interview 挑む 〜チャレンジャーの目線〜 伊賀焼窯元・長谷園8代目当主 長谷康弘氏
『ライブラリ』シリーズ/特集ダイジェスト
2022.07.08
目次
interview 挑む 〜チャレンジャーの目線〜
伊賀焼窯元・長谷園8代目当主
長谷康弘氏
(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.5 2022年1月)
作り手に必要なのは使い手の目線 “真の使い手”が仕掛けた起死回生の一手
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」。ごはんを土鍋で上手に炊くための火加減と手順だ。そんな面倒な手順を踏まず、家庭で簡単に美味しい土鍋ごはんが炊けないものか。試行錯誤して成功した企業がある。炊飯用土鍋「かまどさん」のヒットで知られる伊賀焼の窯元・長谷園だ。天保3(1832)年の築窯以来、伊賀焼の伝統を守りながら、常に時代の変化に合わせた商品を作り続けてきた。そんな長谷園の工房訓は、「作り手は真の使い手であれ」。小さな産地だが、手がける商品はどれも使い手への愛で溢れている。
8代目当主の長谷康弘氏に長谷園の挑戦、“真の使い手”としての矜持について伺った。
広告裏のメモから生まれた大ヒット商品 ■長谷園、起死回生の一手
──大ヒット商品「かまどさん」はどのようにして生まれたのでしょうか。
新しい商品づくりを思案していたときに、父である7代目(長谷優磁氏)のアイディアメモが目に入ってきました。父は、思い浮かんだアイディアを細かくメモに書き残す癖があるんです。広告の裏に書いてあった「炊飯用の土鍋」のアイディアを見たときに「これって今までありそうでなかったよな……」とピンときました。小さい頃から土鍋で炊いたごはんを食べていたので、当たり前だと思っていましたが、火加減も難しいし、吹きこぼれるから掃除も大変だし、一般の家庭で、土鍋でごはんを炊くってハードルが高いんですよね。父のメモに書いてあるように、もっと簡単にごはんが炊ける土鍋を作って、土鍋で炊くごはんの美味しさを味わってほしい。ごはんは毎日食べるから、そんな土鍋ができれば、きっとどの家庭でも可愛がってもらえる。そう思って開発に着手しました。
──開発はどのように。
炊飯用の土鍋を作るにあたって、どのようなものを作ったらお客様に使ってもらえるだろうかと考えて、火加減なし、吹きこぼれなし、の2点に絞ろうと考えました。
最初はとにかく手探りで、試行錯誤しました。伊賀焼に使う土は熱を伝えにくく、蓄熱性に優れているという特徴があります。それを活かして土鍋の中で「はじめちょろちょろ中ぱっぱ」と同じ温度変化が起こるように土鍋の厚さ、形状を変えてとにかく試作品を作っては炊いてみての繰り返しです。3食以外も何度も何度も炊いて試しましたが、最初はほとんど成功しませんでした。試作品で炊いたごはんを「ごはん余ったから持って帰り」と従業員に持って帰ってもらっていたのですが、最初は喜んでいた従業員も最後の方は目をそらして帰るようになってしまいました。そのくらい、とにかく試作品を作っては炊いてみての繰り返しでした。
──試行錯誤を経て「かまどさん」が出来上がったときのことを教えてください。
4年の試行錯誤を経て出来上がったときは、「これは絶対売れるはずや」と思いました。
料理研究家の有元葉子さんが、「かまどさん」を持っていてくださって、NHKの『きょうの料理』という番組で紹介してくださったんです。番組で紹介された反響は大きく、NHKの方から「問合せが多くて対応しきれないから、お宅に振ります」と言われました。電話とファックスで対応しましたが、当時村の回線が限られていたので、村の人が電話をかけられない、かかってこないという状況になるほど、反響を多くいただきました。
「かまどさん」が完成する以前に営業に行って門前払いを受けたお店からも「扱わせてもらえないだろうか」と連絡がきたり、お客様からお手紙をもらったりして、とても嬉しかったです。
