教育実践史のクロスロード

相田まり

教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・最終回] 羽仁もと子 新しい時代を生きる「真の自由人」の教育を目指して──生活そのものとしての教育と学び合う人間関係

学校マネジメント

2022.06.10

教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・最終回]
羽仁もと子

新しい時代を生きる「真の自由人」の教育を目指して──生活そのものとしての教育と学び合う人間関係

山梨学院短期大学講師 相田まり

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.6 2022年3月

その能力その年齢その境遇に応じて、めいめいに自分の生(いのち)のよき経営者であるということは、人各々自ら教育するための何よりもよい第一の教課であります。そうしてまた生徒をして自ら教育することに熱心になるように導くことは何よりも大切な私たちの務めだと思います。

「『自由学園』の創立」『婦人之友』1921年2月号より

羽仁もと子と自由学園

 刻々と変化する社会の中で、「生きる力」を育むため、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実によって「主体的・対話的で深い学び」を実現することが求められている。自ら課題を見つけ、学び、考え、行動する力を育むことが今日の教育の目標とされている。

 新しい教育を模索する際、しばしば参照されてきたのが明治の終わりから大正期にかけて起こった大正新教育と呼ばれる一連の教育改革運動である。大正新教育においては、明治以来の暗記中心・知識偏重の画一的な教育に対して、教師の権威から子どもを解放し子どもの自由を重んじる実践が様々な形で展開された。昨年創立100周年を迎えた自由学園も、そうした実践から生まれた学校の一つである。

 創立者である羽仁もと子は1873(明治6)年、青森県八戸市の旧士族の家に生まれた。東京府立第一高等女学校と明治女学校に学んだ後、報知新聞社に入社し女性新聞記者の草分けとして活躍した。女性の職業が限られていた時代に、もと子は自らの手で道を開拓していった。

 もと子は同社で出会った羽仁吉一と結婚。その後退社し、吉一とともに雑誌『家庭之友』(現在の『婦人之友』)を創刊した。自ら家庭生活を営む中から生まれる様々な問題を取り上げ独自に研究するとともに、「家計簿」を考案するなど生活に役立つ知識を読者に提供していった。娘が生まれると育児や教育の問題に関心が向けられるようになり、やがて自身の理想とする教育を実現したいと願うようになっていった。


羽仁もと子と羽仁吉一

生活そのものとしての教育


開校式

 1921(大正10)年、もと子は三女・恵子の女学校進学を機に、東京・目白に自由学園を創立した。高等女学校に相当する本科(5年)と高等女学校卒業者を対象とする高等科(2年)を設け、「新時代の女性として必要なる教育を為す」(「自由学園設立申請認可案」)ことを目指した(その後本科と高等科はあわせて女子部となり、1927年に初等科、1935年に男子部、1939年に幼児生活団、1949年に最高学部を開設し、現在に至っている)。

 自由学園の基本となる方針は「生活即教育」である。もと子は娘たちの学校経験から、「殆ど型ばかりで実力のつかない、また我々の実際生活と没交渉な教育法」(「『自由学園』の創立」)を改めたいという考えを持っていた。そのため、学校での学びと生徒自身の生活とのつながりを重視したのであった。

 生活を通して学ぶことこそ生きた学問であるとの考えの下、自由学園では「自労自治」の生活教育が実践された。例えば、毎日昼前の1時間には「実際科」という科目が置かれ、昼食づくりのほか、洗濯や裁縫、鶏の飼育などの仕事が分担して行われた。

 また、関東大震災(1923年)での救援活動をきっかけに創設された学生委員会には三つの部が設けられ、食事部は献立の作成や食材の仕入れ、台所器具の管理などを、整理部は校舎の掃除や簡単な修繕、園庭の管理などを、経済部は消耗品や器具類の購入、学費の集金や経常費の支出管理などを担当した。このほか、美術展覧会や音楽会などの行事の際にも委員会が組織され、会場の手配や切符の販売などを含む企画運営を生徒たちが行った。

