界を自分の中に持っている今、すごく充実感を感じています。(取材/編集部 兼子智帆)
Profile
憧花ゆりの とうか・ゆりの
兵庫県出身。1998年宝塚音楽学校入学。2000年宝塚歌劇団入団。月組配属となる。2016年月組組長に就任。2018年『エリザベート』で退団。2019年第一ホテル東京にてサロンコンサート開催。大阪芸術大学通信教育部音楽学科入学。2020年移転開業した宝塚ホテル支配人就任。宝塚ホテルのコンセプトは「夢のつづき」。