一方で、「お店に置いておくだけで『かまどさん』の使い方や良さは伝わるだろうか?」「こんなに作って売っているけど、本当に喜んで使ってもらえているんだろうか」という思いもあり、良さをもっと知ってもらって使ってもらえる取組をしなければならないと思いました。
──良さを知ってもらって使ってもらえる取組とは具体的に。
お客様アンケートの結果を受けて、取扱説明書を充実させて、部品のパーツ販売も始めました。
お客様から返ってきたアンケートを見てみると、喜んでくださっているお客様がほとんどだったのですが、何らかの理由で「今は使っていない」に丸をつけているお客様が1割近くいたんです。電話したりして理由を聞いたら、「使い方がよく分からずおいしく炊けなかった」「上蓋だけ割ってしまって使えない状態」という声がありました。「これはあかんな、喜んでる場合とちゃうな」と。
そこで、取扱説明書の説明をより分かりやすくしたり、レシピを載せて、より日常的に使ってもらえるような工夫をしました。当時レシピまで載っているしっかりとした取扱説明書は業界でもなかったので、うちが先駆けです。
──パーツ販売について詳しく教えてください。
「かまどさん」は鍋、中蓋、上蓋の三つのパーツからできています。パーツ販売を始める前は、その三つのうち、一つでも割ったら、もう一セット買わなければならなかったんです。それは、業界の常識がそうだったから。大きな産地では、粘土から成形する生地屋、それを焼く窯屋、そして出来上がったものを流通させる問屋というように分業しているんです。だからパーツ販売が不可能でした。でも、うちは製造から販売までを一貫して行っているから、それができます。よそではやってない、できないから強みになる。そう考えて、パーツ販売をすることにしました。
でも実は、会社で大反対されたんです。
──なぜ、反対されたのでしょうか。
利益が出ない、手間がかかるというのが理由です。
確かに、利益は出ません。もう一セット買ってもらえば、うちの利益にはなりますが、売って利益を上げるために作っているのではなく使ってもらうために作っているので、そこは従業員に言い聞かせて納得してもらいました。
それから手間もかかります。陶器は、焼いたり乾かしたりすると収縮するのですが、同じ窯で焼いても、上下、前後、窯の中のどこで焼いたかによって収縮率が違うんです。だから、一言「三合炊きの『かまどさん』」と言われても、一つ一つ鍋の直径が違うんですよ。
パーツ販売のお問合せがあったお客様には、「直径を測ってもらいたいんです」と伝え、一つ一つメジャーで測って、「○○様、何センチ、このパーツ」って、アナログな方法でパーツ販売をしています。
──利益も出ない、手間もかかるのにパーツ販売をやめないのはなぜですか。
やはりお客様の立場に立って考えたとき、パーツがバラバラで買えるというのは嬉しいだろうと思うからです。パーツ販売の数は、「かまどさん」を使ってもらっているかどうかのバロメーターです。今では、毎日10〜20ほどパーツ販売の注文があります。パーツ販売をしたことによって、お客様との距離が近くなったように感じました。良いこともそうでないことも直に伝えてもらえる距離にいるというのは、すごく嬉しいです。
作り手は真の使い手であれ ■長谷園の矜持と歴史
──長谷園のモノづくりのポリシーは。
「作り手は真の使い手であれ」です。この言葉は長谷家に工房訓として代々残っている言葉です。長谷園は、2022年で190年目、私で8代目になりますが、徹底的に、製品を使うお客様の立場に立ったモノづくりをするということをポリシーとして、代々受け継いで大切にしてきました。
いくら良いものを作っても、自己満足で終わってしまったら何にもなりません。商品開発、売り方、お客様の電話対応など、どんな仕事においてもお客様の立場に立った、ニーズに即した対応を意識してきました。
──家業を継いだときの長谷園の状況を教えてください。
私は高校、大学と東京で進学してそのまま東京の百貨店に就職して4年勉強し、長谷園に戻ってきました。そのときの会社の状況は本当にどん底でした。
