学制150年の歴史を振り返る

中澤 貴生

学制150年の歴史を振り返る 第7回 ― 番外編 ―

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2022.12.12

『学制百五十年史』市販版の刊行を前に、学校制度を巡る150年の歴史を7回に分けて簡単に概観する連載をしてきました。
 今回は最終回です。既に前回までで学制150年の流れは時系列と項目別で一通り概説しましたので、今回は、「学制百五十年史」から少し離れて、余談としていくつか感じたことを書いてみたいと思います。

 

表に現れてこないもの

 表面上はあまり文章として登場しないものであっても、事実としてそれが学校教育の動きに影響を及ぼしているということはあるように思います。
 例えば一例挙げれば、学習塾や予備校などの民間教育産業の存在です。
 お友達も行っているからという軽い気持ちで、塾に小学生の子供を通わせているうちに、成り行き上、中学受験をさせざるを得なくなり、受験をすれば、全て不合格という形で終わらせるわけにはいかないので、国立の附属校か、公立の中高一貫校か、私立の系列校か、とにかくどこかの学校に入学させざるを得なくなるというような現象が起きます。少子化の中で、塾も中学校も子供や保護者のために一生懸命努力しているだけのことなのでしょうが、結果として自然に、受験競争の低年齢化を招いていくことになります。幼稚園や小学校の「お受験」にもそういう面が見受けられます。
 かつて、平成初期の生涯学習振興法制定の頃には、学習塾や予備校の業界団体を文部省所管法人として認可すべきかどうか議論になったことがありました。また、その後、「ゆとり教育」が学力低下を招くと世間で批判された際には、一つのビジネスチャンスと捉えられた面もあったかと思います。現在では、大学進学塾などでICT(情報通信技術)を駆使して、有名人気講師の授業を在籍生に一斉に配信して受講させたり、学習履歴や業者テストのビッグデータを分析したりということが本格的に行われていて、今後の学校の情報化を考える上でもやはり念頭に置いておくべき、重要な存在なのではないでしょうか。
 他にも、各種団体、メディアなど様々なものがあろうかと思いますが、具体の施策の上でご縁がなければ、表面上はなかなか登場しません。

 

書かれていないもの

 あまり深く文章で触れられていない事柄というのもあるように思います。
 例えば、「……制度が創設された」「……新事業が行われた」などと書かれてはいるものの、広く学校や地方で普及し効果的だったものもあれば、利用率や反応がとても低調だった施策もあるでしょう。
 また、「社会の急激な変化」「学校の抱える多様な問題」などの枕詞が改革の決まり文句として繰り返されているけれども、何故そのタイミングだったのか、何故その時その内容の施策でなければいけなかったのかということが詳しく書かれていないので、流れや背景がよく分からないということもあるでしょう。
 限られた紙幅でそこまで触れられていない、ということはよくあります。
 もちろん、思い出したくもないテーマや、世間に関心を持って欲しくないテーマなので、執筆者側が敢えて書かないということも、当然あるでしょう。
 行間を想像しながら読む、というのも楽しいのではないでしょうか。

 

おわりに

 ところで、過去30年間の教育改革は、何を目指していたのでしょうか。
 昭和の末頃に、臨時教育審議会が理念として示したのは、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」等でした。これに対し、平成・令和時代の教育改革はそれだけでは説明し切れないように感じます。すべてを網羅的に集約することは難しいのですが、敢えてその特徴を挙げるとすれば、理念というよりも、
(1)基礎基本の学力、公共心、伝統文化等の尊重、国や郷土を愛する態度など、日本の国として教育が果たすべき「原点に立ち帰ろうとする」姿勢と、 (2)大胆な改革や新自由主義的な規制緩和等を繰り返し実行することで、国際経済の中で競争力が低下し停滞しつつある日本社会の「再構築を模索し続けようとする」姿勢 の並走だったのではないかと思います。
 社会の抱える問題が絶えず変化しているから不断の教育改革が常に必要だ、という言い方も一面の事実かも知れませんが、改革しているということ自体が必要だったから、という気もしないではありません。

 今後も、日本型学校教育が現実にどこまで対応できるか、自由と平等をどのように両立させていくのか、そして、個人が生涯にわたって学習の楽しさや幸福を実感しつつ、安全安心で平和な活力ある社会をどう維持していけるのか、教育の私事化が進む中で、問われ続けていくように思います。
 そのためには、初等中等教育であれ、高等教育であれ、学校という場に、時間のゆとりや心の余裕というものがなくてはならないのではないでしょうか。

 出来事というのは、その時は何が起きているか分からなかったけれども、年月が経ってから、その意味に気付くということは、よく御存知の経験則かと思います。
 目前の諸問題の改革や成果を追うことも大事ですが、美しい言葉に酔って理念倒れにならないよう、たまには、歴史の流れも視野に入れながら、変えてはいけない「不易」と変えなければいけない「流行」は何か、複眼的に考えていくことも必要なのではないでしょうか。

 

●Profile

中澤貴生(なかざわ・たかお)
京都大学法学部卒業。昭和62年文部省入省。大分県教育委員会総務課長、初等中等教育局小学校課課長補佐、内閣官房中央省庁等改革推進本部参事官補佐、岐阜大学教授、内閣官房行政改革推進室参事官、日本学術会議参事官などを歴任。令和2年より『学制百五十年史』の編纂事務に携わる。令和4年、定年退職。

 

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京都大学法学部卒業。昭和62年文部省入省。大分県教育委員会総務課長、初等中等教育局小学校課課長補佐、内閣官房中央省庁等改革推進本部参事官補佐、岐阜大学教授、内閣官房行政改革推進室参事官、日本学術会議参事官などを歴任。令和2年より『学制百五十年史』の編纂事務に携わる。令和4年、定年退職。

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