校長室のカリキュラム・マネジメント
校長室のカリキュラム・マネジメント[第3回] 校長は学校のビジョンをどのように描いていくか
学校マネジメント
2020.07.20
校長室のカリキュラム・マネジメント[第3回]
校長は学校のビジョンをどのように描いていくか
東京学芸大学准教授
末松裕基
変化の激しい現代は、リスクにあふれる社会であるとも言えます。第2回でも述べたように、わたしたちは昨日まで成功していた方法がすぐに使えなくなる特殊な時代に生きています。過去の栄光や旧い価値観に固執するだけでは、目の前の問題に対処できないだけでなく、そのような考え方自体が組織やそこに関わる人びとに重くのしかかり、新たな問題を生み出すリスクになってしまいます。先を見通すことが難しい時代にあって、わたしたちは何を信じて行動すればよいのでしょうか。
「リスク」は「海図の無い所に漕ぎ出していく」というポルトガル語に語源があるとされています。そうすると、海図やコンパスをわれわれがどのように準備するかということが現代では大切になりますし、そもそも海図というものが無い時代をどのようなものとして考えていくかということが問われなければなりません。
わたしたちは本当に対話をしているか
人びとが共通の価値観を抱き、進むべき方向性を共有しにくい時代であるとしたら、やはり丁寧で工夫のあるコミュニケーションが求められます。いまだに戦後の年功序列で男性中心の働き方を信じて疑わない人も日本には多いですし、窮地に立たされた際には根性や気合いで乗り切れば何とかなると考えている人もよく目にします(「寝てない自慢」やそういう人ほど「感謝」や「信頼」を多用したがります)。「エイ、エイ、オー!」で人びとがまとまっていた時代こそが特異であったと思います。
どんな人間も感情や信念を持って生きていますし、特に若い人たちは上の世代がどのような考えをもとに自分たちに接しているかに非常に敏感です。
気合いでまとまっていたような時代は組織が進むべき方向は明確だったかもしれませんが、自由に考えながら人がコミュニケーションをしていたかというと疑わしく、組織に隷属しているだけであったとも言えます。
そこで最近注目を集めているのが、「対話」というコミュニケーションです。対話はコミュニケーションを通じて、人びとの考え方や振る舞いを主体的に変容させる可能性を有していると指摘されています。それは"飲みニケーション"のように緊密でもなければ、指示・命令のように効率的でもありません。
緊密で効率的なコミュニケーションは、組織が円滑に動くように見えるのでいっときは効果的に思えますが、問題が複雑化し、課題の難度が上がると、一瞬で組織は回らなくなります。自分で考えて行動し、多様な視点を許容する素地が育っていないからです。
また対話は傾聴とも違います。たとえすれ違いながらも、どこまでいっても双方が諦めずにやり取りを続ける必要があります。
私もすでに大学生に対してジェネレーションギャップを感じることが増えてきました。学生は大学教員との対話を欲しています。ただし、大学教員と学生は友達でもありませんので、コミュニケーションは慎重に行う必要がありますし、何らかの工夫が求められます。たとえば、彼らに、「ゼミ(学級のようなもの)の運営で大学教員に意見があるときはどのように伝えたいですか」と聞くと、「直接は伝えにくいです」と言います。
対話は対面の口頭でのやり取りに限る必要はありません。落ち着いて一人の時間でまずはしっかりと考えてもらうには、私の場合、紙に文字を書いてもらいます。また、最初は匿名を認めたり、複数名の考えをグループでまとめて出してもらうこともあります。はっきり言って面倒ですが、そこまでしないと、個々人は対話に臨もうとはしません。
若い人は対話を欲していますが、その機会を十分に得られていないのも事実です。また、LINEなどで緊密に効率的にしか人とつながった経験がない人も増えていますが、十名ほどのゼミで、毎週一人担当者を決めて、ゼミの記録や感想、ゼミへの意見を一年間、一冊のノートに順番に書いてもらったこともあります。
これは書くためにはじっくりと考えなければいけませんし、担当した一週間にそれまでの人が何を感じ、どういう視点で物事を捉えているのかをゼミ内外で注意を払い共有できる利点がありました。こうしたちょっとした工夫でコミュニケーションの回路や質は大きく変わります。
何事も便利になる時代ですが、人びとのコミュニケーションはどんどん粗雑で安易になっているような気もします(「対話=ダイアローグ」ではなく、「一方通行の伝達=モノローグ」の増えた社会です)。
良い理念とは
企業経営では、社長と副社長の差は、社長と守衛ほど違うと言われます。それほどトップリーダーは孤独な存在です。プロセスとして対話が重要とは言えど、最終的な責任はリーダーが引き取る必要があります。リーダーには常に自らの理念を持つことが期待されます。
ただそれは「強い理念」である必要はありません。現代のように先行きの見通せない時代に注目されているのは「弱い理念」というものです。これは組織やそこに関わる人が、各々自分の信じるべき価値観を抱き、それに基づいて行動し、また得られた結果をもとに周囲と話しながら理念を修正していくことを許すというような考え方です。経営の神様と言われた松下幸之助の「衆知を集める」「任せて任せず」「相反する調和」といったものもこのようなことだと思います。
最近、次のような詩の一節も目にしました。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。
(長田弘「渚を遠ざかってゆく人」)
自らの考えを単に人に押し付けるのではなく、かといって、相手にばかり考え行動することを求めるのでもなく、丁寧に言葉を拾い、理念を共に紡いでいく姿勢の重要さを感じさせられます。
思想家の鶴見俊輔も「いままで誤ったことの記憶を保つことが真理の方向を示す」(『期待と回想』朝日新聞社、2008年、339頁)と述べています。
絶対的な正解が無い時代は、出たとこ勝負でも、トップの強い意向で組織を上から固めるのでもなく、基本的にはトライ&エラーで丁寧な対話をしていくことが鍵を握ると思います。
Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。