「こころ」を詠む
「こころ」を詠む 抱きとめし
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2021.03.19
「こころ」を詠む
(『新教育ライブラリ Premier』Vol.5 2021年2月)
抱きとめし
子に寒木の
硬さあり
克弘
トイレットペーパーの芯
風が吹けば桶屋が儲かるなどといいますが、『鬼滅の刃』が流行した結果、我が家ではいま、トイレットペーパーの芯をすぐに捨てられません。
前兆は、四歳の息子を保育園に迎えに行った帰りの、「ひみつってしってる?」という彼の言葉でした。「ん? 誰の秘密?」と聞き返すのですが、要領を得ません。どうやら仲良しのTちゃんが『鬼滅の刃』にはまっていて、いろいろ教えてくれるのだそう。息子は「ひみつのやいば」だと思い込んでいるのでした。やがてすっかりTちゃんと同好の士となった息子は、ハロウィンの催しに炭治郎と禰豆子の衣装をお揃いで着ていくほどに。朝起きれば「たんじろう、やる」、夕方帰ってくれば「たんじろう、やる」。ごっこ遊びで一日が暮れていきます。父である私は、主人公の先輩にあたる「柱」の役から、敵である鬼の役まで、さまざまにこなします。
ありがたいのは、人形を買わなくても、トイレットペーパーの芯にマジックで顔を書けば、「たんじろう」「れんごくせんぱい」「むざん」だと思ってくれること。主人公たちが使う刀は、より硬くて長い、ラップの芯を使います。チャンバラで激しくぶつけあわせると、すぐにひしゃげてしまうので、補充しなくてはなりません。トイレットペーパーがなくなるのが早いか、炭治郎がひしゃげるのが早いか。最近は戦いがいっそう激しくなってきたこともあって、どちらかといえば、炭治郎が破れてバラバラになってしまうほうが早く、芯を捨てている余裕がありません。そこで、我が家では、「しまった、もう、なくなってる」「また貯めておかなきゃ」と、トイレットペーパーの芯を宝物のように扱う、珍妙な夫婦の会話が繰り広げられるようになったのです。
俳句の言葉
せっかくなので、私も息子を膝に乗せながら、アニメの『鬼滅の刃』をひととおり観てみたところ、胸の熱くなる話に、素直に感動しました。とくに、主人公が、怪我の苦痛に耐えて戦いながら「おのれを鼓舞しろ!」と独白するシーン。このアニメ、全体的にせりふがとても多いんです。「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」「俺は今までよくやってきた! 俺はできる奴だ! そして今日も! これからも! 折れていても! 俺が挫けることは絶対にない!」と、自分を奮い立たせます。そのせりふの過剰さはちょっと可笑しくもあるのですが、日本の多くの人が、そうして自分を奮い立たせながら、衰退するこの国で生きていくために踏ん張っているからこそ、このアニメが多くの人の心をつかんでいるのではないでしょうか。
ふっと思い出したのは、高浜虚子の名句。
春風や闘志抱きて丘に立つ 高浜虚子
一時、小説に打ち込んでいた虚子が、俳句への熱い思いを抱いて俳壇復帰する際の、所信表明としての一句です。この虚子の句は例外で、割と冷めたところがある俳句には、熱い一句というのはなかなか見当たりません。しかし、本来俳句もまた、人生に寄り添い、その杖となりうる言葉であったはずです。
新宿の老舗のキャバレーが、五十年の営業を終える日に密着した、ドキュメンタリーを見たことがあります。ぼろぼろのソファや、曇りガラスの衝立が、つぎつぎに青空の下に運び出されるのを、マスターは、切なそうに見つめます。こうした店の内装一式は、年代物で、映画会社が引き取るとのこと。すっかり家具の運び出された、薄暗い店内で、マスターは、ふとつぶやくのです。
「兵どもの夢の跡、ってやつですな」
マンデリシュタームは詩の言葉を投壜通信にたとえましたが、芭蕉の投壜通信は、このように三百年以上もかけて、マスターのところに届いたのです。いささか、座礁気味ではありますが(正しくは「兵どもが夢の跡」)。こんなふうに俳句の言葉は、人のこころに根を張って、慰めになったり、勇気を奮い起こしたりするもの。その意味では、箴言に近いのかもしれません。マスターにとっては、これが俳句であろうが、箴言であろうが、さして大きな問題ではないでしょう。
私は元来、無意味で、奇妙な感覚にからめとられる詩句や俳句の方が好きだったのですが、ここ数年、少し好みが変わりました。子供のことを積極的に詠むようになったのも、もしかしたら同じように子育てしている人が、うなずいてくれたり、面白がってくれたりするかもしれないと、ほのかな期待をかけてのこと。アニメや漫画のように多くの人に親しまれるものではありませんが、専門家や好事家だけが棲息する水槽的な狭いジャンルにはしたくないという思いがあるのです。
......などと、私もちょっと熱くなってしまったのは、炭治郎の影響かな。まずは、初詣にも炭治郎のコスプレで行きたいと言っている息子を、どんな言葉で思いとどまらせるか、考えないと。
Profile
髙柳 克弘
俳人・読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者
1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。2016年、第二句集『寒林』(ふらんす堂)刊行。2017年度Eテレ「NHK俳句」選者。2018年、浜松市教育文化奨励賞「浜松市ゆかりの芸術家」を受賞。現在、「鷹」編集長。読売新聞朝刊「KODOMO 俳句」選者。全国高等学校俳句選手権大会(俳句甲子園)選者。早稲田大学講師。