校長室のカリキュラム・マネジメント

末松裕基

校長室のカリキュラム・マネジメント[第5回] 遅れてきた近代化、サークル的学びへ

学校マネジメント

2020.08.03

校長室のカリキュラム・マネジメント[第5回]
遅れてきた近代化、サークル的学びへ

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.5 2018年8月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 

 ぎすぎすした世の中だなと感じることが多くなってきたような気がします。仕事をする上で相手の言動に余裕のなさを感じるだけでなく、責任がないと感じることも増えてきましたし、その一方で、自分自身にも余裕がないと感じることも多くなったのも正直なところです。

 教育界には特にそのように感じている人が多いのではないでしょうか。もともと官僚制の一部として発展してきた近代学校制度で働くということが、そのような状況や認識を生み出していることにもちろん関係していますが、われわれが昨今感じている状況は、それ以外にも、どのような理由によって生じているのでしょうか。

 今回は、第4回で論じた校長がいかにリーダーシップを学んでいくかということとも関係させながら、この問題を検討し、現在の課題を乗り越えるための学びのあり方を構想していきたいと思います。

遅れてきた近代化?

 昨今は、これまでの近代の社会システムの至るところに制度疲労として歪みが生じてきたと言えます。それは日本が得意としてきた農業、漁業などにも当てはまりますし、企業組織を含む産業システムにもあらわれてきています。企業であれば終身雇用や年功序列に基づくような経営はすでに限界がきていますし、かといって、単に競争的な職場を目指せばそれで問題が解決するかというと、そう単純ではありません。それに加えて、問題の原因が何かはっきりしない段階で、組織運営においては説明責任や謝罪が求められ、初期対応に失敗すると、さらに過酷な状況に追いやられてしまいます。そういうことをどの組織もわかっているので、できるだけ失敗を避け、組織内外に対して可もなく不可もなくというコミュニケーションが多くなってくるのも仕方のないことです。

 その一方で、基本的には仕事というのは失敗を通じて経験の幅を広げ、試行錯誤のなかで学ぶことも多いものですが、団塊の世代が抜けてからは、経験年数の浅い者でもある程度の仕事ができるようにマニュアルが整備され、そのようなマニュアル中心の社会となってきているのも事実です。できるだけ効率的で管理統制的なシステムが至る所で業界を問わず導入されているのも以上のような大きな社会変動を背景にしています。

 学校においては、昔は〈子ども〉を管理統制の対象にすることはあっても、比較的、〈大人〉は自由に動けていたと思います。ところが、大学の管理・運営のあり方を見てもわかるように、いつも外部の目や政治・行政の目を気にして、15回の授業について丁寧に出欠を確認して、学生の方もそれを望んでいるかのような雑音のない無菌状態のような空間で、間違いのないように〈大人〉が行動をし始めているような気もします。

 できるだけ社会のコミュニケーションを単純に画一的に、そして、合理的・効率的にしていこうとするのが近代の特徴であったとすると、〈大人〉をめぐっても以上のような「遅れてきた近代化」が様々な場面で進んでいるのではないでしょうか。

 コミュニケーションが合理的になるということは、それだけ、予測可能で効率の良いやり取りが蔓延するということですから、目先の利益や実利だけを求める打算的な〈大人〉が増えてきてしまいます。コミュニケーションとは時には目的を忘れて楽しむべきことのはずだと思いますが、狭い人間関係や業績主義のような発想が現代では増えてきているような気がします。人は官僚的になってしまった結果「訓練された無能力さ」というのを身に付けてしまいますが、仕事をめぐっても「あそび」のある思考や行動はいかに可能になるでしょうか。

サークル的学びへ

 「すぐ使える知識」がもてはやされる昨今ですが、それは「すぐ使えなくなる知識」でもあります。使い捨ての発想ですね。自分の学びが使い捨てされるというのは何とも虚しいことですが、そのような学びを超えるものを先生方には追求してほしいと思います。

 その可能性を有しているのがサークル的な学びだと思います。サークルについて、思想家の鶴見俊輔は次のように述べています。

 サークルは、おたがいの表情を見わけることのできる形の集団であり、拘束のゆるい非定型集団であり、学校とちがってはじまりと終わりとがさだまっていない集団である。

 サークルは、私にとっては、自分の頭蓋のように感じられる。ものを考える場であり、そこで思いつくことが多い。(鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波書店、2010年、87-88頁)

 長年、サークル的な学びを続けてきた鶴見は、その醍醐味について、「サークルのおもしろみは、その中で、相互交渉によってたがいの立場が動くことも自由であり、そのことによって責任を追及されないという暗黙の約束である」(同書、185-186頁)と述べています。

 皆さんはこのようなサークル的な学びの場をお持ちでしょうか。わたし自身は、普段、授業や研究とは少し離れて、おもしろそうと思った本の読書会、朗読会、映画の鑑賞会を開催しています。また、「学びのサードプレイス」という発想にも注目して活動をしてきました。

 「サードプレイス」というのは、必要不可欠な第一の場所の「家」と第二の場所の「職場」とは異なる第三の場所のことです。もともとはイギリスのパブ、フランスのカフェなど、自由でリラックスした雰囲気の対話を促進する、都市に暮らす人々にとっての良好な人間関係を生み出す空間をあらわしてきました。インフォーマルで、パブリックな営みを促進する場が特徴とされます。インフォーマルとは他者に強制されない個人の自由意志に基づく行動を、パブリックはひとりではなく、他者との関わりのなかで行う活動という意味です(詳しくは中原淳・長岡健『ダイアローグ 対話する組織』ダイヤモンド社、2009年を参照)。

 フォーマルでパブリックな行政研修やインフォーマルでプライベートな趣味等は多くあるでしょうが、「学びのサードプレイス」のような成熟した大人の学びの空間づくりが、これからの学校経営を考える際にも重要になります。

 わたしは、以上のような学びを意識して、2010年度から現職の校長など現場の方々と研究者が同数程度の構成による十数名で、月に一度「学校経営サロン」という会を設け、日常の学校の課題について、職場を離れてインフォーマルで自由な形の対話を繰り返したりしてきました。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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