学制150年の歴史を振り返る
学制150年の歴史を振り返る 第5回 ― 東日本大震災、教育再生実行会議、そして新型コロナウイルス ―
新刊書のご案内
2022.12.05
目次
『学制百五十年史』市販版の刊行を前に、学校制度を巡る150年の歴史を7回に分けて簡単に概観する連載をしています。
今回は、平成20年から令和4年までの概説です。リーマンショックによる経済不況、東日本大震災の発生などを機に流れが変わり、それまで進められてきた構造改革の負の側面が現れてきます。一方、教育再生実行会議の提言は、中教審の審議などを経て次々と具現化されていきます。そして、新型コロナウイルス感染症の流行に伴う全国的な休校やオンライン学習等が、次の時代の教育を考える契機となりました。
リーマンショック、貧困・格差問題
初の教育振興基本計画の策定から2か月後の平成20年(2008年)9月、「リーマンショック」と呼ばれる世界的な金融危機が深刻化し始め、年末には、生活困窮者支援のための「年越し派遣村」が開設されるなど、経済不況や派遣労働者・期間労働者等の雇い止めなどが大きな社会的問題となりました。また、それとともに、家庭環境や学歴、学力の差が世代間を超えて受け継がれていく格差の連鎖の問題や子供の貧困の問題なども取り上げられるようになっていきます。
そうした中、平成21年(2009年)の政権交代で、民主党を中心とする鳩山内閣が発足しました。
平成22年(2010年)3月には、高等学校の無償化に関し、公立高等学校等の授業料の不徴収、私立高等学校生等への就学支援金支給を内容とする新法が国会で成立しました。
一方、新自由主義的な構造改革が進行し、非正規雇用が増大するなど、終身雇用、年功序列賃金、新卒一括採用等を特徴とする日本型雇用慣行が揺らぎ、自らの自己責任と能力開発等が求められる状況の下で、平成23年(2011年)1月、中央教育審議会から、学校におけるキャリア教育、職業教育の在り方についての答申が行われています。
東日本大震災
そうした最中、平成23年(2011年)3月、東北地方等に甚大な人的・物的被害をもたらす東日本大震災が発生し、産業、交通・物流、教育等に多大な影響を与えるとともに、東京電力福島第一原子力発電所などでの原子力事故によって、東北地方にとどまらない広汎な地域への放射性物質の拡散、食品や土壌等の汚染、風評被害、電力需給の逼迫等を招く事態となりました。
文部科学省や地方自治体では、復興・創生を目指して学校施設の復旧や就学支援、児童生徒の心のケアなどの取組が進められました。また、これを機に、全国の学校で、阪神・淡路大震災(平成7年)以来進められてきた校舎の耐震化、安全教育の強化、被災地への復興支援などが一層促進されるとともに、次期の教育振興基本計画に、人材育成と並んで、「学びのセーフティネット」や「絆づくり」が盛り込まれる契機ともなりました。
教科書採択地区、いじめ自殺と教育委員会
同年4月には、少人数学級の推進を図るため、公立小学校1年生の学級編制基準を40人学級から35人学級に改善する法改正が行われています。
一方、8月には、沖縄県内の八重山教科書採択地区協議会内で、竹富町教育委員会と他の市町が異なる中学校公民教科書を採択決定し、見解の相違が収束しないという事案が発生しました(後年、教科書無償措置法の改正(平成26年(2014年))で問題への対処が図られています)。
また、10月に滋賀県大津市の公立中学校で発生したいじめによる生徒の自殺事案に対して、教育委員会や学校の対応が隠蔽体質であるなどの厳しい批判が寄せられる事態となりました(後に、この事件が一つの契機となって、いじめ防止対策推進法が制定(平成25年(2013年))されました)。
さらに、国旗及び国歌に関する法律の制定(平成11年)以降、東京都などの各地で行われていた国旗国歌不起立等に対する教員処分に係る最高裁判決等も、平成23年から24年にかけて次々と示されています。
平成24年(2012年)には、大阪府と大阪市で、地方公共団体の首長主導で教育目標を決定できるとする「教育行政基本条例」が制定されるなど、教育委員会制度の在り方に関わる動きも出てきています。
教育再生実行会議の始動
