特集 theme3 グローバル時代の対話型授業

トピック教育課題

2022.03.09

特集 対話の研究〜対話型授業の創造〜
theme3 グローバル時代の対話型授業

上越教育大学大学院教授 
釜田 聡

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.4 2021年11月

新型コロナウイルス感染症と「分断」 グローバル時代に必要な資質・能力

 令和元(2019)年12月に突如出現した「新型コロナウイルス感染症」は、日本、世界各国・諸地域の日常生活を破壊した。これまで内在していた人々の差別や偏見等をあぶり出した。アメリカでは、アジア系の女性や子供、高齢者への心ない言動、ときには直接的な暴力・暴行があった。日本国内においても、新型コロナウイルス感染者への心ない言動が確認され、報告されている。

 このように、新型コロナウイルス感染症は、日本国内、さらには世界各国・諸地域の日常を破壊し、激烈かつグローバルな分断状況を否応なしに私たちに突きつけた。

 このようなとき、令和3(2021)年1月26日中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(以下、答申)が公表された。小学校では令和2(2020)年4月に新学習指導要領が全面実施され、令和3(2021)年4月には中学校で新学習指導要領が全面実施される時期に答申が出されたのである。この答申の内容については、中央教育審議会が平成31(2019)年4月から議論を重ねてきたという。当然のことではあるが、新型コロナウイルス感染症と、その後のGIGAスクール構想の前倒しの影響が大きい。

 答申の第I部総論では、急激に変化する時代のなかで育むべき資質・能力として、Society5.0の到来・新型コロナウイルス感染拡大など先行き不透明な時代であるという時代認識を示した上で、次のように提言した。

一人一人の児童生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが必要

(下線部、筆者)

 グローバル時代の学校教育においては、持続可能な社会の創り手(担い手)の育成に向け、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながらこそが、グローバル時代に必要な資質・能力の基盤になると考える。

 答申は、現在の社会状況や児童生徒の実態を鑑み、「学校を安全・安心な居場所として保障し、様々な事情を抱える多様な児童生徒が、実態として学校教育の外に置かれてしまわないように取り組むことが必要である」と述べている。また、「多様性を尊重する態度や互いのよさを生かして協働する力、持続可能な社会づくりに向けた態度、リーダーシップやチームワーク、感性、優しさや思いやりなどの人間性等を育むことも重要である」と、今後の教育の基盤づくりにも言及している。つまり、学校教育の意義、教室で学ぶ意義を改めて問い直し、すべての子供たちが、自分の居場所としての教室・学校になるようにと環境づくりを課題として指摘した。その上で、具体的な資質・能力として、多様性を尊重する、協働する力、持続可能な社会づくりに向けた態度等の人間性の涵養を求めた。

 このような答申に盛り込まれた資質・能力を踏まえ、このグローバル時代に必要な資質・能力の基盤を育成し、さらには新型コロナウイルス感染症がもたらした「分断状況」を解消するための対話型授業の在り方を検討する。

「みんなちがって、みんないい」の次に来るもの

 金子みすゞの作品(詩)の一つに『私と小鳥と鈴と』がある。この作品は、児童生徒の心にしみ入る。「一人一人は個性的な存在であり、一人一人を尊重しよう。多様性を尊重しましょう」ということを学ぶ際には、最適な作品の一つであろう。

『私と小鳥と鈴と』

私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。

 この作品からは、次の二つのことを学ぶことができる。

 一つは、多様性とその存在意義について学ぶことである。「私」と「小鳥」と「鈴」は、それぞれが存在の意味があり、「私」自身は、「小鳥」と「鈴」との関係のなかで存在していること、それぞれの存在が同格であることである。タイトルは「私-小鳥-鈴」の順であり、私が主人公になっている。しかし、最後は「鈴-小鳥-私」の順となり、鈴と小鳥を多様性とその存在を認めていると解釈できる。この作品では、鈴も小鳥も自分も同格である。

 もう一つは、相互を尊重することである。尊重するとは、多様性の存在を認めるだけではなく、その関係性を自分なりにとらえ、関わろうとすることである。この作品を例にとると、最初に鈴と小鳥と私の違いと特性を認める。次に、違いと特性を認めるだけでなく、違いと特性に興味・関心、問題意識をもち、その違いと特性の本質はどこにあるのか、尊重するにはどういう営みが必要かを問うことである。「みんなちがって、みんないい」だけで終わらせてはいけないのである。これを乗り越えるために、対話が必要になる。自分と他者、あるいは内と外との対話、時には自己内対話を通じて、両者の存在意義を認識することで、尊重する意味の本質を理解することができる。

 このように多様性を尊重するということは、自分と他者との関係性のなかで、違いや特性を認めるだけでなく、その存在・在り方を認め、尊重するためにはどのような営みが必要であるかを問いかける、すなわち対話の回路を構築することが大切である。

