「こども哲学」入門 [最終回]「こども哲学」の未来

トピック教育課題

2022.05.30

「こども哲学」入門 [最終回]「こども哲学」の未来
立教大学教授 
河野哲也

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.6 2022年3月

探究と成長

 これまで、こども哲学の解説をしてきましたが、探究と問いに終わりがないことの重要性を、もう一度、指摘させていただきたいと思います。探究とは、すでにどこかに存在している真理を見付け出すことではありません。探究とは、問いを創造し、その答えも創造する制作的な活動なのです。探究するとは、何かを制作しながら、自分自身も制作していこうとする、自分自身を作り変えていこうとする活動です。対話においては自分の考えを変えていくことが本質的だと、これまで述べてきました。探究は創造的な活動です。だから終わりがないのです。

 何かを探究することは、「どうしてだろう」「なぜだろう」と問い続けることです。こどもは自分の未熟さを知っています。こどもの好奇心と探究心は、この未熟さの自覚に強く結び付いています。大人になってあなたが、探究心と問いを立てる気持ちを失っているとすれば、それは現状に甘んじて、何かを改善しようとする努力や、自分を成長させようとする気持ちをもう失いかけているからではないでしょうか。「哲学」とは、特定の科目や学問の分野、学説を指す言葉ではありません。哲学とは、以上に述べた「探究」の別名なのです。「哲学する」とは、何かを探究し、自分を作り変えていく人間の本質に根ざした活動です。それはあらゆる学問の根底にある態度のことです。

教育の目的

 教育の目的とは何でしょうか。教育とは、(こどもに限らず)誰かの学びを支援することです。学ぶとは成長することです。成長とは、新しい自分を創造することです。したがって、教育とは、人間の創造性を活性化することです。創造的に生きる人間は、生き生きとしています。いつもワクワクしています。どんなに地位や収入を得ても、いつも、生き生き、ワクワクしていなければ人生は虚しいものに思えてきます。創造性、すなわち自分を作り変えていくことこそが、人間にとって最も大切なものです。

 このように言うと、教育とは社会の一員を作ることではないのか、現代の教育とは市民社会の構成員を育てることではないのか、という指摘があるかもしれません。しかし人間の社会とは、それぞれの人間が創造的に生きていくための共同のプラットフォームであるべきです。その一員になるということは、創造的な活動を支援し刺激するためのプラットフォームの制作に参画するということでなければなりません。そうでなければ、私たちが集合して生きていることにどのような意味があるというのでしょうか。

 私が指摘したいのは、大人が一方的に、こどもを自分の思い通りの存在に成形しようとすれば、こどもも自分も創造性が萎縮してしまうということです。こどもはやる気をなくし、大人は自分自身を見捨てています。大人が今なすべきは、むしろ、こどもから学ぶことです。こども哲学はその機会を与えてくれます。

こども性を養うこと

 「こどもであること」、言うなれば、「こども性」は、大人になるための準備段階や通過点では決してありません。こども性は、忘れ去られたり、捨てられたり、乗り越えられたりするようなものではなく、私たちの存在の根底にあり続けている人間の条件のようなものなのです。こども哲学の創始者の一人であるガレス・マシューズは、こどもが世界と接触することで感じる「センス・オブ・ワンダー」、いわば、「驚きと不思議の感覚」こそが哲学の根底にあるものであり、人間が人間であることの基盤をなすものだと喝破しました。こどもと哲学的な対話をすることによって、世界の感じ方、世界との出会い方、問いの作り方を習うのは、むしろ大人たちです。こども哲学とは、大人がこどもから、自分を生き返らせる仕方を学ぶ活動だとさえ言えるでしょう。

 教育とはこどもを大人へと変容させることではありません。現在流通している知識や社会、評価の枠組みを、こどもに受け入れさせることが教育なのでは決してありません。教育とは、こどもの感受性と創造性を温め、養い、ケアし、大人になってもそれらを維持できるようにする活動なのです。教育とは、こども性を生かし続けるための行為です。それは、自分の創造性、その生き生きとした感覚、ワクワクとした気持ちを保ち続けることを学ぶことなのです。

こども哲学と社会

 どうぞ、読者の皆さんは、こどもたちと「ゆっくり」と話し合い、「のんびり」と考え合う時間をとってください。本当に深く考えて、その思いを伝え合うためには、たっぷりの時間が必要です。「スクール」の語源であるラテン語の「スコレー」とは、もともとは「余暇」という意味です。腰を据えて、少しずつ話を進める時間の中で、よい考えがみんなの中から熟してくるのを待つことが、こども哲学では何よりも大切です。何でもたくさん忙しくこなして、何かを達成した気になっても、どこか気持ちに疲れが溜まってくるとするならば、それは、自分のやっていることに「やらされている」感があり、生き生き感やワクワク感がないからではないでしょうか。

 こども哲学のゆっくりした時間の流れの中では、これまでは発言しなかったこどもが発言するようになります。引っ込み思案だったこどもが対話をリードし、少々落ち着きのないこどもが人の話を聞くようになり、緘黙気味だったこどもが最後に突然に話し始めます。それまで誰よりも先に手を上げていたこどもが、手を上げずに考え始めるようになります。そうしてこどもたちは、普段とは違う、それまで表面には出さなかった自分の考えを話す友人の姿を見て、友人が自分とは独立の人格であることを認めるようになります。対話は、異なった人間が、同じテーマに取り組むことです。そこは、人格の尊厳という最も大切な価値を学ぶ場でもあるのです。こどもの人格を尊重しながら、深く考える対話を試されてはいかがでしょうか。

 

 

Profile
河野 哲也 こうの・てつや
 立教大学文学部・教授、博士(哲学)、慶應義塾大学。日本哲学会理事、日本学術会議連携委員。専門は、現代哲学と倫理学、近年は環境問題を扱った哲学を展開している。「こども哲学」を、未就学児から高校生まで対象として、全国の教育機関や図書館で実践している。著作『人は語り続けるとき、考えていない:対話と思考の哲学』(岩波書店、2019)、『じぶんで考え じぶんで話せる:こどもを育てる哲学レッスン・増補版』(河出書房新社、2021)など。

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