このような状況の下、再度の政権交代によって発足した第2次安倍内閣の下で、平成25年(2013年)から「教育再生実行会議」が開催されることとなりました。
教育の再生は経済再生と並ぶ我が国の最重要課題であり、世界トップレベルの学力と規範意識を身に付ける機会を保障するとの観点から、その後、12次にわたる提言が精力的に出されました。
提言の主な実施状況としては、前出のいじめ防止対策推進法のほか、①「道徳」の教科化、②教育委員会制度の見直し、③「指定国立大学法人」制度等の大学改革、④大学入学共通テストの導入、⑤小中一貫の「義務教育学校」、実践的な職業教育に重点を置く「専門職大学」等の制度化、⑥コミュニティ・スクールの導入促進、⑦学習者用デジタル教科書の制度化、⑧幼児教育等の無償化、大学の修学支援新制度の実施、私立高校授業料の実質無償化、⑨不登校児童生徒等への教育機会の確保、教職員定数の改善、大学生等に対する「給付型奨学金」制度の創設、⑩教員業務支援員等の学校スタッフの配置、⑪GIGAスクール構想等の学校の情報化など、数多くの事項が挙げられます。
また併せて、大学生の就職活動に係る企業の採用選考の開始時期を後ろ倒しにするよう内閣総理大臣自らが直接、経済界に働きかけるなど、法制度以外の事項も含め、官邸主導で様々な改革が進められました。
一貫した教育理念というよりも、多岐にわたる諸提言を短い年月で速やかにもれなく現実化していこうとするその実現力、実行力の強さが教育再生実行会議の特徴だったのではないかと思われます。
道徳の教科化、教育委員会改革、教育の無償化など
提言は多岐にわたるため、そのすべてに触れることはできませんが、いくつか補足をしますと、
道徳教育については、従来、学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育を補完・深化するものとして、「道徳の時間」が教科外の一領域として昭和33年から設けられていましたが、平成27年(2015年)に小中学校の学習指導要領の一部改正によって、「特別の教科 道徳」が新設され、検定教科書を用いた道徳教育に移行しています。
教育委員会の改革については、平成26年(2014年)に法改正が行われ、教育委員会制度自体は存続するものの、教育委員長(非常勤)の職は廃止して教育行政の専門家である教育長(常勤)に一本化するとともに、知事や市町村長に「大綱」決定や「総合教育会議」開催等を通じて教育行政に関与できる権限を付与するなど、教育行政の独立性などに関わる大幅な見直しが行われました。
教育の無償化については、高等学校段階の支援として、①公立高校生と私立高校生への支援を就学支援金に一本化するとともに、その充実によって私立高校授業料を実質無償化し、②授業料以外の費用についても「奨学給付金」が支給されることとなりました。また、幼児教育・保育の無償化を実現するため、3歳から5歳までのすべての子供(住民税非課税世帯については、0歳から)について、幼稚園、保育所、認定こども園等の利用料が令和元年(2019年)10月から無償化されました。さらに、大学等の高等教育においても、修学支援新制度が導入されるなど、学生に対する授業料・入学金の減免や給付型奨学金の支給等が進められています。
また、学級編制や教職員定数の改善については、障害を有する児童生徒、外国人児童生徒への対応や指導方法工夫改善のための従来の加配定数を基礎定数で措置するよう平成29年(2017年)に法改正が行われるとともに、小学校の1年生でのみ行われていた35人学級について、令和3年度から他学年にも順次拡大されることとなりました。
社会に開かれた教育課程、学力の3要素
平成28年(2016年)12月、中央教育審議会から、「社会に開かれた教育課程」の理念を実現するため、「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」を一体として検討し、教育課程を軸に学校教育の改善・充実の好循環を生み出す「カリキュラム・マネジメント」の推進や「主体的・対話的で深い学び」の実現(アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善等)などが答申として提言され、これに基づき、平成29年~31年(2017年~2019年)に学習指導要領の改訂が行われました。
