異見・先見 日本の教育 メディアと教育の両輪駆動を

トピック教育課題

2022.08.01

異見・先見 日本の教育
メディアと教育の両輪駆動を

映画監督・作家
森 達也

『教育実践ライブラリ』Vol.1 2022年5

あなたはあなたが食べるもの

 You are what you eat.

 あなた(の身体)はあなたが食べるもの(からできている)。

 とても有名なフレーズだ。ただしこの箴言の前提は、あくまでもフィジカル(身体)だ。

 ならばメンタルはどうか。つまり内面。

 What are your thought and beliefs made up of?

 あなたの思想信条は何からできているのか?

 答えはひとつではない。でも今のロシアや北朝鮮について、あるいはかつてのこの国について考えれば、二つの圧倒的に重要な要素を、誰もが思いつくことができるはずだ。

 そのひとつはメディア。そしてもうひとつは教育。

 この二つは不可分の関係にある。メディアはしっかりと民主的に機能しているが教育は不充分である、という状況はありえない。教育は理想的だがメディアが問題外に低劣である、という国もないはずだ。

 なぜなら成熟した教育は、全方位的なリテラシーを鍛える。ものの見方の多面性を向上させる。教育が行き届いてリテラシーが成熟した社会において、メディアが向上しないはずはない。つまりこの二つは両輪。メディアと教育がしっかりと駆動するならば、その社会や国家が大きな過ちを起こすことはないはずだ。

謝罪ではなく記憶することの重要性

 現在の僕の肩書は映画監督・作家だが、昨年まではここに、明治大学特任教授の記述もあった。つまり(きわめて中途半端ではあるけれど)自分自身も教育現場に身を置いていた。

 数年前、日韓関係をテーマに授業でディスカッションしていたとき、閔妃暗殺事件について僕は言及した。もちろんあなたはこの史実について知っていると思うけれど、念のため概要を以下に記す。

 1895年10月8日早朝、日本の公使だった三浦梧楼が率いる日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊などが凶器を携えながら朝鮮王宮に乱入し、李氏朝鮮高宗の妃である閔妃(明成皇后)を後宮で殺害し、さらに遺体にガソリンをかけて焼却した。事件後に主犯の三浦梧楼を含めて加担した48人は日本に召還されて被告人となったが全員は免訴となり、その後に三浦は枢密顧問官など日本政府の要職を歴任している。とてもシンボリックであると同時に衝撃的な事件だ。しかしゼミ生たちの反応は薄い。いや薄いとかのレベルではなく、きょとんとしている。閔妃の名前を知らないのだ。ならばもちろん、事件を知るはずもない。

 ゼミ生の総数は25名。この年は韓国の留学生が一人いた。もちろん彼女は、この事件について知っていた。ディスカッションが終わるころ、「日本人学生たちがこの事件について知らないことにショックを受けています」と留学生は言った。いつもはにこにこと笑顔を絶やさない彼女だけど、このときは表情がこわばっていた。

 歴史を学ぶ最大の意味は何か。同じ失敗を繰り返さないためだ。だからこそ過ちや失敗の記憶は大切だ。ところが近年のこの国では、こうした記憶の継承が自虐史観として、忌避される傾向がとても強くなっている。

 2015年8月、安倍首相(当時)は戦後70年談話を発表し、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている。いつまで謝罪しなければならないのか。おそらくこれは、保守的な思想を持つ多くの日本人の気持ちの代弁でもあるだろう。でも韓国や中国などかつて日本から加害されたアジアの国の多くは、決して謝罪や賠償だけを求めているわけではない。

 彼らの本意は、謝ってほしい、ではなく、忘れないでほしい、なのだ。

 しかし日本は記憶しない。閔妃暗殺事件や南京虐殺、従軍慰安婦だけではない。300人以上のオーストラリア・オランダ兵捕虜が殺害されたラハ飛行場虐殺事件、市民10万人が殺害されたマニラ大虐殺、3000人以上を人体実験で殺害した731部隊。まだまだいくらでもある。日本国や日本人がかかわった虐殺は決して少なくない。

 安倍政権は2006年に教育基本法を改変して「愛国心条項」を加え、さらに2014年4月の教科書検定基準改定では、「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」との規定が示された。これを根拠に菅政権は2021年4月、「『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招くおそれがある」「『強制連行』又は『連行』ではなく『徴用』を用いることが適切である」などとする2通の答弁書を閣議決定した。

