異見・先見 日本の教育 知らないことに心を開くダイバーシティ&インクルージョン
トピック教育課題
2023.03.13
異見・先見 日本の教育
知らないことに心を開くダイバーシティ&インクルージョン
弁護士
南 和行
同性カップルの弁護士夫夫
僕は弁護士をしている。大阪の南森町で、同性のパートナーで同じく弁護士の吉田と「なんもり法律事務所」を開設している。「なんもり」というのは、事務所がある南森町(みなみもりまち)の愛称。弁護士は僕と吉田の夫夫二人だけ、スタッフは近所に住んでいる僕の母。家族経営の小さな事務所だ。
僕と吉田が出会ったのは、2000年の夏、僕が23歳で吉田が22歳、二人とも京都大学の大学院生だった。僕は農学部、吉田は法学部、同じ高校出身のひと学年違いだった。2001年の春に僕は就職し社会人になったが1年で会社を辞め、吉田と二人で司法試験の勉強を始めた。僕は自分が同性愛者で、吉田と同性カップルであることを、ずっと隠して生きていくつもりだった。組織に属さなくていい弁護士になって二人で事務所ができたなら、同性愛者であるとか、同性カップルであるとか、いちいち説明することなく一緒に仕事ができる、と思った。
僕は吉田と出会う1年ほど前、父が亡くなったことをきかっけに、母に同性愛をカミングアウトした。母の反応は、「あなたが同性愛であるはずがない。同性愛だなんて不幸せになることを言わないで」というものだった。僕はとても傷ついた。でも母からすれば、それは僕のことを大事に思うからこそだった。それから10年くらい母と僕はギクシャクしていた。
母にとっての僕たちの結婚式
2007年に吉田が、2009年には僕が弁護士になった。それぞれ別の事務所で仕事をしていた2011年の春、僕と吉田は、友人や職場の仲間の前で結婚式を挙げた。母も結婚式に参加した。
母は今になってそのときのことを「結婚式と聞いて、後戻りできない悲しい気持ちになった。来てくれと言われてしまったから、留袖も着ずに普段着で渋々参加した。でも会場に着いたら、子どものときから知っているあなたの友達もたくさん来ていて、二人のことをお祝いしてくれていた。それを見てあなたが同性愛者であることや、二人が幸せであることがやっと理解できた。なかなか受け容れられなくて悪かったと思った」と話してくれる。そして僕がカミングアウトしたときのことも「だって同性愛のことを本当に知らなかったから。受け容れたいと思っても、同性愛なんて学校でも教わらないし、どう理解していいのかわからなかったから」と言う。
吉田は中学1年生のときにお母さんを、僕と知り合う半年ほど前にお父さんを亡くしている。母は「四人の親のうち、二人と一緒に過ごせるのが私だけというのも申し訳ないから」と、自分の家の仏壇の横に、僕の父だけでなく、吉田のお父さんとお母さんの写真も飾っている。僕と吉田は結婚式を機に同性愛を隠さない生活になり、2013年に二人で事務所を開設し、そして今に至る。
「僕は同性愛者です」と僕は言う
2017年、僕と吉田を主人公にしたドキュメンタリー映画『愛と法』が東京国際映画祭で作品賞を受賞し、翌年に全国の映画館で上映された。今年2022年5月には、今の僕と吉田を撮影した「僕たち弁護士夫夫です」というドキュメンタリー番組が、NHKのBSプレミアムで放送された。普段通りの僕らの姿と日常が、そんなに特別なことなのかと複雑な気持ちにもなる。でも、映画やテレビを見た人から温かい感想をもらうと、ありのままの僕らを受け容れてくれたことに対して、「ありがとうございます」と思う。
僕のところには、全国各地の自治体や学校、大学そして企業から「同性愛者の弁護士として、マイノリティの悩みや、性の多様性と人権の話をしてください」という講演の依頼がたくさんくる。講演で僕は、できるだけ自分自身の話をする。同性愛は隠している人がほとんどで、僕が講演に呼ばれるのは、同性愛が珍しいからではなく、同性愛を隠していないことが珍しいからだということを話す。
あなたの身近なところにも同性愛の人はいるかもしれない。その人はなぜ隠しているのだろう。そして大阪からやってきた僕は、なぜ見ず知らずの皆さんに向かってわざわざ「僕は同性愛者です」と言うのだろう。同性愛かどうかなんて言わなければわからないことなのに。
僕が子供の頃、同性愛のことを大っぴらに話すなんて、考えられないことだった。男性の同性愛を表すカタカナの蔑称は、人をいじめたりからかったりするときに使われていた。学校の先生ですら同性愛を揶揄する冗談を言った。テレビのバラエティ番組や雑誌の漫画では、腰をくねらせ手を頰にあてる仕草をする男性が同性愛者として描かれ笑いのネタにされていたし、ワイドショーや週刊誌では、「同性愛疑惑」として著名人の私的な交友関係が暴露されていた。HIVとエイズという社会問題まで、外国から持ち込まれた同性愛者が感染する病気だという誤った情報を多くの人が信じていた。
こんな風に社会のあらゆるところで同性愛は否定されていた。同性愛者が孤立して社会から排除されるのはしょうがないというのが世間の常識だった。
でも社会がどんなに同性愛を否定し排除しても同性愛を世の中から消すことはできない。同性愛は、自然と芽生えた恋愛感情や性的関心が自分と同じ性別に向くという事実についての話だ。その事実は、本人ですら消すことはできない。
「『僕は同性愛者です』と言うことに、特別な意味があることこそが、社会から否定されている現実のあらわれです」と僕は言う。