なお、平成10年・11年の学習指導要領改訂で示された学力観や平成19年の学校教育法改正などを踏まえて従来から論じられてきたいわゆる「学力の3要素」については、本答申では、育成すべき資質・能力が「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」、「学びに向かう力、人間性等」の3つの柱で整理されています。
新型コロナウイルス感染症の流行
子供たちが毎日当然のように登校し教室で一斉授業を受けるということが、必ずしも当たり前ではないとしたなら、学校はどのような役割を果たすべきでしょうか。
令和2年(2020年)から本格化した新型コロナウイルス感染症の全国的な拡大は、社会経済活動の停滞、東京オリンピック競技大会の延期や無観客試合の要因となったのみならず、子供たちの学びにも大きな影響を与えました。
国からの緊急事態宣言発出や休業要請等を踏まえ、学校現場では一斉休校や分散登校、修学旅行等の学校行事の見直し、部活動の休止、夏休み期間等の短縮による授業時数の確保、自宅でのインターネットによる遠隔授業、感染対策の強化などの様々な工夫がなされました。また、文部科学省から、学校再開や臨時休校に係るガイドラインの提示、「学びの保障」総合対策パッケージの公表や大学生への緊急支援なども行われました。
令和の日本型学校教育と働き方改革
令和3年(2020年)1月の中央教育審議会答申「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」では、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、当たり前のように存在していた学校に通えない状況が生まれ、子供たちの学力格差の拡大、生活習慣の乱れに伴う心身の健康課題、家庭における児童虐待の増加等が懸念されると指摘されました。
また、この災禍を契機に、日本の学校が学習機会と学力を保障するという役割のみならず、全人的な発達・成長を保障する役割や人と安全・安心につながることができる居場所としての福祉的な役割を担ってきたことが見直され、多様な子供たちを誰一人取り残さない学校教育が、今後の教育において重要であるとしています。
コロナ禍前には既に、前述の新しい教育課程の考え方が示され、法律に基づく学習者用デジタル教科書の使用やGIGAスクール構想なども進められていましたが、令和3年の本答申においては、新型コロナウイルス感染症拡大の経験を経て、ICT(情報通信技術)が今後の教育に与える影響の大きさと、ICTだけでは果たせない学校の役割ということが、改めてより強く意識されるようになったように思われます。
一方、子供と接する教員の働く時間や資質能力等には自ずと限界があります。また、大学全入の時代を迎えつつあるとも言われ、子供や保護者の価値観もより多様になってきています。教員採用試験の倍率の低下などが懸念される中、令和の日本型学校教育が持続可能な発展をしていくためには、教員業務支援員をはじめとする支援スタッフの充実、教職員定数の改善、部活動改革、教育内容の見直し、学校向け調査等の業務の精選・削減など、学校の働き方改革への取組が重要な課題と思われます。
また、日本型学校教育の在り方に対しては、従来の「正解主義」や児童生徒の「同調圧力」等への偏りから脱却し、一人一人の子供を主語にする教育の実現も求められていると思われます。
なお、「学制百五十年史」の主な記述対象は令和4年3月までですが、その後も、教員免許更新制の発展的解消に係る法改正、部活動の地域移行など、様々な動きが続いています。
●Profile
中澤貴生(なかざわ・たかお)
京都大学法学部卒業。昭和62年文部省入省。大分県教育委員会総務課長、初等中等教育局小学校課課長補佐、内閣官房中央省庁等改革推進本部参事官補佐、岐阜大学教授、内閣官房行政改革推進室参事官、日本学術会議参事官などを歴任。令和2年より『学制百五十年史』の編纂事務に携わる。令和4年、定年退職。