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UD思考で支援の扉を開く

小栗正幸

UD思考で支援の扉を開く 私の支援者手帳から[第9回] 人間性にまつわる煩悩(2) 愛情の光と影

NEWトピック教育課題

2020.03.31

UD思考で支援の扉を開く
私の支援者手帳から

[第9回] 人間性にまつわる煩悩(2)
愛情の光と影

特別支援教育ネット代表
小栗正幸

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.9 2020年1月

 私たち支援者のお相手には、愛を失った人が溢れています。彼らは、「愛情も、明日も、何もいらない」と言ったりします。「何もいらない」ならまだしも、「誰でもよかった」と人に危害を加える人もいます。そんな彼らに愛情をもって支援をしていきたいと思うのは、教育に携わる者ならば当然の思いかもしれません。

 しかし、支援対象者となる人たちは、至上の愛によって救われるものでしょうか。愛は尊いものですが、それは支援対象者のみならず、支援者をも、がんじがらめにしてしまう煩悩になるのです。今回は、私たちの支援にまつわる愛について考えてみたいと思います。

愛情という罠

  愛に恵まれていない人に愛を与えたいと思うことは自然です。しかし、私たちのお相手の中には、愛を与えられると息苦しくなってしまう人がいて、彼らこそが、愛に恵まれなかった人たちなのです。

 愛情を注ぐということは、情緒的接触を増やすということです。それは情緒的親密度を高めることにつながり、それによって混乱してしまう子どもがいます。情に竿させば、竿をさした支援者も、竿をさされた支援対象者も、情の刺激を受けます。その刺激を消化し、クリエイティブな栄養にできる人は、愛着形成の時期に、安心で安全な情を享受できた人で、私たちのお相手の中には、そこの部分で障害を起こしている人たちが多いのです。それは、彼らの中に「信頼」という感覚が揺らいでいるか、あるいは歪んでいるからです。そうした彼らを情緒的親密度の高い環境に招き入れることは、彼らの欲求を満たすどころか、混乱させたり苦しめたりすることにもなり、「罪作り」にしかなりません。

 そこで、私たちは、至上の愛、無償の愛といった人間としての崇高なものとは違う、実務家としての愛に基づいた支援をしていく必要があります。

 愛情というものは抽象的で、はかりで量ることも、物差しで測ることもできません。しかし、私たちは対象者を支援するという仕事に就いている以上、愛情を込めた支援が、実際に効果があったかどうかを問わなければなりません。効果がなかったとしたらどこにピント外れがあったのかを検討しなければいけないわけです。それは詰将棋に似て、3手先までを読むといったような営みです。愛情を効果が測れるような手段に変えていくということが大事なのです。

修復(承認と利害)

 それでは、愛を与えるということを教育方法論的に考えてみましょう。

 まず、私たち支援者は「愛を与える」という煩悩から解放される必要があります。その上で、支援対象者について語るときに、「愛情欲求」という言葉を「承認欲求」と置き換えてみるのです。

 例えば、この連載でも何度か紹介しましたが、「そこのゴミを拾って」と指示をして、対象者が拾ってくれたら「ありがとう」と言います。ここで自分の行いによって自分自身が承認されるということが成立します。これまで愛情に飢えていた(あまり承認されてこなかった)人には、これがちょうど心地いい感覚なのです。愛着障害の子どもにとっては、私たちが心地よいと思っているような情緒的親密度では濃すぎて辛い場合が多いのです。その子への愛情をもつことは大事ですが、アプローチも愛情で押していくと、彼らは息苦しくなるのです。ですから、あまり情緒的な密度は高めない方がよいでしょう。「拾ってくれてありがとう」には、あまり情緒的な密度はありません。社会的な承認です。

 これは、誤解を恐れずにいえば、支援対象者からみた利害・損得です。支援対象者について「愛情欲求」をもっていると考えれば愛情で対応しようとしてしまいます。しかし、「承認欲求」と捉えれば支援対象者の利害・損得にも基づいたアプローチになるわけです。

 要するに、承認される有用感や損得といったことをしっかりと押さえた上で、支援を行っていくことが大切なのです。

保護者

 このことは、保護者支援にもいえることです。保護者支援もまた愛情論議を持ち出してはいけません。それは保護者を苦しめることにつながりかねないからです。

 保護者は、子どもについて困っているから相談に来られるわけですが、どうしても攻撃的な態度になりがちです。学校が悪いとか、周囲の人や家族の誰かが悪いといったように攻撃対象を見つけて責めてきたり、こうなったことは自分のせいだと自分自身を責めたりすることがたびたびあります。人は苦しみから解放されたいと思うと、攻撃の対象を見つけるものです。そうすると、お願いすることが要求となり、要求が攻撃になったりします。しかし、保護者の側に立って考えれば、それはある程度無理からぬことでもあるのです。子どもを虐待してしまう保護者も、本当は好き好んでやっていることではないのです。そうした保護者に、子どもへの愛情をもつことを訴えても解決は難しい。支援の輪に保護者を招き入れようとすることは、逆に保護者に苦痛を与えてしまうことになりかねないのです。

 ですから、保護者支援についても、愛情によるアプローチを促すのでなく、承認欲求の観点からアプローチすることが得策です。さらには、保護者から子どもへのアプローチについても、親の愛情を振りかざすのではなく、一つ一つ、子どもの承認欲求を満たしていくことを促していくことが肝要なのです。

 ここにも、ユニバーサルデザインの考えが役に立つでしょう。前回も、ユニバーサルデザインの考え方として、①誰に対しても公平に利用できる、②どんな場面でも自由に使える、③使い方は簡単ですぐ分かる、④必要な情報がすぐ分かる、⑤操作ミスや危険につながらない、⑥誰でも楽な姿勢で取り組める、⑦使いやすい空間が確保されている、ということを紹介しました。これらをアプローチの基本とすることで、支援に協力的になれない保護者への対応を考えていきたいものです。

 本物の承認や利害は、本人にとって愛情よりも優しいものなのです。(談)

 

Profile
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
おぐり・まさゆき
岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』(ぎょうせい)、『思春期・青年期トラブル対応ワークブック』(金剛出版)など。

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岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD 学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』など。

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