センパイの背中 40歳差の同志 女優・作家・歌手 中江有里

トピック教育課題

2022.06.28

センパイの背中 40歳差の同志

女優・作家・歌手
中江有里

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.6 2022年3月

息をひそめて過ごした若い頃

 年上の人が苦手だった。

 15歳でデビューした芸能界はどちらを向いても年長者ばかり。監督も助監督も他のスタッフも、そして共演者もほぼ年上。

 いつも先輩方に怒られないよう、目立たないように息を詰めていた(この時点でわたしは芸能界に向いていない。目立ってなんぼの世界だというのに)。

 年上の人は生きてきた時代も価値観も違う。若造のわたしとはわかりあえない、と思っていた。

 ある日、教養番組への出演が決まった。大好きな本に関われる嬉しい仕事だった。懸念はご一緒する年上の大先輩のこと。

 子どもの頃からクイズ番組でおなじみの紳士、お目にかかるのは初めてだ。

 収録の初日、メイクを済ませて打ち合わせ室へ向かうと、大先輩は予定よりも早い時間にいらした。

 大先輩、児玉清さんはすらりとした体躯にネイビーのスーツがよく似合っていた。

 学生時代にドイツ文学を専攻し、英語、ドイツ語の原書で読む語学力の持主だと聞いていた。ただ「本が好き」なわたしと次元が違う。

 テレビと同様に丁寧かつ毅然とした口調の児玉さんがわたしは怖かった。今思えば勝手に恐れていたのだが、なるべく関わらないように距離を取った。

俺たちに明日はないのか

 番組は年に数回、地方で公開収録がある。北海道の真ん中あたりにある新得町での収録の際はスタッフと児玉さんとともに前日に現地入りした。

 その夜は出演者、ゲストのみなさんと会食し、和やかなひとときを過ごした。こういう場所は年上の先輩ばかりでも平気だ。口を挟まずに大人しくしていれば問題ない。

 食後、児玉さんの発案で場所を変えてお酒の席を、ということになった。

 わたしはお酒が飲めない。初めての公開収録を控えて緊張したこともあり、先に部屋へ戻ろうと決めた。

 「すみません、明日があるので」と目立たぬように立ち上がると、児玉さんがわたしの顔をまっすぐ見て言った。

 「俺たちに明日はないのか?」

 一瞬、目を伏せた。やってしまった!児玉さんを怒らせてしまった......。しかし誰も何も言わない。そっと顔を上げると、児玉さんの目が悪戯っぽく笑っていた。

 もうおわかりの方もいるだろうが、児玉さんはわたしの言葉を受けて、とっさにあの有名な映画『俺たちに明日はない』のタイトルをもじったのだ。

 その夜、わたしはすぐに部屋に戻らずノンアルコールドリンクを片手に児玉さんとゲストの方と過ごした。

 翌日、児玉さんは「昨日はありがとう」とさわやかな笑顔を見せた。わたしは一気に児玉さんと打ち解けた。

 その後、児玉さんと誕生日が一緒だとわかった。ちょうど40歳差。年の差など関係なく、児玉さんとは共通の趣味である本の話はもちろん、時事ネタから恋愛の話まで何でもした。悩みを相談すれば、真摯に答えてくださった。

 児玉さんは出会いから7年後に亡くなった。

 最後まで現役を貫き、美しく去っていった。いつかこういう時が来るとわかっていたが、悲しみとショックで食事が喉を通らなくなった。児玉さんを追悼するラジオ番組に呼ばれ、パーソナリティの方に訊かれた。「児玉さんは中江さんにとって、どういう存在だったんですか」

 考えることなく、自然と口から出た。

 「父のようでもあり、芸能界の先輩でもあり、同志でした」

 ひとりの人間として尊敬し、共感し、心から好きになった。児玉さんはわたしの「年上アレルギー」を取っ払い、人間の本質に目を向けることを教えてくださった。「同志」という言葉を初めて使ったが、これ以上ぴったりとくる言葉はなかった。

 出会えたことを今もずっと、感謝している。

Profile

中江有里 なかえ・ゆり
 1973年大阪府生まれ。法政大学卒。1989年芸能界デビュー。数多くのTVドラマ、映画に出演。読書に関する講演、小説、エッセイ、書評も多く手がける。近著に小説『万葉と沙羅』(文藝春秋)など。文化庁文化審議会委員。2019年に歌手活動を再開。2021年1月にアルバム『Port de voix』、9月にシングル『コントレール』を発売。

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