「社会に開かれた教育課程」は未来に何を残せるか[第5回]「深い学び」における「経験」の意義(下)
トピック教育課題
2021.04.02
「社会に開かれた教育課程」は未来に何を残せるか
[第5回]「深い学び」における「経験」の意義(下)
日本大学教授
佐藤晴雄
(『新教育ライブラリ Premier』Vol.5 2021年2月)
前回は、「学びのピラミッド」について取り上げました。「対象-認識-表現」の三層の上下運動によって「つくる学び」と「わかる学び」という二つの学びが成り立つことを述べました。今回は、そのうち「認識」の層について庄司和晃氏が提唱した「認識の三段階連関理論」を取り上げて、「社会に開かれた教育課程」の在り方について解説したいと思います。
学びの具体化
まず、学びのピラミッド中の「認識」部分を拡大すると、図のような三段階に分かれるというのです。これが庄司氏の「認識の三段階連関理論」の図解を若干修正したものです。図中の「抽象的認識」は「概念」に相当し、理屈や頭で認識している理論的次元の段階です。しかし、この段階に止まっていれば(下におりられない状態)、「わかるけど、わからない」、すなわち、理屈では「わかるけど」、実感できないという事態になります。たとえば、1兆円という金額を実感としてわかる人はほとんどいないでしょう。理屈では、兆は億の1万倍だと理解できますが、普通、この金額で何が購入できるかはわかりません。兆円を使った経験がないからです。経験のないことは「わかりにくい」のです。
これに対して、100円など身近な金額だと、しっかり「わかる」のです。100円で飲み物を購入したなどの経験から「具体的認識」があるからです。このように「抽象的認識」は「たとえば」という言い方で「具体的認識」という受皿に降りて具体化されて「わかる」ことになります。この「おりる」ことが理解につながるのです。
真ん中の「半抽象的認識」とは図解や比喩の段階であり、「具体的認識」に至らない理解を助けてくれます。お金のことを取り上げましたので、国の予算で例解してみましょう。2020年度の国の当初予算は102兆円台でしたが、ここではとりあえず100兆円だとします。
まず、新札の1万円100枚の札束の厚さは約1cmで、100万円です。1000万円は10cm、1億円は1mになります。そこで、比喩として富士山を取り上げると、3776mですから、海抜0mの地点からその頂上の高さまで1万円札を積み上げていくと3776億円になります。たとえば、1000兆円を富士山の3776億円で割ると、約265個分の富士山の高さに達します。ようするに、100兆円という金額を知るよりも、とてつもない高額だと実感できます。ただし、富士山を見たことがない人は理解困難かもしれません。
また、面積が10万m2の公園を東京ドーム約2個分だと説明すると、数値で説明されるよりも「とても広い」と実感できるはずです。東京ドームを見たことがなくても、野球場の広さを知っていれば、ある程度実感できるでしょう。
年齢を重ねると、若いときにわからなかった諺や古典がよく理解できるようになります。年齢と共に経験が豊富になり、具体的認識が広がるからです。
以上のような意味で、経験を豊かにする体験学習が重要な鍵を握っているのです。
学びの抽象化
一方、「具体的認識」(または「半抽象的認識」)を「抽象的認識」にまで「のぼる」過程は「ようするに」という言い方で、経験から得たことを抽象化することを意味します。調べ学習や作文、創作活動は経験を抽象化しながら言語や作品等に表現して意味付けられます。
「具体的認識」の抽象化によって、認識を表現するという学びが成立します。「具体的認識」が得られただけでは「単なる経験」に過ぎません。
そうした「のぼる/おりる」という上下運動の過程には必然的に「思考力・判断力・表現力」が用いられ、結果としてそれらが育成されることになります。この三段階は、経験を「具体的認識」とし、どう抽象化するかを思考しながら判断して、最終的に最も適切な方法で表現する過程を表しています。反対に、具体化して「おりる」過程には、表現されたもの・ことにはどのような認識が込められているかを思考・判断していくことになります。「深い学び」とはそうした「のぼる/おりる」ができることを目指すものと解せられます。
「社会に開かれた教育課程」の意義を改めて考える
そう捉えると、学校は「資質・能力」を育成していくために「教育活動の実施に必要な人的又は物的な体制を家庭や地域の人々の協力を得ながら整える」ことが重要な意味をもつのです。児童生徒にとって身近な地域にあるヒト・モノ・コトに直接触れる経験は、「具体的認識」を実質的にし、豊かにするからです。
前述したように、100円を使ったことがあり、富士山や東京ドームを見たことがあれば、「具体的認識」をもっているので「抽象的認識」を具体化できます。農業の理解は農業体験によって初めて実感として「わかる」ことになり、キャリア教育は職業体験によってより深い学びになります。しかし、そうした多様な経験は学校だけでは困難です。「具体的認識」と「半抽象的認識」の間には壁があるからです。学校では常に実習・実験などの体験を採り入れることが難しいため、どうしても「抽象的認識」と「半抽象的認識」間の上下運動に留まりがちなのです。
そこで、教育課程自体を社会に開いていくこと、すなわち、①特定の経験を有する外部人材による指導、②学校が社会教育など地域で行われる体験を活用すること(児童生徒に対する参加の奨励など)、③ 学校と地域が協働して体験活動に取り組むことなどが求められるのです。
[参考文献]
・庄司和晃著『認識の三段階連関理論』季節社、1999年
Profile
佐藤晴雄(さとう・はるお)
日本大学文理学部教育学科教授。東京都大田区教育委員会、帝京大学助教授などを経て2006年から現職。中央教育審議会専門委員(初等中等教育分科会)、文部科学省コミュニティ・スクール企画委員、日本学習社会学会会長などを歴任。博士(人間科学)大阪大学。日本教育経営学会理事など。主な著書に、『コミュニティ・スクールの成果と展望』(ミネルヴァ書房)、『教育のリスクマネジメント』(時事通信社)、『新・教育法規解体新書』(東洋館出版社)ほか多数。