 その後の国会審議でも、教科書における「従軍慰安婦」「強制連行」などの記述について「今後、そういった表現は不適切ということになります」などの政府答弁がなされ、同年5月に文部科学省は、教科書会社を対象にした説明会で訂正申請のスケジュールを具体的に呈示した。つまり訂正申請することを指示した。明らかに戦後教育の大きな転回であり、政治権力による教育への介入だ。しかし異議の声は弱い。同年10月までに教科書会社7社が訂正申請を行い、「従軍慰安婦」「強制連行」など計41点にわたって、記述の削除や表現の変更が行われた。

 国の歴史は個人史と同じだ。確かに失敗や挫折の記憶はつらい。できることなら忘れたい。なかったことにしたい。でもそれでは人は成長しない。

 負の歴史を教えてほしい。自虐史観だともしも言われたら、自虐で何が悪いと胸を張ってほしい。失敗は当たり前だ。それを知ることで反省できる。教訓を学んで人は成長する。国や民族も同じはずだ。

視点が変われば世界も変わる

 あなたはテレビを観ている。アフリカのサバンナのドキュメンタリーだ。主人公は一匹のメスライオン。最近三匹の子どもが産まれたばかりだ。

 でもこの年のアフリカは、乾季が終わったのに雨がほとんど降らない。草食のインパラやトムソンガゼルたちはばたばたと飢えで死んでいる。だから母親になったばかりのライオンも獲物を見つけられず、母乳も出ない。その日もメスライオンは、衰弱してほとんど動けない子どもたちを残して狩りに出る。二匹のインパラを見つけた。大きなインパラを追いかけるほどの体力は残っていないが、小さなほうなら何とかしとめることができるかもしれない。

 メスライオンは風下からゆっくりとインパラに近づいてゆく。このときテレビを観ながらあなたは、狩りが成功しますように、と祈るはずだ。成功すればメスライオンの体力は回復し、お乳も出るようになるはずだ。ならば死にかけた三匹の子ライオンたちも生き延びることができる。がんばれ。あなたは思う。狩りが成功しますように。

 次に視点を変える。主人公は子供を産んだばかりのメスのインパラだ。その年のアフリカは干ばつで草が生えない。母と子は飢えている。しかも群れから離れてしまった。母と子はわずかな草地を見つける。これで数日は生き延びることができる。母と子は夢中で草を食べる。そのとき、遠くからそっと近づいてくる痩せ細った狂暴そうな一匹のライオンの姿をカメラは捉えた。母と子のインパラは気づかない。ライオンは近づいてくる。このときあなたは何を思うだろう。早く気づけ、と思うはずだ。狂暴そうなライオンに襲われる。食べられてしまう。早く逃げろ。気づけ。そう思いながら、あなたは手を合わせるかもしれない。

 この二つの作品は、まったく同じ状況を撮影している。違いは何か。カメラの位置だ。つまり視点。どこにカメラを置くかで、映し出された世界はこんなに違う。そしてその映像を観たあなたは、まったく違う感情を抱く。

 これが情報の本質だ。

 世界はとても多面的だ。多重的で多層的。どこから見るかで景色はまったく変わる。あなたがスマホでチェックするニュース、あるいはツイッターやラインで誰かが書いた情報、テレビニュースや新聞記事も、すべて構造は同じだと知ってほしい。難しい話ではない。19世紀のドイツに生まれたフリードリヒ・ニーチェは、以下の箴言を残している。

 事実はない。あるのは解釈だけだ。

 すべての情報は解釈。そして解釈とは、その事実に接した記者やカメラマンやディレクターの視点。あるいは思い。それが情報としてパッケージ化されて伝えられる。

 せめてこのくらいのレベルは、できるなら中学や高校で教えてほしい。今の若い世代はデジタルネイティブだ。生まれたときからスマホが手元にあった。ネットは日常のインフラだ。だからこそリテラシーの獲得は最優先事項だ。

匿名と実名に現れる民意

 やはりゼミの授業中、少年が加害者となった事件が報道されたとき、多くの学生から「なぜ加害者の名前は隠すのに被害者の名前は公開されるのか」「バランスが変です」などと質問された。

 少年の名前や顔写真などを報道しない理由は、高い可塑性を持つ少年から更生の機会を奪うべきではないとの精神を掲げる少年法によって、過剰な報道が抑制されているから。ちなみにこのルールは、近代司法国家ならば、ほぼすべてが共有する世界のスタンダードだ。

 僕は学生に答える。加害者と被害者はシーソーに乗っているわけではない。片方が下がれば片方が上がるわけでもない。こうした事件の報道で考えるべきは、加害者や被害者の名前や顔写真を報道することの意味だ。

