校長室のカリキュラム・マネジメント

末松裕基

校長室のカリキュラム・マネジメント[第4回] 校長はリーダーシップをいかに学習していくか

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2020.07.27

校長室のカリキュラム・マネジメント[第4回]
校長はリーダーシップをいかに学習していくか

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.4 2018年8月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 皆さんは、リーダーシップをどのようなものと捉えているでしょうか。周囲に自分の言うことを聞いてくれるイエスマンばかりいればそれでよいでしょうか。はたまた、自分のために動いてくれる人をかわいがり、論功行賞で人間関係をつくっていけば心地よい仕事の環境がつくっていけるでしょうか。

 かつて、ニーチェは風通しが悪く批判の無い集団には罪のない腐敗がきのこのように生えると言ったそうですが、物分かりのよい人の集まりは、時に危うい集団になりかねませんし、わたしはそのような集団を率いている者をリーダーだとは思いません。それは組織を私物化し、たまたま上の立場にいる者の価値観で、組織を縮小再生産しているだけです。そのような組織はいずれ衰退します。権威や権力に頼った組織の弱さは、近年、目にすることも多くなってきました。

 リーダーシップとは「人を育てること」というようにわたしは習ってきましたし、経験的にも「仕事を通じて人を育てる」という姿勢の人によって、自分や組織が活力を得てきたと感じています。仕事には自己の想定を超える厳しさや葛藤が当然伴いますし、価値観の対立や摩擦も生じます。ただ、それらに根気強く付き合ってくれ、仕事を通じて育てようとしてくれたことによって、当人は事後的にその人のことをリーダーとして認識します。リーダーには他者や人間そして社会をどう捉えるか、その経営哲学が厳しく問われます。

経営を「学習する」ということ

 本連載の第3回で対話の重要性について確認しましたが、実は対話の相手として最も重視しなければいけないのは、自分自身ということになります。つまり、自己内対話がはじめにあってこそ、校長は自らのあり方や仕事の仕方を構築していけると思います。

 従来、教育界では「教える(teaching)」という仕事を担う「プレイヤー」としての教員の育成に比重が置かれてきましたが、それは主として「子ども」を相手にしたものでした。それに対して「経営(management)」は、「大人」を相手にした専門性です。“名選手、名監督にあらず”と言われるように、経営能力やリーダーシップは、生まれつき備わっているものではありません。それを身に付けるには「学習」が必要です。他者として大人を捉え関わるには、幅広い多様な視点を学習によって形成するしかありません。大人は子ども以上に手強いです。

 つまり、「プレイヤー」から「マネジャー」になるには、「生まれ変わり」が必要で、それは当人にとって大きな転機になります(詳細は中原淳『駆け出しマネジャーの成長論―7つの挑戦課題を「科学」する』中央公論新社、2014年)。
 
 皆さんは、経営者になるために、どのような「学習」をしてきたでしょうか。教育界ではその学習を支える環境を自治体や政府が急いで整えている段階です。野球の世界では、経営を学習するための環境が未整備で、有名選手が引退してすぐに監督になったり、監督やコーチ経験の無い人が、いきなり日本代表監督になったりします。サッカー界はライセンス制を通じて、比較的早い段階からこの問題に自覚的、計画的に取り組んできました。相撲界は? アメフト界は? 政治の世界は? と世の中を見ていくと、「学習としての経営」は、社会の様々な領域で問題になっていることが分かります。皆さんには、経営の専門家としての学習をさらに意識化し、勘や暗黙知だけに頼らないリーダーシップ開発を行ってほしいと思います。

あなたの専門は何ですか

 イギリスの大学で、何を専門に学んでいるかを尋ねるときに“何を勉強していますか(What are you studying?)”とは言わずに、“何を読んでいますか(What are you reading?)”と聞くことがあるそうです。学ぶことの中心には読むことがあり、努力無しには達成できないその過程と継続性が重視されています。日本の場合、「管理職」になるための勉強として、“小論文の模範解答や法律を読んでいます”との答え以外に、どれほど自信を持って“経営者として○○を読んでいます”との会話を続けられるでしょうか。

 大学生の53%が一日の読書量がゼロということが明らかになり(2017年の全国大学生活協同組合連合会調査)、少し前に大学生の読書離れが話題になりました。しかし、ある出版社の方が、「お医者さんと学校の先生が本当に本を読まなくなった」と嘆いていました。“読書なんてそんな時間はない”と言われそうですが、“読書をしないから時間がないのでは?”とわたしは問いかけてみたいと思います。

 スマホで活字に触れている人も多いでしょうが、そこにある情報は信頼性が乏しく、読み手の限られた視点で、読み手が既に知っている偏った知識を補強していることが多いです(試しに、新聞一日分の情報を全てスマホで自分で調べられるかやってみてください。いかに、スマホで普段触れている情報に偏りがあるか理解できるはずです)。また、本屋で人が本を買う場合の7割は衝動買いだそうですので、自分が知らないことを知り、物事を深く考えるためには、やはり本を読むしかないと思います。

 便利になった現代では、われわれは、今の80代くらいの人が一生をかけて得た三倍ほどの量の情報を、わずか2、3年で得ていると言われています。これがいかに異常な事態で、情報の氾濫に惑わされているか分かると思います。自らの価値観の形成に結び付かず、認識の基準が肥大しその状態が続くと、知識不足による「無知」ではなく、過剰な情報を消化しきれない「二次的な無知」に陥ってしまいます。さらに“どの情報を信じていいか分からない。それなら情報など要らない”という「無力感」も生まれてしまいます。現代の環境下でいかに落ち着いて学習ができるでしょうか。

 

私たちは鏡をもちすぎている
そのためいつもうつされた生ばかりを覗いている
(『谷川俊太郎詩集』思潮社、1965年、277頁)

 

 このような詩の一節がヒントになると思います。専門性は一朝一夕には身に付きません。一日5分でもコツコツと自分が理解できないことに向き合う必要があります。ただそれを一人で行っていく必要もありません。自己内対話に加えて、サークル的に他者と対話をしていくとよいと思います。

 このあたりのことについても、回を改めて一緒に考えていけるとよいですね。ここまで「読んで」いただいた方は、経営の「学習」がもう始まりましたね。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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