学び手を育てる対話力

石井順治

学び手を育てる対話力 第2回 対話的に学ぶ子どもを育てる

トピック教育課題

2019.08.30

学び手を育てる対話力
[第2回]対話的に学ぶ子どもを育てる

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.2 2019年6月

東海国語教育を学ぶ会顧問 石井順治

対話への意欲を

 訊いてみよう、話してみようという意欲がなければ対話は始まりません。その意欲は、聴こう、受けとめてともに考えようという意思を有する相手がいてはじめて生まれます。対話的学びは、どんな考えでも尊重して受けとめ合う対応関係があって実現するのです。

 その対応関係を築くためになんとしても必要なことが三つあります。この三つが当たり前のように実践されたとき教室に豊潤な学びが生まれるのですが、その実現は簡単なことではありません。教師次第です。学び合う対応関係は、そのことの重要さを認識し実践する教師の下でしか生まれないのです。

①わからなさは宝物

 学びはわからなさを出発点にして生まれます。だから、すぐわかる子どもよりも、わからないでいる子どもに目を向けなければなりません。まずは課題に取り組む子どもの様子を一人ひとり丁寧に観察します。わからないで困っている子どもを見つけるためです。見つけたら「ペアの子に尋ねてごらん」と言葉がけをし、それを受けとめるよう隣の子どもに促すのです。こうして子どもたちの間に、必要感に基づいた対応関係が次々とつくられていきます。

 この教師の手立てが有効に働くには、わからなさこそ大切なのだという価値観が子どもになければなりません。それがないと尋ねることも、尋ねられたわからなさに寄り添うこともできないからです。

 その価値観はどのようにしたら持てるようになるのでしょうか。それは、学級が始まって以降、教師がわからなさをどれほど大切に取り上げ、そこからどれだけ豊かな学びを生み出してきたかにかかっているのです。すぐ正解を言わせて先に先にと進める教師の下では決して生まれないのです。

 この価値観を表す合言葉が「わからなさは宝物」です。子どもたちの対応関係はこの合言葉への実感が高まれば高まるほど子どもそれぞれの内に築かれていくのです。

②間違いに潜む可能性をみつける

 大切にしなければいけないのはわからなさだけではありません。それと同じくらい、いえそれ以上に間違いが大切です。

 子どもが間違った答えを出したときよく見かけるのは、すぐ「ちがいます」と言い正解を発表しようと意気込む子どもです。それはよいことではありません。学びはわからなさや間違いを乗り越えたとき生まれます。ですから、間違いが出たときこそ学びを深めるチャンスだと考えるべきです。たとえば「△さんはどのように考えてこの答えにしたのだろう。みんなで見つけてみよう」と言ってペアで考えさせるのもよいでしょう。

 間違いには、子どもが陥りやすいポイントが存在していて、なぜそのように考えてしまうのかと考察することによって、すぐわかるより確かな学びが浮き上がることがあります。科学者やアスリートは失敗や間違いに立ち向かい研究することからより良いものを見つけ出しますが、子どもたちの学びも同じなのです。教師は正解を急いではなりません。_

③異なる考えとの出会いで深める

 学びが深まるときほとんどの場合存在しているものがあります。異なる考えです。学びは異質な考えと比較したりつないだりすることによって深まるのです。それにはいくつかの考えを引き出さなければなりません。そして、それらを突き合わせて考えなければなりません。だから教師は、意図的にさまざまな考えの出る発問をするのです。そして子どもから出てきたさまざまな考えをもとにじっくり考えさせるのです。そのときペアやグループで取り組ませるといいでしょう。

 対話的学びは、わからなさも間違いも異なる考えも、忌憚なく出し合い受けとめ合える対応関係によって深くなります。その対話的学びの大切さを子どもたちに示せるのは自分なのだということを教師は自覚しなければならないのです。

聴き合う学級を育てる

 学びは話すことよりも聴くことによって深くなります。よく聴く子どもはよく学ぶ子どもです。よく聴き合う学級はよく学び合える学級です。子どもと子どもの対応関係の深まりとともに育てなければいけないのは聴き合える学級です。

 子どもが何人も「ハイ、ハイ」と叫んで挙手する教室があります。それは「言いたい言いたい」という子どもの意欲の表れであり「聴きたい」という意欲ではありません。よく聴き合う学級では「ハイハイ」という声は学びを阻むものだと考えています。そして、だれもが耳を澄ます静けさのなかで、とつとつと話す仲間の言葉がやわらかく響き、何人もの子どもの表情が豊かに反応するようになっています。

 聴くという行為は、何が話されているかがわかるということだけでは不十分です。受け取ったことを学びの対象と照らし合わせたり自分の考えと照らし合わせたりして、いったい自分はどう考えるのかと自己との対話をするところまでを含めた行為でなければなりません。

 しかし、そういう聴き方を育むのは簡単なことではありません。「そうか、そんなところまで考えることが聴くということなのか」と思う体験が何度もなければ定着しないのです。それには、子どもが聞き逃してしまったこと、だれも気づかなかったことが、こんなに大事なことだったのだよと教師が見せることです。教師にできないことは子どももできない、そう考えて教師こそが聴ける教師にならなければいけないのです。

 どこまで聴けていたかは、話が終わった直後に表れます。聴くことによって生まれたものをペアで語り合う、ノートや用紙に書くなどといったことを毎日のように行えば聴こうという意識が高くなります。そうして子どもの聴き方がよくなればうんと褒めたいものです。そのうえで、「次はこういうところまで考えて聴こう」と次の目標を持たせたら、子どもの耳はさらに磨かれていくでしょう。

 対話的学びは授業における教師の教え方の巧みさでは生み出せません。しかし、対話に対する意欲と対応関係を育てる役割を担っているのは教師です。今、教師は、そのことの重大さをじっくり噛みしめなければなりません。

 

Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
いしい・じゅんじ 1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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東海国語教育を学ぶ会顧問

1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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