 僕たちは実名報道の国に生まれた。この国は江戸時代に刑罰の一環として、罪人の市中引き回しを行っていた。今は町奉行ではなくメディアが、その役割を果たしている。でも世界に目を転じれば、ヨーロッパの多くの国は加害者も被害者も匿名で報道する(もちろんこれは原則であり、政治家など影響力の大きい公人の犯罪や疑惑の場合は実名で報道される)。韓国や中国も匿名報道が原則だ。彼らは言う。事件の内実や骨格を知って理由や背景を考えることは大切だ。でも加害者や被害者の名前や顔を晒すことが、事件の本質に結びつくとは思えない。それは被害者遺族や加害者の家族を苦しめるだけなのだと。

 もちろん、事件の固有性をしっかりと伝えると同時に、捜査権力の情報独占と不正を防ぐなど、実名報道にも論理と意義がある。単純な問題ではない。だからこそ新聞やテレビなど伝える側も伝えられる側も、もっともっと悩むべきだ。

 他者に対して実名を求めながら多くの日本人は、自分自身は匿名であることを好む。ツイッターなどSNSの匿名率は(総務省によれば)、アメリカやイギリス、韓国など多くの国が30%台であるのに、日本は75.1%と圧倒的だ。おそらく世界一だろう。隠れて誰かに石を投げる。言葉で攻撃する。標的を罵倒しながら追いつめる。自分自身は名前を出さずに集団の一部になりながら、特定の誰かについては名前や顔写真を公開することを迫り、「死ね」とか「消えろ」などと罵声を浴びせる。多数派による暴力。要するに学校のいじめが社会全般で起きている。

メディアとリテラシーの歴史

 つい百数十年前まで、メディアの主流は新聞や書籍など文字メディアだった。そして20世紀初頭に誕生した映像のメディア(映画)と通信のメディア(ラジオ)は、とても強い影響力を獲得した。

 なぜなら文字メディアを理解するためには、識字能力が必要だ、つまり教育。ところが20世紀以前、教育を受けることができる人たちはとても少なかった。だから文字メディアがあっても意味をなさない。でも映画とラジオは、教育を受けていなくても理解することができる。これは画期的だ。こうして20世紀初頭、映画とラジオは世界中の人たちに熱狂的に迎えられて、人類はマスメディアを獲得する。情報がもっと行き来すれば、格差や戦争もいつかはなくなる。自分たちの生活も豊かになる。そう考えた人は多かった。でも現実は逆に動いた。

 ファシズム(全体主義)の台頭だ。代表はドイツとイタリアと日本。この時代以前にファシズムは歴史に登場していない。なぜならファシズムを実現するためには、メディアを使ったプロパガンダ(政治的な宣伝)が不可欠であるからだ。誰もが理解できるマスメディアが誕生したことで、特定の政治的な意図のもとに、主義や主張、あるいは敵対している国やその指導者の危険性などを、自国民に何度も強調して刷り込むことが可能になった。

 もしもこのとき多くの人が、ライオンから見た視点とインパラから見た視点では世界はまったく違うことを理解していれば、プロパガンダは簡単には行われなかっただろう。でもマスメディアが誕生したばかりのこの時代、メディア・リテラシーを持つ人などほぼいない。与えられた情報を事実だとそのまま受け取ってしまう。

 こうして独裁と戦争の時代が始まる。結果として枢軸国側は敗れて連合国側が勝利したが、戦後に映画とラジオは融合し、テレビジョンが誕生する。さらに近年は、国境や地域を簡単に飛び越えてしまうインターネットが、メディアにおける新たな要素になった。

 だからこそ知ってほしい。メディアは便利だけどとても危険でもある。多くの人が情報によって苦しみ、命を奪われてきた。情報を受け取るだけではなく発信できる時代になったからこそ、正しい使いかたを知らねばならない。言葉の暴力性も学ばなくてはならない。

 まとめよう。負の歴史を見つめること。記憶すること。そしてメディア・リテラシーを身につけること。メディアの弊害を覚えること。世界は多面的で多重的で多層的であることを知ること。だからこそ豊かなのだと気づくこと。

 こうした要素を少しでも付加してくれれば、今の教育現場もより豊かになると信じている。

 

Profile

森 達也 もり・たつや

 広島県呉市生まれ。オウム真理教の信者を被写体にしたドキュメンタリー映画『A』は1998年に劇場公開され、ベルリン国際映画祭など多数の海外映画祭に招待された。2001年には映画『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。映画作品は他に『Fake』、『i~新聞記者ドキュメント』など。2011年『A3』(集英社インターナショナル)が講談社ノンフィクション賞を受賞。他の著作に、『放送禁止歌』(智恵の森文庫)、『いのちの食べかた』『死刑』(角川文庫)、長編小説作品『チャンキ』(論創社)、『すべての戦争は自衛から始まる』(講談社文庫)などがある。近著は『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)。2023年には劇映画を公開予定。

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