 このように、もと子の目指す「生活即教育」とは単に生活の中に題材を見つけることではなく、生活を営むことそのものによって教育を行うことであった。衣食住の環境を整え、生活を改善していくこと。社会とのかかわりの中で生活を営み、自分たちの考えを発信すること。そうした日々の営みの中で、学科の勉強から得た知識や技術が実際の生活に生かされ、生活がよりよいものになっていく。失敗すれば、それが次の問いとなり、新たな学びにつながる。そうした試行錯誤の連続によって、生徒たちは自分たちの手で生活を営むこと、自分たちの手で社会に働きかけることができることを学んでいったのである。


(上)羽仁もと子と生徒たち

(下)料理をする生徒たち

違いを認め合い、協力する

 「自労自治」の生活を支えたのが、「家族」を中心とする人間関係であった。「家族」とは5〜6人からなるグループで、学園での生活は基本的にこの「家族」を行動単位としていた。もと子は創立の際、これまでの学校とは違った「全く新しい家庭的友情的気分」(同前)の中で教育を行いたいと述べているが、「家族」はその具体的な表れの一つであった。

 「家族」という名前ではあるが、それは単に親しい人、仲の良い人の集まりではなかった。むしろ反対に、「気の合わない人とも、どうしたら互に自己を没却することなしに親しんで行かれるかを学ぶ」(同前)ことが目的とされた。そのため、「家族」のメンバーは半年ごとに入れ替えられた。互いの性格や考え方の違い、能力の違いを認め合いながら「一家族は相互の健康にも、学問の進歩にも、気分にも気をつけ合って、共に進歩して行く」ことが目指された(同前)。

 この「家族」を中心とする生活の中で生じた様々な問題を話し合う場として、もと子は週に一度「懇談」の時間を設けた。「懇談」の時間には「家族」ごとに集まり、「友達との交わりの中での小さないさかい、よくないことをしてしまったと気にかかること、嫌(いや)だと思ったこと」(『自由学園の歴史I』)など、一週間の出来事を報告した。もと子はこれらの報告を一つ一つ聞き、生徒たちの意見に耳を傾けながら、解決に向けてともに話し合った。

 卒業生の記録によれば、ある日の「懇談」の時間にはクラス内の人間関係が固定化していることが問題になった。それに対してもと子は、「好きな人とばかり一緒にいると、互いの長所も欠点も分からなくなる。クラス全体を考える広い心を持つことも出来なくなる」、「人の長所から学んだり、足りない処を注意し合ったり」して「協力の経験をクラスにも学校全体にも拡げていくように」と語っている(同前)。このように日々の衝突を乗り越えていく中で、生徒たちは互いの意見を聞くこと、そしてそれぞれの違いを認めた上で協力し合うことの大切さを学んでいったのであった。


(上)掃除をする生徒たち

(下)食堂での食事

他者と協力しながら進歩する自由

 なぜ面倒な仕事を自分たちでするのか、なぜ煩わしい人間関係の中で生活しなければならないのか。その目的は「真の自由人」を育てることにあった。

 もと子は後年、「真の自由人をつくりだすことこそ、真の教育の目的である」(「教育の目的とその方法」『羽仁もと子著作集』第18巻)と述べている。冒頭に述べたように、当時の新教育運動においては子どもの自由の尊重が謳われたが、もと子の言う自由とは単なる抑圧からの解放ではなかった。

 もと子は、「真の自由人」とは「神の造(つく)りたまいしままに、神の力と人の力で生活しつつ育ちつつある」人のことである、と述べている(同前)。ここで神と言われているのは、もと子自身がキリスト教を信仰していたことと関係している。もと子は60年以上毎日欠かさず聖書を読み、そこに書かれていることを考え抜いた。そうした中から、もと子は、一人一人の性格や能力は違ってもすべて神から与えられたものである、持てるものを出し合って互いに成長し社会を進歩させていくことこそ、真の自由であり使命であるとの考えを持っていた。したがって「真の自由人」とは、与えられた能力を生かし、互いに協力しながら自らを成長させ、社会を進歩させていくことのできる人を意味していた。

