UD思考で支援の扉を開く

小栗正幸

UD思考で支援の扉を開く 私の支援者手帳から[第6回]指導論にまつわる煩悩(2) 毅然とした指導

トピック教育課題

2020.02.05

UD思考で支援の扉を開く
私の支援者手帳から

[6]指導論にまつわる煩悩(2)
毅然とした指導

特別支援教育ネット代表
小栗正幸

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.6 2019年10月

 ネガティブなことをしてしまう子どもに対し、「毅然とした態度で指導をすべき」とよく言われます。しかし、「毅然とした態度」とは何でしょうか。本当にその子のためを思っているのでしょうか。困っているのはその子でしょうか、それとも支援者の方でしょうか。実は、「その子のため」と思いながらも、実はその子のニーズではなく、自分が納得したいという思いから「毅然と」指導をしているケースは多いのです。今回は、毅然とした指導の陥りやすい実態を見ながら、私たちのお相手に対してどのような態度が求められるのかについて考えてみます。

叱責と言い聞かせ

 叱責と言い聞かせは別物と誤解されることが多いです。確かに叱責は「授業中におしゃべりをしてはダメ」「やめなさい」と断言するものである一方、言い聞かせは「授業中のおしゃべりはいけないと思うよ」「やめたほうがいいのではないですか」と助言しているように見えます。

 しかし、言い聞かせには2種類あります。一つは支援対象者に選択可能性が残されているもの。もう一つは選択可能性が残されていないものです。つまり、その言い聞かせが、「ダメ」あるいは「止めなさい」という叱責と同じようなものである場合と、それに従うか従わないかは「あなたの自由ですよ」というメッセージが込められている場合があるわけです。

 もしその言い聞かせが、支援対象者の選択可能性を残さないものだったとすれば、それは指示表現に厳しさや優しさの違いはあるにしても、結局のところ「叱責」と変わりません。要するに、支援対象者に選択性を残さない言い聞かせは、叱責への移行型と言えるようなもので、実は、支援者が対象者のネガティブな行動を押さえようとしていることに他ならないのです。

 ここにも、本当に対象者のニーズに即した支援なのか、「その子のため」と思いながら、実は困っているのは支援者の方ではないか、そんな煩悩が見えてきます。

こだわり

 ここで「こだわり」という事象が登場します。「こだわり」とは、支援対象者が、大した理由はないのに特定の観念なり行動に執着し、それを主張することに多大なエネルギーを使っている状態を指すものです。ここに叱責や言い聞かせが支援対象者にヒットしない要因があるのです。

 私たちは、支援対象者の訴えに納得のいく深い理由があるのなら、その言葉に耳を傾けることができます。しかし、その自己主張の内容に大した理由がなく、あったとしても、「それがどうした」という程度のものであるときには、私たちは支援対象者の訴えに耳を傾ける前に、その訴えによってイライラさせられてしまいます。これが「こだわり」の大きな特徴なのです。

 要するに、相手の訴えに対して決めつけのようなものがあり、そのために支援が堂々巡りをしてしまうのです。

 例えば、私たちのお相手が「みんなの目が冷たいから教室に入れない」と訴えたとします。すると支援者の方では、「そんなこと言わずに入りなさい」と叱責に近い言葉を投げたり、「そんな子ばかりではないよ」「考えすぎじゃない?」などとアドバイスをすることがあります。

 ところが、ここでは「みんなの目が冷たい」という訴えにこだわった対応をしています。支援者の方では、「みんなの目が冷たい」と思っていることに対して、何とかそれを解消してクラスに入らせようと思って、叱責やアドバイスをするわけです。つまり、相手のこだわりに対してこだわっているという状況になっているのです。

 そのようなときには、例えば、「そんな困っていることを相談してくれてありがとう」と言ってみます。いわゆる「的外し」というやり方ですが、このことによって、ネガティブな状況をポジティブな方向に変えていくことができ、支援対象者の本当のニーズを掘り起こすことができるかもしれません。

 支援と教育は、やり取りの中で行うものです。やり取りのきっかけをつくらなければ、支援は始まりません。その意味で、支援者は自分の中にあるこだわりに気づくことが大事なのです。

戒めと感化

 さて、ここで毅然とした指導について改めて考えてみることにしましょう。

 例えば、ネガティブな行動をする相手に対して厳罰をもって戒めればよいでしょうか。厳罰は必ずしもネガティブな行動を押さえつけないことは、統計上でも明らかにされています。

 さらに言えば、そもそも戒めによって感化が起こるものでしょうか。叱責をされて「たしかに言われてみればそのとおりだ」と思う人は支援が要らない人です。「戒めによって感化の起こる人は、戒めなくても感化が起こる人である」という、昔から言い古された言葉があるにもかかわらず、私たちはどうしても戒めに頼る傾向があります。しかし、支援が必要な子は、戒めに対して「嫌なことを言われた」「自分が攻撃された」と思いがちです。そうすればまたネガティブな行動をとってしまう可能性が高いでしょう。そこでまた戒めに頼れば堂々巡りになってしまいます。そこで、こうした呪縛からお互いを解き放つ工夫が必要になります。

 例えば、授業中にどうしてもおしゃべりをしてしまう子には、その子の机にそっと手を添えてみる。すると一瞬、おしゃべりは止まりますが、ここで大事なのは、これをコミュニケーションの始まりとすることです。おしゃべりが止まったら、グッジョブサインを出してみる。このように、あの手この手で、ポジティブなサインを出していくと、対象者の心はほぐされていきます。なにしろ、「嫌なことを言われた」「自分を否定された」と思う場面がないのですから、安心して支援者とコミュニケーションができる状況が生まれてくるわけです。

 こうしたことはほんの一例ですが、支援者には、こだわりや決めつけで支援対象者と向き合うのでなく、コミュニケーションによって、困った状況を解決していくような工夫を考えていってほしいものです。(談)

 

 

Profile
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
おぐり・まさゆき
岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』(ぎょうせい)、『思春期・青年期トラブル対応ワークブック』(金剛出版)など。

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岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD 学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』など。

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