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特集 AI時代を生き抜く子供を育てる AI時代を生きる子供に求められる力

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2021.07.14

関連付けること

 国語、社会、算数、理科など、およそ教科と呼ばれる内容は、いかに言葉、用語、概念などを関連付けるかが、基本になっている。その意味では、人は文脈の中で理解すると言える。漢字の書き取りや計算ドリルなどは、何度も繰り返すことで習得できるが、意味の理解は独立して覚えるのではなく、何らかの関連付けによって成立する。

 新聞などの活用が効果的なのは、言葉や用語が文脈と関連付けられて提示されるからであり、言葉単独では理解が難しい。英語の授業で、ある教師は、寸劇を持ち込み生徒たちに役を与えて英会話をさせた。その授業を受けた生徒が、これまで自ら英語で話したことは一度もなかったが、何か自然に口に出てきた。劇の中で役になろうと思った時、言葉も動きも自然に思えて、なんとなく英語で話す方がやりやすい、そんな感覚になったと述懐した。英語の上達への近道は、言うまでもなく、現地に行って生活することであろう。どっぷりと文脈の中に浸かることで、言葉の意味を理解するからだろう。

 同じことは、他の教科でも言える。算数では、何を求めるのかを知らなければ、学習が成立せず、何と何がどのような関係になっているかを知らなければ、立式もできず、計算もできない。つまり、その問題に含まれている内容の関連付け、構造を知ることが基本である。このように、教科の理解に横たわる能力の一つに、関連付けることが挙げられる。

感じること

 AIには感情がないから、感じることもなく共感することもない。先に述べたように、人は共感することで、日常生活を波風立てないで送る知恵を持っている。

 ある新聞に掲載された、小学3年生の俳句を思い出す。「せんぷうき、あああああああ、おおおおお」(山本咲良)だが、夏に、扇風機の前で、あ、お、と声を出して、その震える音を楽しんだ思い出が、誰でもあるだろう。そして、その光景が目に浮かぶようで、あれは夏休みだった、スイカを食べた、などと思い出す。人が同じ思いを共有する時、それは共感につながる。先の挨拶の例で書いたように、人は、お互いが共感することで生活をいたわりあっているような気がする。相手への気遣いを感じるのである。

 この感じること、共感することの大切さを述べたいのは、最近の子供たちに、共感する力が弱くなっているのではないか、と感じるからである。それは体験を共有していないことにも通じる。いじめとは、他を自分たちの仲間とは別だ、とする現象とも言える。最近のいじめでは、「あいつは、コロナ」と言うらしい。文部科学省の調査では、2019年のいじめ総数が61万件を超える急増化となっている。その背景には多くの要因があるだろうが、仲間を、内と外に分ける、外の人間とは遊びも活動も共有しない、共感していないのである。「そうか、あいつも、そんな思いをしていたのか」と思えば、内も外もないだろう。感じることは、学校生活でも日常生活でも、人間らしく生きるための基本ではないだろうか。

疑問に思うこと

 AIは、疑問に思わない。人は疑問に思うから進歩してきた、と言っても過言ではないだろう。小さな時からの疑問を持ち続けてきて、そのまま大人になった人が研究者だとも言える。私が懇意にしている小学校の校長先生がいて、子供が好きで授業をしたいが、校長になったら授業ができない、仕方がないので給食時間に教室に行って、子供たちと話をした。どうして給食費は高いのだろう、と言うので、本当かと言って子供たちと計算をした。給食時間が算数の時間になった。別の子には、どうして給食があるの、と聞かれて、社会科の勉強になった。他の教室では、どうして給食で食べ方の指導があるの、外国でも給食はあるの、と聞かれて国際理解の時間になった。子供たちは、疑問に思うことだらけで、文字通り小さな科学者であり小さな研究者である。

 新学習指導要領では、課題を見付け課題を解決し、と明記してあるが、AI時代においては、その疑問を持つ能力を伸ばすことが大切なことは言うまでもない(赤堀、2019)2

 

[注]
2 赤堀侃司著『AI時代を生きる子どもたちの資質・能力』ジャムハウス、2019年

必要と必要でないことを区別できること

 この能力は、AI時代であってもなくても、学習の基本である。世界を全て区別しようと考えたのは、アリストテレスだと言われる。この世の中は、そのようにきれいに分類できるわけではないが、専門家は、何が必要で何が必要でないかは、きれいに区別できるようだ。テレビ番組で恐縮だが、俳句の添削で、この句は冗長だとか、この中句は生きるだとか、専門家には見えているらしい。素人の自分には、まったく見えない。ここに、専門家と素人の違いがある。単純に、素人が専門家になる過程を学習と呼べば、学習とは、違いが見えるようになること、必要と必要でないことを区別できることでもある。芸術系大学の先生に聞いたことがあるが、絵画でも音楽でも専門家が見れば、すぐに違いが分かる、これは駄作だとか優れているかなど、素人には何も見えないので、見えないものが見えるようになること、この能力は、学習の基本であることが理解されるだろう。これは、芸術に限ったことではなく、全ての教科や仕事にも言えることである。

 

 

Profile
赤堀 侃司 あかほり・かんじ
 東京工業大学大学院修了後、静岡県高等学校教諭、東京学芸大学講師・助教授、東京工業大学助教授・教授、白鷗大学教授・教育学部長を経て、現在、(一社)ICT CONNECT21会長、東京工業大学名誉教授、工学博士など。専門は、教育工学。最近の主な著書は、『プログラミング教育の考え方とすぐに使える教材集』(ジャムハウス、2018年)、『オンライン学習・授業のデザインと実践』(ジャムハウス、2020年)、『GIGAスクール時代の学びを拓く! PC1人1台授業スタートブック』(編者、ぎょうせい、2021年3月刊行予定)など。

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