 しかし、はじめからそうした考えが生徒たちに受け入れられたわけではなかった。創立当初は自由の意味を取り違えている生徒も多く、互いの理解に至るまでに苦労したことを、もと子は振り返っている。自由を伝統や規範からの解放と捉えて好き勝手に振る舞う生徒がいたり、仲の良い友人以外とは協力しようとしない生徒がいたりした。また、仕事に対する熱意や能力の差からいさかいが起こることもあった。そうしたことが起こるたびに、どうすればその問題を解決できるかが話し合われ、その方法が模索された。

 自分たちで生活を営んでいく中でぶつかる様々な問題を通じて、自己と向き合い、他者を知ること。問題解決のためには、それぞれの特徴を認め合った上で協力する必要があること。その過程で各人の成長がもたらされ、社会が進歩していくことを、もと子は生徒自身の経験によって学ばせようとしたのだった。

生徒を信頼し、互いに学び合う


初等部の子どもたちに囲まれる羽仁夫妻

 教師の思惑から子どもを解放し、子どもの自由を尊重する。知識の詰め込みではなく、経験による学びを重視する。新教育が掲げたこうした命題は、いまでは教育のスタンダードとなっている。しかし、それは口で言うほど簡単なことではない。どれほど周到に準備をしたとしても、子どもがその経験から何を発見し何を学ぶかは予測困難だからである。

 子どもが個々の経験から何を発見し何を学ぶかは、誰にもわからない。教師が学びのレールを敷いてその上を歩かせようとすれば詰め込み教育になってしまうが、そうかと言って経験さえさせれば何でもよいというわけでもない。こういう人に育って欲しいという確固としたビジョンを持ちつつ、子どもを信頼して任せることが教師には求められるのではないだろうか。もと子はこんな言葉を残している。

教育は交わりである。よく交わるものはもっともよく教育される。おとなが子供を教えるのでなく、共に交わりつつ相互いに教育される。

「教育は交わりである」『羽仁もと子著作集』第18巻より

 子どもに任せれば予定通りに授業が進まないことも当然あるだろうし、こちらが学んで欲しいことになかなかたどり着かないこともあるだろう。しかし、それをコントロールしたい気持ちをぐっとこらえ、子どもに任せてみれば、時間はかかるかもしれないが子どもたちはいずれ問題解決の糸口を見つけ出すだろう。すぐに正解にたどり着けなくても、試行錯誤を繰り返しながら学んだことは必ず子どもたちの力になる。自分を知り、相手を知り、それぞれの違いを認め合った上で、互いに協力しながら進歩する。「真の自由人」は、そうした経験の積み重ねの中から育っていくのかもしれない。

 子どもの「自ら教育する」力を信頼して、ときに子どもからも学ぶ姿勢を、私たち大人は忘れずにいたい。

[参考文献]
・『羽仁もと子著作集』(全21巻)婦人之友社
・『本物をまなぶ学校自由学園』『自由学園一〇〇年史』いずれも婦人之友社、2021年
・橋本美保・田中智志編『大正新教育の実践(プラクシス)一交響する自由へ』東信堂、2021年

*自由学園の現在および創立当時の様子は以下のWebサイトで紹介されている。
・自由学園Webサイト https://www.jiyu.ac.jp/
・創立100周年記念サイト https://www.jiyu.ac.jp/100th/

〔本文写真〕自由学園資料室所蔵

 

 

Profile
相田まり あいだ・まり
 1990年生まれ。明治大学政治経済学部卒、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学中。山梨学院短期大学保育科講師。大正新教育の実践の一つである自由学園に着目し、自己を生きつつ他者と協力することのできる人間を育てようとした羽仁もと子の思想について研究している。

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