AI時代「教師」考 [第1回] 時代の大きな潮流の中で、「教育」を考える!

トピック教育課題

2021.09.13

AI時代「教師」考 [第1回] 時代の大きな潮流の中で、「教育」を考える!

東北大学大学院教授 
渡部信一

『新教育ライブラリ Premier II』Vol.1 2021年4月

「教育」の本来の姿とは?

 私は、30歳(1988年)から10年間、教員養成大学で特別支援学校の教員を目指している学生の教育を行っていた(1998年度からは東北大学教育学部に勤務)。

 日々学生と一緒に子どもたちを指導したり、教育実習指導で学校現場を訪れるなかで、私には次のような信念にも似た考え方が浮き上がってきていた。

 教育現場において、「教師が子どもたちに知識やスキルを系統的に教える」ことは『教育』の本質から外れているのではないか?「子どもたち自身が自ら学んだり、子どもたち同士が学び合う」のが、『教育』の本来の姿なのではないのか?

 私がこのような考え方を持つようになったのには、ひとつのヒントになる経験があった。子どもの頃から大好きだった二つのマンガ(テレビやマンガ本)、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」である。どちらも非常に強くどんな悪党もやっつけてくれる正義の味方として活躍していたが、鉄腕アトムと鉄人28号はロボットとして全く異なった特徴を持っていた。鉄人28号がリモコンによって正太郎少年の命令通り動いていたのに対し、鉄腕アトムは自分自身の意志を持ち、自分自身の判断で行動していた(時々、間違ったり、失敗したりしていた)。確かに、人間の命令に100%従ってくれる鉄人28号にも大きな魅力を感じたが、私は人間のような心を持っている鉄腕アトムの方により親近感を感じていた。

 私は大人になって、二つのロボットにはどのようなプログラムが組み込まれているのかを考えるようになった。鉄人28号には「人間の指示に正しく従う」ための膨大なプログラムが系統的に組み込まれているに違いない。しかし、鉄腕アトムはちょっと違うように私には思えた。なぜなら、鉄腕アトムは人間のお友達と一緒に学校に通い、皆と一緒に授業を受けている。つまり、鉄腕アトムは「自ら学んだり、友達同士で学び合っている」のである。そんな鉄腕アトムの姿が、私はとても好きだった。

 1998年、私は教員養成大学で行った10年間の教育実践研究をまとめて『鉄腕アトムと晋平君─ロボット研究の進化と自閉症児の発達─』(ミネルヴァ書房)を上梓した。『鉄腕アトムと晋平君』上梓の前年は、チェス専用AI「ディープブルー」が人間のチェス世界チャンピオンに勝利したという科学技術の発展にとっては記念すべき年であった(第2次AIブーム)。しかし、最新AIから見ればディープブルーは一昔前のAIである。つまり、ディープブルーは、「AIにさせたいことを、人間がひとつひとつ系統的に教えていく(プログラミングしていく)」という考え方に基づいて設計されていた。その後、この方法は「フレーム問題(簡単に言えば、想定外の状況では学習したことを活用できなくなってしまうという問題)」という大きな行き詰まりを経験することになる。

 そしてその後、長年におよぶ地道な研究の積み重ねの結果、2010年以降、新しい考え方に基づいた「AI」が誕生して話題になっている(第3次AIブーム)。最新AIの特徴は、「AI自身が自律的に学習を進めていく」、そして「AI同士が学習し合う」ことである。AI研究者は、開発の基本的な枠組みを「優秀なプログラマーが、AIにさせたいことを、ひとつひとつ系統的に教えていくことにより優秀なAIを作る」という考え方から、「AI自身が自律的に学習を進めていき、さらにAI同士が学習し合うようなAIを作る」という考え方に大きく変更したのである。私は、2018年『AIに負けない「教育」』(大修館書店)において、最新AI開発の考え方が「子どもたち自身が自ら学んだり、子どもたち同士が学び合う」という考え方と一致していることを前提に、あらためて「教育現場」について検討した。これらの検討結果については、本連載の中でも随時紹介していきたいと考えている。

