UD思考で支援の扉を開く
UD思考で支援の扉を開く 私の支援者手帳から[第4回]原因論にまつわる煩悩(3)「グレーゾーン」と思いたくなる煩悩
トピック教育課題
2019.11.13
UD思考で支援の扉を開く
私の支援者手帳から
[第4回]原因論にまつわる煩悩(3)
「グレーゾーン」と思いたくなる煩悩
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
「グレーゾーン」という言葉は、実に数多く無批判に使われている言葉です。「グレーゾーンの子どもをどう扱うか」などという言葉は、研修や実践の現場で普通に使われています。しかし、この言葉には支援の仕方や支援に向けての考えをブレさせる要因をもっているように思えるのです。今回は、このことについて、いくつかのキーワードをもとに考えてみたいと思います。
ポタージュスープ
そもそも「グレー」というのは、白と黒が混ざり合ってできている色であるわけですが、「グレーゾーン」というのは、白か黒かがよく分からないという意味で使われます。白と黒とが混ざり合ってグレーになっているということで、それは言うなればポタージュスープ状態になっているという捉え方です。しかし、黒と白とがそんなにきれいに溶け合っている人などはいるでしょうか。支援が必要な子供に対して、グレーと思ってしまっては、子供が困っている状態についての原因究明はできません。原因を求める支援者が、対象を「グレーゾーン」と言ってしまっては、いつまでたっても原因にはたどり着けないのではないかと思っています。
シマウマ
つまり、支援の対象となる子供は、「グレー」のように混ざり合っているのではなく、シマウマだと考えるべきです。シマシマがあるから、私たちはアセスメントができるわけです。それを「グレーゾーン」と言ってしまっては、どこにアセスメントをしてよいのかが分からなくなります。ここでは、必ずしも、白いところが良い部分で、黒いところが問題である部分であるということではありません。どこに支援が必要となる部分があるのかという原因を弁別するための捉え方なのです。「グレー」にしてしまうと、原因の弁別がしにくくなってしまうということを指摘したいのです。よく知的障害があるともないとも言えない状態として「グレーゾーン」という言葉を使ったりしますが、それが支援者にとって、やろうとしていることの自己矛盾を引き起こす言葉となっているということなのです。
だから、「グレーゾーン」ではなく、「シマウマ」と考えるべきです。白か黒かを弁別して、そこにアセスメントのポイントを見いだすということが大切です。ポタージュスープ状態では弁別不能になってしまうのです。原因を追い求める支援者が、無批判に「グレーゾーン」を話題にするのは、支援に対して自己矛盾を起こしていると考えるべきです。原因を求めたいのに、「グレーゾーン」という言葉で原因を隠れさせてしまう、こんな自己矛盾は非常に珍しいことなのです。
図と地
そこで、「図と地」ということを考えてみたいと思います。
デンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した多義図形に、「ルビンの盃」というのがあります。黒地の背景に白い盃を描いたもので、見ようによっては、盃が見えたり、向かい合った二人の人間が見えたりするというもので、ご存知の方も多いと思います。
もちろんここで、だまし絵のような遊びの話をするわけではありません。アセスメントという営みにおいて、この「図と地」は極めて重要な概念であることを申し上げたいのです。
つまり、「図と地」のどちらを主役とみて、どちらを背景とみるかによって、原因の見方が変わってくるということです。
このことは、支援の方向性を見極めるにあたって、とても重要です。
評定をする人(支援者)が、何を見ようとし、何を見ようとしていないのかが問題なのです。中には、自分が見ようとしているものが実体で、見ようとしないものは実体のないもののように取り扱ってしまう人がいます。
しかし、ルビンの盃のように、図に見えるものも、背景に見えるものも両方見えることによって、アセスメントはできていきます。それを見極めようとする支援者であれば、今はどちらが図となっていて、どちらが背景となっているのかを見て、適切な支援ができるのです。つまり、見えるもののどちらも実体として捉えていくことが大事なのです。
学習指導であれば、教師は、その子がどの分野が得意でどの分野が苦手かということが分かります。また、同じ教科にしても、こういったタイプの問題だとできるけれど、違うタイプの問題だと難しくなるということも分かるはずです。また、できる分野や問題のなかにもつまずきの根があることも、よくみれば気づくこともあるでしょう。できないことにばかり手をかけていっても伸びないということもあるわけです。そうすると、できること・できないことを弁別して、そこに確かな原因を見極めることによって、効果的な指導が可能となるわけです。
発達支援の子などへの支援についても同様で、白黒を両方見て、原因を見極めていくことが大切なのです(もちろん、どちらが問題ではなく、どちらが問題かという捉え方ではありません。あくまで、支援が必要な状態となっている原因を見極めるための弁別とすることが大切です)。
「図」と「地」は常に両方あり、「図」が常に「図」であり続けるわけではありません。「地」が「図」となって、そこに本当の課題が浮かび上がってくることもあるのです。
冒頭に、ポタージュスープの話をしましたが、こうした「図と地」を溶け合わせてしまうと、支援者にとって自己矛盾を起こすということが、このことで理解されると思います。
見えることだけに幻惑されて、見えないことを気にかけることができない人、見えにくいことを見ようとしない人は、支援者としての資質に欠けると思います。子供に適切な支援を行うためには、私たちは「だまし絵」の術に惑わされてはいけなのです。(談)
Profile
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
おぐり・まさゆき 岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』(ぎょうせい)、『思春期・青年期トラブル対応ワークブック』(金剛出版)など。