長谷園では、土鍋や食器の他にタイルも手掛けていました。土鍋や食器は取れる土の中でも良質なものを選んで作ります。それ以外の土も有効活用できないかという6代目のアイディアからタイル作りにチャレンジしました。重厚感がある伊賀焼のタイルは注目され、建物の外壁に使われるようになります。バブルの建設ラッシュも相まって、タイル事業と土鍋・食器事業の割合が7:3ほどになりました。
そんなときに、阪神・淡路大震災が起こり、伊賀焼のタイルがニュースで大きく取り上げられました。伊賀焼のタイルは他メーカーのタイルよりも重く、高層階に使うと揺れを助長してしまうんです。これをきっかけに注文が全てキャンセル。事業全体の7割を占めていたタイル事業は0になり、残りの3割の部分だけで食べていかなければならなくなりました。地元では「長谷、終わったな……」とささやかれました。
──会社をたて直すために最初に着手したことは。
まずは売ることです。倉庫に在庫が山積みになっていましたので、それをまずは売らなきゃということで、在庫をキャリーケースに詰めて両手に持って、色々なところに営業に回りました。伊賀焼は知名度が低く、ましてや長谷園なんて知られていませんから、どこも門前払いでした。「良いものなのに、伝え方が下手なのかな」と悔しい思いもしましたし、本当に苦労しました。
まずは売ることから着手し、徐々に開発、作る方に重きを置いていきました。
──そのときの気持ちは。
伊賀焼にしかできないものを作って、ここでしかできない売り方をしていかなければならないだろうと思いました。伊賀焼は小さな産地ですので、大きな産地で売れたものを真似して作って勝負したところで絶対に勝てっこありません。
また、百貨店で働いていたときに流通の勉強もして、長谷園は良いものを作っているけれど、商品を売る、世に出す力が足りないと感じていました。伊賀焼が持つ良さを最大限活かしつつ、守るものと変えるもののバランスを考えて変わっていかなければならない、そういう視点で次の一手を考えなければならないと思いました。
変化に対応するしなやかさ ■小さな産地から世界へ
──座右の銘は。
やはり、「作り手は真の使い手であれ」です。会社としてはもちろんですが、自分自身としても意識しています。
ここ近年のライフスタイルの変化によって、売れるもの、売り先、売り方が大きく変わりました。その変化を見極めて早目に生産の計画を変更していたのと、巣ごもり需要で幸い大きな打撃はありませんでした。でも、これがいつまでも続くわけではないので、お客様の立場に立った次なる商品を考えなければと思っています。
──今後の夢は。
代々受け継がれている伝統や技術などの大事なものは継承しつつも、変化に対応できる人間、会社であり続けたいと思っています。
世の中がこれだけ変化していますので、環境、ライフスタイルの変化などを見極めながらも、伊賀焼にしかできない商品を作り、「真の使い手」としてお客様の立場に立ったモノづくりを続けていきたいです。
伊賀焼は小さな産地で、まだまだ知名度も低いです。ちょっとテレビに出たりするとすごく反響がありますが、それは伊賀焼を知らない人がそれだけたくさんいるということなんだと思っています。「かまどさん」を使った料理教室や動画配信、全国のガス会社と協力したデモンストレーションなどで、日本の人に伊賀焼、「かまどさん」をもっと知ってもらい、食卓を囲んで絆を作るきっかけになるような活動をしていきたいです。そして、ゆくゆくは伊賀焼、長谷のおいしくできて楽しい道具を世界にも広めていきたいです。
(取材/編集部 兼子智帆)
Profile
長谷康弘 ながたに・やすひろ
1969年8月31日三重県伊賀市で長谷家の長男として生まれる。1993年3月、日本大学卒業。1993年4月、東武百貨店入社。和食器売場に配属され、流通業界を勉強しながらお客様の求めているものを肌で感じ、後に家業の商品開発や販売企画などの取組のベースになっている。1997年4月、長谷製陶株式会社に入社。2007年4月、長谷製陶株式会社代表取締役社長に就任。長谷園8代目当主となる。伊賀焼の伝統と技術を継承しつつ、「作り手は真の使い手であれ」の精神のもと、常に時代を見据えたモノづくりに専念している。