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『学校教育・実践ライブラリ』Vol.8 2019年11月配本 インクルーシブな学級経営の実現のために 上越教育大学教職大学院教授 赤坂真二

NEWトピック教育課題

2019.11.29

学校教育・実践ライブラリ』Vol.8 2019年11月配本

インクルーシブな学級経営の実現のために

特集 気にしたい子供への指導と支援 
上越教育大学教職大学院教授 赤坂真二

法の整備と現実の乖離

 かつて、障害のある子供たちは、分離されて教育を受けていた。しかし、「障害者の権利に関する条約」が、平成18(2006)年12月、国連総会にて採択されると、わが国における特別支援教育が平成19(2007)年に法制化された。そして、平成24(2012)年7月に中央教育審議会「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」(報告)が出され、教育において「インクルーシブ」という言葉が使用されるようになった。インクルーシブ教育システムとは、同報告によれば「障害者の権利に関する条約第24条」に基づき、「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」のことである。その後、冒頭の条約が平成26(2014)年1月20日に批准、同2月19日発効し、平成28(2016)年4月1日、障害者差別解消法が施行され、合理的配慮の不提供を法的に禁じた。このように障害をもつ子供たちの社会的包摂において法的な整備が進む一方で、その目指すところとは相反するような現実を目にすることがある。

 聴覚過敏の児童等のために机、椅子の脚に緩衝材を付けている教室で、子供たちが怒鳴り合っている。視覚情報の処理が苦手な児童等のために黒板周りの掲示物がきれいに取り去られているにもかかわらず、その黒板に書かれている板書の文字は小さく、量が多く構造化されていない。黙っていることやじっとしているのが苦手な子がいるのに、一部の子が喋り続け、それを黙って聞いている授業をしている。話し合いの回数や時間が確保されている割には、課題が曖昧であったり話し合い方が指導されていなかったりするために、折角の話し合いが沈黙の時間になったりただのお喋りになっていたりする。

 こうした現状を見ていると、理念と現実の間にはまだまだ隔たりがあると感じる。そもそも、世の中はインクルーシブになっているのだろうか。連日、ハラスメントに関する報道が耐えることがない。最近では、学校の職員室でのいじめが発覚し、世間に衝撃を与えた。社会の変化に対して一般社会の理解や準備が進んでいないのに、学校だけに原則論を押しつけてはいないだろうか。椅子や机の脚に古い硬式テニスボールを装着した教室で子供たちが怒鳴り合っている教室に象徴されるように、インクルーシブ教育の理念が教えられないままに、形だけ整えていっているように見えるのは私だけだろうか。

 インクルーシブ教育の導入の経緯を見て分かるように、わが国のそれは、障害をもつ子に対する配慮から発展してきた。それは不可欠な視点であるが、障害をもつ子だけがインクルードされればいいのだろうか。インクルーシブ教育の対象は、全ての子供たちであるはずである。例えば、外国籍や外国にルーツをもつ子供たちは、その対象ではないのだろうか。今この瞬間もいじめを受けている子がいることだろう。学校に行く意志があっても、学校に行けない子もいることだろう。彼らは対象ではないのだろうか。また、こうした「外国籍」「不登校」「いじめ被害」など「○○の子」などと「見出し」が付かない子供たちは、その対象ではないのだろうか。

 近年のわが国の学校教育は、トップダウンで進められる傾向を強めているように見える。「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)は、本来、学習者中心の発想である。しかし、実際に授業の様子を見てみれば、子供たちに課題が「与え」られ、幾ばくかの意見交換する場が「与え」られ、まとめは教師が行う。どこまでいっても教師主導で授業が進められる。こうした「協働を装った一斉講義型」の学習をしている教室は、けっして少なくない。現在の学校教育には、次のような理念が欠落しているのではないだろうか。

 “Nothing About Us Without Us.”(私たちのことを、私たち抜きに決めないで。)

 これは、1960年代にアメリカで始まった自立生活運動の中から出てきた言葉であり、障害者権利条約の制定過程においても、障害をもつ当事者の間で口々に叫ばれた重要なスローガンである。当事者不在の制度、法の整備は意味がないと言っているのである。子供たちの当事者性抜きの協働学習は、真のアクティブ・ラーニングになることはない。インクルーシブ教育も同様である。どんな合理的配慮も、それが与えられるものになっているうちは、真性のそれにはならないのである。

子供発想の配慮のあるクラスを育てる(前)

(1)クラス会議

 では、どのようにしたら子供発想の合理的配慮のできる学級経営が実現するのであろうか。筆者が注目している実践にクラス会議がある。クラス会議は、その理論的根拠を対人支援で実践的エビデンスを豊富にもつと指摘されるアドラー心理学に置く(注1)。流れは、図1のとおりである。写真のように椅子だけで輪になり、生活上の諸問題を話し合って解決策を探る活動である。扱う問題は、個人の悩み相談から、クラスのルールづくり、イベントの企画までで様々である。輪になって、あたたかい言葉を交わし合い(コンプリメントの交換)の後、話し合いが行われる。流れはシンプルであるが、話し合いにおいて、様々な協働に必要なルールを教える。発言は、輪番で行う。言えないときはパスをしてもよい。話し合いは、ブレインストーミングがベースであり、討議よりも対話の性格が強い。それと同時に、聞いていることを態度で示す、相手の感情に配慮して意見を言うなど、問題解決をしながら、良好な関係性が築かれるように様々な工夫がなされている。あたたかで前向きな雰囲気の中で話し合いが進むので、子供たちは深刻な話題にも積極的に向き合う。

図1 クラス会議の流れ


 それでは、具体的な事例を2つ紹介する。

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