異見・先見 日本の教育 同調圧力からの脱却で生まれる多様な議論

トピック教育課題

2022.06.13

異見・先見 日本の教育
同調圧力からの脱却で生まれる多様な議論

東京新聞記者
望月衣塑子

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.6 2022年3

 官房長官会見でのやりとりの印象が強いのだろう。「望月さんみたいに、どうしたらはっきり意見を言えるようになりますかね」。大学などに呼ばれて講演をすると、先生や学生からそんな質問や相談を受けることがある。大学の授業では、少人数による討論式・対話型の授業も行われている。だが、他の学生の見解に、あえて批判的な意見を出すように先生が促しても、どうも学生同士では遠慮がちになるらしい。

 今回のお題は「学校や教育で問題と思っていることを挙げて、改善を提言する」とのことなので、あくまで私見にすぎないが、いろいろ述べてみたい。

 こうしたイマドキの学生らの遠慮というか、批判することへの尻込みっぷりは、彼らが高校までの学校生活でさらされてきた「同調圧力」に原因の一端があるのではないかと思う。

 人の目を気にすると、どれだけ自分がまっとうな批判をしていても、「相手に不快な思いをさせているのではないか」とか、「『悪口』や『人格攻撃』と思われるのではないか」と不安になるものだ。ひいては「周囲から浮いてしまう」「仲間外れにされる」「いじめのターゲットにされるかも」などと、はみ出すことへの恐怖が心を支配していく。そんな根拠のない不安のせいで、自分の主体性や可能性をつぶしてしまうなんて、本当にもったいないことだ。

 学校でクラスや部活の仲間と集団活動をするなかで、周囲と違う発想をしたり、自分の意見を主張したりすることは本来、社会の利害と対立しない。むしろ歴史的にみれば、人類の発展につながるイノベーションや新たな発見は、その集団からみて「ちょっと変な人」から生み出されてきたように思う。

 しかし、集団のなかで同調圧力を感じ、過度に横並びを意識すると、自分の個性や主張を抑える方向に力が働いてしまう。それどころか、不器用で同調できなかったり、気質的に空気を読むことが苦手だったりと、さまざまな事情を抱える他者に対し、「自分は我慢しているのに、勝手だ」「目立ちたがりだ」などと憎悪を募らせかねない。いじめや、「スクールカースト」のような児童・生徒間のマウンティングがはびこってしまうかもしれない。

褒め言葉で引き出す自己肯定感

 ここまで偉そうに書いてみたものの、自分を振り返れば、小学校に入るまでは周囲の目を気にしていたし、引っ込み思案な性格だった。そんな自分を変えてくれたのは学校の先生だ。

 私は東京学芸大学の附属小学校に入学したため、近所の同級生の女の子とは接点がほとんどなく、一緒に遊ぶこともなかった。入学後もおとなしく人の後ろについて行動するようなタイプだった。

 唯一、熱中したのがサッカーだ。当時、週刊少年ジャンプで『キャプテン翼』が流行っていたこともあり、学校では男の子のクラスメートとサッカーばかりやっていた。勉強もあまりまじめにやらなかったし、相変わらずクラスになじめていなかった。だが、1、2年生のときの担任の先生はとにかく「すごいな」とサッカーを褒めてくれた。私としてはプレーが上手なわけでもなく、こそばゆかったのだが、それでも先生は「そこまで熱中することがえらいんだ」という。

 そのうち先生は「サッカーだけでなく、他のこともどんどんやってみなさい」「絶対できるよ」とうまく乗せてくれた。不思議なもので、褒められて自信がつくと友達も増え、仲間と一緒にみんなで何かやるとことが面白くなっていった。すると担任の先生は「やっぱりすごい」と褒めちぎってくれた。その言葉が聞きたくて、さらに頑張った。

 大人になって冷静に振り返ると、うまくおだてられていたのだろうと思うが、自己肯定感が生まれたおかげで、その後も授業や学校の課外活動などに積極的に参加できるようになった。この先生は私が小学校2年生の終わりに、他の小学校の校長に異動してしまったが、今でもよく覚えているし、とても感謝している。

 小学校では教育実習生からも刺激を受けた。教員養成機関の附属校には年2回ほど、教育実習の大学生がやってくる。普段接する大人は学校の先生と自分の親ぐらいだが、より年齢的に「身近な大人」が持ち込んでくれる話題や感性、アイデアはいつも新鮮だった。

 実習生とは授業や課外活動の合間の時間などでいろいろな話をした。実習生は自分の専門領域の研究テーマを掘り下げた授業をするため、教科書の範囲からはみ出した面白い授業が多かった。中には教師以外の道に進む人もいて、彼らの将来の夢を聞きながら、外の世界を垣間見ることができた。いろんな大人の価値観に接する機会が得られたのは、附属校に通った最大のメリットだったと思う。

 こう書くと、真面目な児童だったようにみられそうだが、高学年になって反抗期に入ると、周りの女子を巻き込んで担任の先生に食ってかかることもあった。思春期特有の怒りや疑問を、身近な大人にぶつけていたのかもしれない。クラス運営の観点でいえば、あまりいい児童ではなかったと思うが、当時は先生の指示や学校のルールがおかしいと思っており、疑問を残したまま従うのはいやだった。それでも、担任の先生は粘り強く「うんうん」「でもね……」と議論につきあってくれた。今から思えばありがたいことだ。

 学校教育では「児童・生徒の多様性の尊重」を掲げているという。私の場合は、こうした小学校時代の体験が基となり、①自分の意見を持つ、②何かをやり遂げるため、他人を巻き込む、③納得するまで議論する──といった姿勢が培われたと思う。児童・生徒が自己肯定感を持ち、個性を伸ばした先に、多様な思想や自由な発想が生まれる。それが私の持論だ。

 個性を伸ばすといっても、もちろん他人への配慮は必要だ。周囲に迷惑をかけないことや、協力して目標を達成することは、将来、仕事をする上では必要なスキルだし、社会が学校に求める役割のなかでも、「集団生活における社会性を身につけ、正しいルールやマナーを守ること」はプライオリティーが高いだろう。

 だがそれ以上に、自分の考えを相手にきちんと伝えることがやはり大切だ。「いいからルールに従え」などと言われ、もやもやしたまま不満を飲み込むことに慣れると、やがて考えることをやめてしまう。その方がよっぽど怖い。

 ちなみに、私が勤務する東京新聞は個性豊かな人たちが集まっている。雑談から議論がスタートして、記事や取材のヒントが生まれることがある。激しくぶつかることもあるが、周囲にあわせることばかりにエネルギーを使うなんて、自分の人生を無駄にしていると思う。もちろん、いろいろ私に足りない部分は迷惑をかけていると思うし、周囲がサポートしてくれていることは理解しているつもりだ。

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