グローバル時代の対話型授業の実践化に向けて

 グローバル時代の対話型授業の実践化に向けて、筆者らが取り組んでいる「異己(いこ)」理解・共生プロジェクト(以下、「異己」プロジェクト)を紹介する。

 「異己」プロジェクトは、国際協働研究で国境を越えた他者との対話を意図して、進めてきたプロジェクトである。「異己」は「異なる自分」という意味を有する。他者でなく、「異己」と命名したのは、単なる他者では表現できない意味を「異己」が包含するからである。「異己」が存在しないということは、異なる考え方をもつ相手が存在しないことをも意味する。そのような関係は自分の存続に危機をもたらすことになるので、「異己」は常に存在する。まさに、文字どおり「異なる自分」という意味で考えている。国家間の葛藤や国内外において分断状況が顕在化している今こそ、他者の存在を認め、対話の回路を構築することが重要である。このような他者を理解し、他者との共生を目指す営みは学校教育の場では、喫緊の教育課題の一つと考える。実際の授業場面では、次のように進める。

 最初に、クラスやグループ内に「異己」の存在を意図的に浮き彫りにし可視化する。ここで、集団内に判断基準が相反するグループ(多数派と少数派)があることを認識し、多数派・少数派(「異己」)で対話をする。次に、自分が所属するグループと少数派になる「異己」と対話を促す。時には、国境を越えた「異己」との対話を促す。国境を越えた集団間の交流によって、価値判断基準が逆転する(多数派と少数派が逆転する)場合があることを認識し(グラフ等)、相互に判断基準とその理由等について対話をする場を設定する。

 具体的に授業で活用した資料等は次の通りである(資料1〜4)。


資料1 教材「チョコレート」

資料2 (場面1)たけし トイレへ

資料3 (場面2)たけし トイレから戻る

資料4 つよしさんの言動について

 この実践では、日本と中国・韓国の児童生徒が同一資料で、間接的な対話を行う。日本の児童生徒はC・Dを選択する傾向がある(資料4)。一方で、中国・韓国の児童生徒はA・Bを選択する傾向がある(資料4)。日中韓それぞれの集団内にも多様な判断基準をもつ児童生徒が存在するので、その集団内での対話を十分に行った上で、国境を越えた異集団との対話を行うとより深い対話が行われる(資料5:実践の詳細は引用・参考文献参照)。


資料5 「異己」プロジェクトの対話の構造

 「異己」プロジェクトを通じて、対話型授業について、次のことが確認できた。

 異己という他者がいるからこそ、多数派は常に自分が正しいという思い込みから脱することができる。まさに、「異己」は鏡のような存在となり、自画像を映し出す存在として機能したのである。こうした考え方に立つと、「この地域、この学校、このクラスでは、みんながこのように考えているから、あなたもそうしてください」という論理は、多数派の論理を少数派に当てはめてしまう危険性につながることが分かる。そうではなく、「異なる言動、行動様式、価値判断は、どこから生み出されて来るのだろうか」と、本人の文化的背景に問い掛ける姿勢をもち、他者との対話を深める必要がある。他者との対話は相手への不断の思いやりが必要となる。自分自身の価値観や行動様式を絶対視するのではなく、他者・異己の価値観や行動様式にも一理あるという姿勢を堅持することが大切なのである。

対話型授業を支える集団づくり(クラス・学年)

 最後に、対話型授業を支える集団づくりについて述べる。異己プロジェクトを通じて、日本と中国、韓国の教室に出向き、児童生徒の対話の様子を参観する機会が多くなった。その際、児童生徒が本音で語り合ったり、ぶつかり合ったりする授業に出合うことがあった。授業参観者が心配するほど、激しいやりとりや葛藤場面もあった。担当の先生方に、日頃のクラスの様子を聞くと、おおむね次のようなことが分かった。それは、クラスの人間性(人間関係)と言語環境への不断の指導である。月並みな手立てではあるが、非言語コミュニケーションを含む言語環境を整えることが何よりも大切である。教室内で対話を断ち切り、仲間を尊重(リスペクト)していない言葉が飛びかっているようでは、対話型の授業は成立しない。厳しいようだが、こうしたクラスでは、真の対話型授業は成立しないであろう。

 あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら……の児童生徒を育てるには、最新の教育技術・教育方法はもちろん必要ではあるが、その根底には互いを尊重し合う学習集団の存在、そこで学ぶ、児童生徒を見守り、適切な支援・指導する教師の存在が必要不可欠である。

[引用・参考文献]
・多田孝志著『対話型授業の理論と実践』教育出版、2018年
・釜田聡・原瑞穂・岩舩尚貴「『異己』理解共生授業プロジェクトにおける生徒の認識」日本国際理解教育学会編『国際理解教育』27巻、明石書店、2021年、pp.13-23
・釜田聡「日中韓三カ国協働による『異己』理解共生を目ざした国際理解教育のプログラム開発研究報告書」課題研究17H02696基盤研究B、2021年

 

 

Profile
釜田 聡 かまだ・さとし
 専門は、国際理解教育、総合学習、社会科教育。日本国際理解教育学会・日本教科教育学会常任理事、日本学校教育学会理事。上越教育大学大学院修士課程修了。1982年に上越市内の中学校教諭,1988年上越教育大学附属中学校教諭として勤務したのち、2002年上越教育大学学校教育総合研究センター講師、05年助教授、09年教授。現在は、同大大学院教授、国際交流推進センター教授、兵庫教育大学大学院教授を兼務。著書に『国際理解教育を問い直す:現代的課題への15のアプローチ』(共編著)など。

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