異見・先見 日本の教育 画一性から抜け出さんとあかんのとちゃうか〜 せやろがい!

『ライブラリ』シリーズ/特集ダイジェスト

2022.04.20

異見・先見 日本の教育
画一性から抜け出さんとあかんのとちゃうか〜 せやろがい!

お笑い芸人・YouTuber
榎森耕助(せやろがいおじさん)

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.5 2022年1月

自分の考え方や意見に対する距離感

 近年SNSで社会問題に対しての思いのたけを叫んでいる僕ですが、中学・高校とバスケットボール部でキャプテンを務めていて、わりと輪の中心で話をするポジションだったので、その頃から自然と自分の意見を言うようにはなっていました。ただ、話している内容やどういう心持ちで話しているかというのは、今とは結構違います。

 当時は、わりとプレイの面でも僕が引っ張るところがあったので、断定的に「やれ!」「これをせなあかんやろ!」といった感じの物言いをしがちでした。僕に対して「やだな」とか「なんかこいつしんどいな」とか思っていた人はきっといたのでしょうが、直接それを抗議されたこともなければ、不快感を与えてしまったことでトラブルが表面化してしまったというようなこともなかったので、僕自身も好き勝手に言いたいこと言って、自分が気持ちいいようにふるまっていたところはあると思います。

 それが変わるきっかけとなったのは、大学に入ってお笑い芸人を始め、お笑い事務所に入ったこと。事務所の定期ライブが毎月あり、その催し物の稽古をしている過程でいろんな意見が出るんです。「これはこうしたほうがいいんじゃない? あそこはもっと変えたほうがいいんじゃない?」と。

 その事務所でもリーダーをしていたので、みんなの意見をまとめ自分でも意見を言ったりするのですが、みんなの意見をはねのけて自分の意見を採用したら舞台でめっちゃスベるということがあった一方で、お互いの意見をええとこどりした結果すごいウケるということも。「自分が正しいと思っていることが必ずしも正しいものじゃないし、相手の意見をはねのけるんじゃなくて自分の意見とうまくミックスすることでよりよい意見になることってあるなあ」ということを学び、自分の考え方や意見に一定の距離をとれるようになったので、この経験は非常に大きかったと思います。

 それから時を経て現在の僕のスタンスとしても、「僕の考え方に染まれ」「これが絶対正しいやろ」みたいな言い方にはならないように気を付けています。「俺はこう思う。あんたたちはどう思う? 考えてみいひんか」とか、「こんなこともあるみたいやけど、どない思う?」などと語尾を丸めるように。

 僕と意見が違う人が「いや、俺はこう思う」と言ってくる分にはまったく問題ないですし、「ここが間違っていますよ」などとファクトを指摘してくださる声はむしろありがたい。ただ、マウントを取ったり、強い言葉で黙らせようとしたりすることを目的として言ってくる人達は、僕の中では一番対峙するべき存在として位置付けています。

 強い言葉を浴びせかけたのを見た人が黙っちゃうような、その件について語らなくなっちゃうような、黙らせようとする人達だけが「お前黙れ、お前黙れ」と言う殺伐とした言論空間はよくないなと思うので、「そういう人達に屈さないぞ、黙らされないぞ」「俺はお前らみたいな言葉の使い方はせんぞ」という気持ちでやっていたりはします。また、相手がガツンと来たとしても、「俺はこう思うよ」って穏やかに言ってみたらふつうに言葉を交わせるようになるということもあります。もちろん、そうはならないときもあるのですが……。

失敗は成長のために絶対必要なこと

 大学生時代、実は途中までは教員を目指していて、教育実習にも行ったことがあります。

 そんな僕が教員の道を諦めた理由が三つあって、一つ目はシンプルにきついなと思ったこと。先生方の働く環境を見ていたら「ここで何十年も働くのは無理やな」と。二つ目は多感な時期の生徒さんを相手にするのが僕自身つらいなと思ったこと。

 そしてもう一つは時間軸です。教員というのは、生徒に言葉をかけてもそれが伝わって生徒の身になったかどうか分かるのは何十年後だったりするし、結局分からなかったということさえありますよね。逆に芸人という仕事は、言葉を発して伝わったか伝わっていないか、響いたか響いてないかがその場でレスポンスとして返ってきます。そういった意味で、「教員みたいに気長に言葉のレスポンスは待てへんな。芸人のほうがすぐレスポンス返ってくるし面白いんちゃうか」とも感じました。

 だから、先生方がそういった労働環境の中でも生徒のために頑張って、多感な時期の生徒もしっかり相手にし、自分のかけた言葉がどこで咲いているか分からないけど気長に種を蒔いて水をやり続けるというのは「本当にすげえな」と、めちゃくちゃリスペクトしていますよ!

 もしも僕が教師になっていたとしたら、とにかく失敗できる環境を整えたい。今の時代は、自分と意見が違う人達とうまくコミュニケーションが取れないことによって、語りづらさとかしゃべっちゃいけない変な同調圧力みたいなものが生まれていると思うんです。

 自分と違う意見の人達と言葉を交わす、コミュニケーションをするという機会を設ければ、ネガティブな気持ちが起きてしまったりちょっと傷付けてしまったりということも当然ありますが、そういうことを積み重ねることで、「じゃあ、こういう話し方をしたら建設的な話し合いができるんちゃうやろか」といったことが身に付いてくるのではないでしょうか。「その失敗こそが、いろんな人とコミュニケーションをとれる自分になるための糧なんだよ」と伝えられるような環境にしたいと思います。

 差別発言やハラスメントをした政治家や有名人が、「そんな意図はなかった。誤解を与えたならごめんなさい。嫌な気分にさせたならごめんなさい」という謝り方をよくしているのを耳にしますよね。これは一見謝っているようで、実は、謝罪するポイントを自分の中にある問題から相手の感じ方(起きた現象)にすり替え、自分の問題に対して目を背けていて、そこについては謝罪ができていないわけです。

 自分の非や間違いを認められない精神状態で反省ができないから成長もしていかない。子供の頃から「自分の意見だけが正しいわけじゃないし、自分も失敗する人間なんだ」ということを認めて成長していくということが、プロセスとして非常に大事だと思うんです。その意味で「失敗してもええやん、むしろ成長のために絶対必要なことやし」と、失敗に対するイメージをもっとポジティブにするということに取り組みたい。でも実際のところ教員にはなれないので、「世の中の先生方、お願いします!」って感じですね(笑)。

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