Leader’s Opinion~令和時代の経営課題~

妹尾昌俊

Leader’s Opinion ~令和時代の経営課題~ [今月のテーマ]必要な校則とは何か 必要な校則、必要のない校則 妹尾昌俊

トピック教育課題

2022.05.11

Leader’s Opinion ~令和時代の経営課題~
[今月のテーマ]必要な校則とは何か
山本宏樹+妹尾昌俊

教育研究家
妹尾昌俊

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.5 2022年1月

必要な校則、必要のない校則

 下着の色まで指定する、髪の毛を染めさせるなど、行き過ぎた校則や指導が社会問題となっている。

 実は「校則を守らなければならない」ということは、どこの法令にも書いていない。学校生活の中ではいかにも強そうに見える校則だが、根拠となる法令はない。

 ただし、学校は学習する場であるし、多くの子どもたちが共同で長い時間を過ごす場でもあるので、一定のルールが必要な場合はある。そのため、これまでの裁判例では、学校が教育目的を達成するために校則を制定することは認められてきた。

 ただし、これまでの裁判例の多くが学校(校長)の裁量を広く認め過ぎているという批判はあるし、「社会通念上合理的と認められる範囲」で校則を定めてもよいと裁判所はよく言うのだが、非常に曖昧な内容にとどまっている。

 そこで、以下では、校則を見直す上での考え方を整理した上で、必要な校則と必要のない校則を仕分ける(見分ける)視点について提案したい。

自由を制限するのは最小限であるべき

 まず、大前提となる考え方を3点共有したい。

 第一に、自由を制限するのは必要最小限度であるべき、という考え方だ。

 人類のこれまでの歴史を振り返ると、時の権力者や社会に、個人あるいは集団の思想や活動の自由が大きく制限され、これが数々の不幸を生んだ。こうした反省のもとに、いまの日本国憲法をはじめとする法はつくられている。

 学校の役割とは何か。この答えは幾通りもあってよいが、ひとつ外せないのは、自分と他者、お互いの自由を尊重していくということを教え、学ぶことにあるのではないか。教育哲学者の苫野一徳氏は「自由の相互承認」の感度を育む場が教育であると述べている。

 その教育現場の一部で、ともすれば校則を守ること、あるいは守らせることが目的化し、児童生徒の自由を安易に制限しようとしていることは、大きな問題である。

 第二に、合理的な理由がきちんと説明でき、児童生徒が(また保護者も)納得できる校則であればよいが、そうではないルールを押しつけることは、子どもたちの教育上もマイナスである。校則問題に取り組んでいる荻上チキ氏は、こう述べている。

 暗黙のうちに、「年上や先生には逆らってはいけない」「和を乱してはいけない」「理不尽なルールであったとしても、それに従う方が個人の権利を主張するより重要だ」という価値観を子どもたちに伝えている。「社会のおかしなルールは変えられる」という考えを失わせ、「声を上げる人は生意気で痛いヤツ」という感覚を育ててしまう。(東京新聞2019年12月30日)

 つまり、「教師の言うことには黙って従え」ということが暗黙のメッセージ、「隠れたカリキュラム」になっている可能性がある。学校教育目標や日頃の指導の中でいくら「自律」や「自ら考える力」が必要だなどと言っても、矛盾したものとなる。

 第三に、基本的には法に触れることは法で解決できる話だから(例:人のものを盗まない、他人を傷つけてはいけない)、校則の出る幕がどこに、どこまであるのか、考える必要がある。

必要な校則と不要な校則を仕分ける

 以上の少なくとも3点から、校則は定めても必要最小限の範囲であるべき、という考え方を採ったほうがよい、とわたしは考える。

 では、必要最小限とはどのようなものか。社会通念などという、分かったような、分からないような概念を持ち出さなくてもよい。ここでは2つの視点を提案したい。

 ひとつは、学校の施設管理上必要性の高い事柄である。たとえば、自転車やバイクでの通学は認めない学校がある。学校のスペース上どうしても駐輪場が確保できない場合や、多くの生徒が集まるなか、乗り入れを認めては事故を起こしやすいといった理由がある。こういうケースを「ブラック校則」などと呼ぶ人はほとんどいないだろうが、施設管理上必要性が高いなら、禁止はやむを得ない。

 もう一つは、他の児童生徒の権利侵害になりえる行為等を禁止することである。たとえば、授業中に騒音を出したり、香水の匂いがきつ過ぎたりする場合は、本人はよくても、他の児童生徒の学習権の侵害になる可能性がある。こうしたケースでは、校則上の問題とせずに、生徒指導の中で個々に対処したらよいことかもしれないが、一定の禁止を学校が定めることは理解できる。

 逆に言うと、たとえば、髪型や髪の毛の色がどうであれ、施設管理上の必要性や権利侵害の防止・解決にはほとんど関係ないので、校則として規制する必要性は低いし、安易に生徒指導の事案とするべきではない、とわたしは考える。

 もっと平易な言葉で表現するなら「人の迷惑になっていない」ものは、自由でよいのではないか。

 こう書くと、「妹尾は学校の現実を分かっていない。髪型などを自由にすると、地域等からクレームが来るし、就職活動をするときに不利になる。社会が変わらないといけない」といった反論も現場の先生たちからよく寄せられる。

 なるほど、確かに社会としてももっと自由を尊重するようになってほしい、とわたしも思う。だが、だからといって、合理的な理由が疑わしい校則を続ける理由になるだろうか。地域等からのクレームには、学校はきちんと説明していくしかないし、クレームが来るからといって、生徒の意思や自由はどうでもよいという理屈にはならない。就職のとき有利になるかどうかは、相手先にもよるし、生徒本人が髪型等をどうするかは決めればよいことで、一律に制限するものではない。

 ぜひ各地の学校においては、本当に必要な校則はなんなのか、なんのための校則なのかといった根本から見つめ直してほしい。

 

 

Profile
妹尾昌俊 せのお・まさとし 
 senoom879@gmail.com 野村総合研究所を経て、2016年から独立し、教職員向け研修などを手がけている。著書に『変わる学校、変わらない学校』『学校をおもしろくする思考法』『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』『教師崩壊』など。学校業務改善アドバイザー(文部科学省委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員なども務めた。

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