校長室のカリキュラム・マネジメント

末松裕基

校長室のカリキュラム・マネジメント[第7回]学校を経営することの奥深さ

学校マネジメント

2020.08.17

校長室のカリキュラム・マネジメント[第7回]
学校を経営することの奥深さ

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.7 2018年10月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 

 第6回で論じたように、学校経営は企業経営と比べて、奥が深く単純ではありません。今回も、その奥深さに向き合って考えていきましょう。

 前回の復習になりますが、「経営」をシンプルに定義すると「他人を通して事を成す」と表現でき、ここでのポイントは「他人」と「事」の二つでした。経営は「自分」でやるのではなく「他人」を通じて行い、そして、なにをめざしてやるか、「事」の性質に大きく左右されます。

 学校という教育組織の場合は、「事」の性質が曖昧で抽象的なことから、慎重な経営目標の設定が求められますし、合意形成の過程・手続きが複雑で困難を伴います。これも前回、企業経営との比較から考えていきました。

 たとえば、サッカー日本代表という組織を考えてみると、「事」の性質は非常に明確です。「サッカー界の発展」「スポーツを通じた子どもたちの健全育成」などもあるでしょうが、代表監督にとっては「勝利」「W杯ベスト4」などが現実的な目標になります。そのような単純な目標に向けてもスポンサーやサッカー協会、サポーターなど様々な利害関係者の思惑が影響し、経営の過程は一筋縄ではいきません。こうやって考えると、そもそも「事」の性質が曖昧で抽象的な学校の場合、より丁寧な思考が求められることが理解できます。

学校経営の主役は誰か

 また、企業経営の場合、「他人」とは従業員の場合がほとんどですが、学校経営の場合は「他人」とはだれのことを指すのでしょうか。

 学級担任は教室に入れば、そこに頼るべき他人はいません。やはり経営の発想は要らないでしょうか。「学級経営」という言葉がありますが、これも厄介な言葉です。学級の〈子ども〉を経営を進めるにあたっての「他人」と想定しても問題はないでしょうか。

 たとえば、文化祭の企画で子どもが“なにか食べ物をつくって販売したい!”と提案したとします。担任が“経営の肝は「他人を通して事を成す」だ。よし、ここは子どものアイデアを取り入れて、経営者としてその企画に賛成しよう。これで学級経営が順調に進むはずだ!”と考えたとします。しかし、不運なことに、文化祭当日に食中毒や火災が起きたとします。

 経営はその行為に「責任」を伴います。そう考えると、なにかを企画して行動する「自由」を手に入れる反面、厳しい社会的責任が問われます。学校という場に「学習」をするために来ている子どもが、「経営」の責任を負わされるというのはなんとも過酷です。企画・運営に参加しているようであっても、そのような「学習」環境をつくるという〈大人〉の「経営」責任に基づいて、〈子ども〉は「学習」活動の一環としてそれらに一部関与しているに過ぎないのです。

 コミュニティ・スクールなどをめぐって、学校通信に“子どもたちがコミュニティ・スクールの運営に参加しています!”という文言も目にしますが、とても危うい発想だと感じてしまいます。あくまで子どもたちは「経営」の責任とは距離を保たれた「学習」の主体であるべきです。“コミュニティ・スクールの一環として地域交流が盛んになり、子どもたちの学習活動が充実してきました!”のような表現に先ほどの内容は改められるべきでしょう。

 このように考えると、「学級経営」というのは「生徒指導」のように「学級指導」と捉える必要がありますし、ましてや子どもは「経営」の主体になるにはかなりの困難が伴うと考えてよいと思います。どこまでいっても「経営」の責任は〈大人〉にあるのです。“修学旅行の行き先を子どもたちに決定させました! わたしたちの学校は子ども中心で運営されています!”

 一見、とても民主的な学校に見えますが、仮に修学旅行先で事故が起きたとすると、責任が問われるのは、学校であり教育委員会であるはずです。“学校の主役は子どもです!”この発想も経営学的に考えると慎重に捉える必要があります。学校の主役は、経営という観点から見れば大人であり、学習の観点から見れば子どもであると言えます。

学校経営の当事者は誰か

 学級の話に戻りましょう。たとえば小学校で3年1組の担任が一生懸命、教材研究をして指導案をつくり準備します。授業も見事に進み、子どももいきいきとし、クラスも盛り上がってきたとします。ただ、いつも眠そうにしている子がいます。

 担任はその子に頑張ってほしいと思い、授業中も熱心に働きかけ、なんとかその子に届くようにと授業の準備にさらに精を出します。

 この状況を経営的に捉えると「他人」を通して事を成そうとはしていません。すべて自分で抱え込んで状況を打破しようとしているのです。

 子どもに“どうしていつも眠たいの?”と尋ねると“朝ごはんを食べてなくて集中力が無くて......”というこたえが。この状況になると担任だけの問題ではないですね。「保護者」という「他人」を通じて事を成すことができるかどうかがポイントになります。

 どうすれば「事」を成せるか。その子の保護者に“お母さんも忙しいと思いますが、毎日とは言いませんので、月水金だけでも朝食を食べさせてあげてください”と伝えると、子どもの学習態度が徐々に変わってきたとします。

 教育活動が行われている教室や学校という場にいつもいるとは限らない、そして、責任関係が明確ではない保護者がどう関わるかが、学校経営の成否を左右していることがここではわかります。

 そして、3年1組の担任が保護者との関係も良好に築け安心していたところ、子どもたちの落ち着きがなくなってきたとします。“授業もしっかり準備しているし、保護者の方々も協力的だし、どこに問題が......”と考えていたところ、どうも隣の3年2組の様子がうまくいっておらず、子どもたちは休み時間や登下校にそのクラスの子たちから、よくない影響を受け始めているようです。

 “よし、ここで担任としての腕の見せ所だ!”と奮起したとしても、努力すればするほど空回りすることが増えてくるわけです。問題は自分のクラスにあるわけではありませんので。ですので、少し気がひけるかもしれませんが、3年2組の担任に“先生のクラスはいまどのような感じで指導されていますか? うちのクラスの子どもたちの様子がちょっと変わってきて......”と事を成すためには、同僚という「他人」と関わるしかありません。

 「事」を成す性質の特徴が企業経営に比べて曖昧で抽象的なことに加えて、学校経営の場合は、「他人」の性質が非常に多様で複雑です。そのため、経営の基盤が弱く個人への負荷が高いことがわかります。学校経営の奥深さをもう少し覗いていきましょう。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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