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学び手を育てる対話力

石井順治

学び手を育てる対話力[第4回]深い学びをもたらす学習課題

NEWトピック教育課題

2019.11.14

学び手を育てる対話力
[第4回]深い学びをもたらす学習課題

東海国語教育を学ぶ会顧問 石井順治

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.4 2019年8月

質の高い課題が質の高い学びに

 深い学びをもたらす対話的学びは、どういう条件の下で生まれるのでしょうか。まずは学びに向かう意欲が子どもたちに存在していなければなりません。そのうえで、仲間との対話への期待感がなければ、積極的に対話的学びをしようとはしないでしょう。その意欲と期待感はどのようにして生まれるのか、対話的学びに取り組む教師はそのことを疎かにしてはなりません。

 当然、教師と子どもの信頼関係、子ども相互のつながりがベースになります。しかしそれはあまりにも当然すぎることなので、そのうえで何が条件になるのか考えてみることにしましょう。

 学びへの意欲、対話への期待感、それが子どもからあふれてくるとき、そこに何が存在しているでしょうか。教師の立場からではなく子どもならと考えてみてください。そうしたらだれの思いも一致するのではないでしょうか。それは学ぶ対象への魅力でしかないというように。つまり、授業で設定されるいわゆる学習課題が、知りたい、わかりたい、つき詰めたいと思えるようなものであるとき、子どもたちの気持ちは自然と学びに向かうのです。

学ぶ過程で生まれる課題

 小学校2年生の算数の授業、それは「46+27」という繰り上がりのあるたし算の学びでした。もちろん一の位の繰り上がり方を教えないで子どもたちに考えさせるという授業でした。ペアになって取り組んでいた子どもから出てきた考えは抱腹絶倒とも言えるものでした。「6と7を足したら13になるでしょ。13の10は邪魔。だからなしにして3になるの」。「うん、そう。10はほうったったらええ」。

 まさに子どもの学びはここから始まるのです。こういう子どものいわゆる「間違い」から子どもの本気の学びが生まれるのです。授業はこの後、「10はなしにしていいのだろうか?」という課題に向かって、すべての子どもが考え合う意欲的なものになったのは言うまでもありません。

 この授業と同じように、学びのなかで突然姿を現した子どもの考えが、学級全体の課題になった事例はいくつもあります。

 小学校3年生の国語、「モチモチの木」という物語を読む授業のときでした。物語を読むということは、作品の状況が、あたかも目の前で繰り広げられているかのように読み描けることから味わいを深めることができます。けれども、子どもたちの多くは、どうかすると大まかな読み方に陥ってしまいます。その授業でもそうでした。じさまの突然の腹痛で豆太が「医者様をよばなくっちゃ」と飛び出す場面で、子どもたちはじさまのうなり声を聞いて豆太がそうしたのだと概括的に読み、何かしっくりこない感覚に包まれていました。それに対して、「じさまぁ」と「じさまっ」という豆太の二つの言葉の違いから、「『じさまっ』と叫んだ後、飛び出した」という考えが出てきたのです。ここで教師が、「このとき、豆太は何が見え、何がわかり、どうなったのか」と問い、子どもたちにペアで聴き合うよう促したのです。子どもの表情に「そうかっ」という生気が表れたのは言うまでもありません。

教師が準備する課題の力

 対話的学びは考える対象がくっきりと姿を現わさないと積極的なものとはなりません。それを自覚している教師は、そもそもその時間の課題そのものにそれだけのものを準備します。

 小学校6年生社会「貴族と藤原道長」の授業。一般に、歴史の授業は出来事と人物を概略的に教えることに陥りがちななか、それは、教師の説明を極力抑えて、課題と資料を提示してグループで考えさせる授業でした。そのとき子どもに示したのは道長が読んだ「この世をば……」の歌で、そこから藤原氏が強い権力を有していたことを見つけ、「そのような権力をどうして手に入れることができたのか」という課題が子どもから生まれました。すぐグループになって考え合います。そのとき、教師が詳しい説明をしないで配った資料が「藤原氏の系図」でした。どのグループからも言葉が消え、子どもたちは配られた図を凝視しています。やがて、藤原氏の娘が天皇の妃になっていることを見つける子どもが次々と現れ、それを契機にどのグループでもにわかに対話が始まったのでした。

 中学校3年生理科「地球と宇宙」の授業。授業は「この日(11月)の月は、いつ、どの方角に見えるだろう」という課題から出発しました。しかし、教師が準備していた本当の課題はそれではありませんでした。教師は授業の中盤「菜の花や月は東に日は西に」という蕪村の句を示します。そして、「蕪村が見ていた月の形はどんなものだったか?」という課題を提示したのです。さらに授業の終わりかけには「蕪村の見た月が半月だったらどうだろう」と、さらに子どもたちを追い込んだのは周到に考えておいたものだったのでしょう。

 この最後の問いでそれまで仲間との対話でほとんど何も話そうとしなかった一人の生徒が自分から語り始め、授業後の振り返りにしっかりした文を記したのですが、それは課題が子どもの学ぶ意欲にどれほどの意味をもつかを表す事実でした。

 学びの過程で出てきた子どもの考えに応じて即興的に課題を生み出すことは容易いことではありません。けれども、「貴族と藤原道長」や「地球と宇宙」の授業のように、子どもたちが意欲的に取り組むための課題を事前に手づくりすることは即興的に生み出すよりは十分実現できることです。ただし、それには、その教科の専門的研究が必要です。教科書に記されていることがわかる程度ではできません。ということは、子どもの対話的学びが豊かになるか、そして学びが深まるかは、教師がどれだけ教材研究をしているかにかかっているのです。

 とは言っても、日々の忙しさのなかでは、万全の教材研究ができないのも事実です。本号が発刊される頃、学校は夏季休業日に入っています。授業のないこの期間こそ、教材研究のチャンスです。9月以降の授業の良し悪しは教師の夏の過ごし方にかかっている、そう考えるべきです。

 

Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治

いしい・じゅんじ 1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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東海国語教育を学ぶ会顧問

1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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