「効果・効率」を求めてきた近代教育

 戦後日本の「近代教育」は、主に「効果的・効率的な教育」を特徴として行われてきた。その背景には、「高度経済成長」という時代の潮流がある。つまり、「高度経済成長」において中心的な価値観となっている「発展・競争・効率」の重視に基づき「教育」を実施してきたのである。

 高度経済成長期における社会の目標は、「発展……給料が増えること、物質的に豊かになること、移動が速くなること、そして生活すべてにおいて便利になること」であった。そのために私たちは日々「競争……他の人との競争、他の会社との競争、他の学校との競争、他の国との競争」に心身をすり減らしながらがんばってきた。しかし、人間の力と時間には限界がある。だからこそ、短時間で多くの知識や情報を獲得するために「効率よく学習すること」が大切になる。

 「効果的・効率的な教育」は、教育心理学や学習心理学によっても支持されてきた。例えば、20世紀前半期に最盛を極めた「行動科学(行動主義心理学)」は、学習者の能力を短時間で効率よく発達させるための学習理論を生みだした。また、20世紀後半期に最盛を極めた「認知心理学」は、人間の脳をコンピュータのアナロジー(類推)として考えるという新たなアイディアを生みだし、「少しでも効果的・効率的に、多くの知識を頭の中に蓄積するためにはどのような教育、あるいは学習が必要なのか」を明らかにしてきた(渡部 2005)。その結果、「賢い人とは脳の中に多くの知識が蓄積されている人、そして必要なときに効率よく脳の中の知識を検索し取り出すことのできる人」、いつしかそのようなイメージが私たちに定着した。さらに、「正しい知識を簡単なものから複雑なものへ、ひとつひとつ系統的に積み重ねてゆく」という方法が学校教育に採用されてきた。教師は「正しいとされる知識」をできるだけ短時間で効率よく子どもたちに「教え込む」ことにより、「高度経済成長期の社会にとって望ましい子どもたち」を育成してきたのである。

 もちろん教育現場では、このような「教育」に対しての問い直しの議論が行われたこともある。例えば、1987年に提出された臨時教育審議会の最終答申には、それまでの日本の教育を見直し、人材育成の考え方を変えるという方針が示されている。そこでは「知識・情報を単に獲得するだけではなく、それを適切に使いこなし、自分で考え、創造し、表現する能力が一層重視されなければならない」と記されている(苅谷・吉見 2020)。

 しかし実際には、それまでの教育が本質的に変わることはなかった。むしろ1980年代以降、教育現場におけるテクノロジー活用教育が盛んになるにつれ「効果的・効率的」という傾向は強まったと、私には感じられる。1980年代にパソコンが社会に普及し、教育現場でも「ICT活用教育」が開始される。また、1990年代後半にインターネットが爆発的に社会に普及し「マルチメディア活用教育」が流行した。そして、2001年に「eラーニング」が世界的に流行するのである。結局、1980年代以降、教育現場におけるテクノロジー活用がもたらしたのは、テクノロジーを活用することで「より効果的に、そしてより効率的に教育を実施すること」であった(渡部 2005)。

 さて、2010年頃から「最新のAI」が話題になっている。文部科学省も、このようなAI時代に対応した「教育」に関して具体的に方策を示している。例えば、文部科学省が2019年6月に公表した「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」では、これからの「Society 5.0」社会を前提とした教育の在り方を示している1。そこでは、教育現場に導入すべき先端技術としてAIやロボット、IoT技術、そして「教育ビッグデータ」などが取り上げられている。具体的には、ポートフォリオなど子どもの学習に関する様々な記録、加えて健康状態や家庭の事情、そして教師の指導記録などが「教育ビッグデータ」として活用される。このような「教育ビッグデータ」を収集・蓄積し、それらをAIが様々な視点から解析することにより個々の子どもに応じた効果的な学習方法を提案することができるとしている。AI時代の教育現場では、AIなど最先端のテクノロジー活用を前提として、ますます「効果的・効率的な教育」が実施されようとしているのである。

 

[注]
1 文部科学省「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」(2019年6月25日)ホームページ https://www.mext.go.jp/a_menu/other/1411332.htm(最終閲覧日2021年3月11日)

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