学制150年の歴史を振り返る
学制150年の歴史を振り返る 第1回 ― はじめに ―
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2022.11.21
今年(令和4年)は、明治5年(1872年)に日本の近代教育法令である「学制」が公布されてから、ちょうど150年目の佳節に当たります。
政府では、学制150年記念式典や教育者表彰が挙行され、記念展示や記念シンポジウムが開催されました。また、文部科学省から、これまでの教育行政の歴史を振り返る『学制百五十年史』の発行も行われ、「(株)ぎょうせい」からその市販版が刊行されることになりました。これは、近年では、昭和47年刊行の『学制百年史』、平成4年刊行の『学制百二十年史』に次ぐものです。
この連載では、市販版の刊行に先立って、学校制度を巡る150年の歴史を7回に分けて簡単に概観してみたいと思います。
30年前を思い起こすと
前回の学制百二十年史が発刊された平成4年(1992年)前後の頃を思い起こしてみますと、国際的には、ソビエト連邦のゴルバチョフ大統領の登場によって東西冷戦の緩和が大きく進み、国際経済のグローバル化が顕著になってきた時期でした。一方、国内的には、平成になって間もなく始まったバブル経済の崩壊によって、株価や地価の下落が進行し、日本経済の先行きが見えにくくなった頃で、また、政治的にも、日本新党の躍進等による新たな連立政権樹立への模索など、いわゆる昭和の「55年体制」の終焉につながる大きな地殻変動が始まりつつある時代でもありました。
あれから約30年。改めて振り返ってみますと、教育行政の分野では、不断の教育論議を伴って、頻繁に改革が行われ続けた時代であったことが痛感されます。
戦後75年以上が経過し、この直近30年間の教育改革をどう見るかは人によって様々に異なるでしょうし、また、その成否をどのように判断するかは最終的には後世の歴史による俯瞰的な評価を待たなければなりませんが、一つの見方として、数多くの教育改革の試みによって、日本の戦後教育の枠組みが我が国社会の発展や世界の動きの中で総決算され、再構築された試行錯誤の総体であったと捉えることもできるのではないでしょうか。
改革の背景に何があったか
そのような度重なる改革が求められた底流としては、むろん、
① 我が国の教育が著しい量的拡大を遂げた一方で、学校での深刻ないじめ、不登校、学習意欲の低下、家庭や地域の教育力の弱体化などの諸問題が進行し続けたこと ② 学歴社会が曲がり角を迎え、知識基盤社会への移行が指摘される中で、生涯学習の理念の下、学校や義務教育が本来担うべき役割が改めて問われるようになったこと ③ 均質な平等だけでなく、能力の伸長や多様性を求める意識の変化が生じてきたこと などの要因が従来からあったと思われます。
さらに加えて、平成4年(1992年)以降の直近30年に特徴的な主な要因として、次のような点が挙げられるのではないでしょうか。
特徴的な3つの要因(① 少子化の進行)
まず一つ目は、「少子化の進行」でしょう。
平成に入って以降、小学校、中学校、高等学校では、いずれの校種においても一貫して児童生徒数の長期減少傾向が続いています。このことは、戦後のベビーブームの余波に伴う学校数、教職員数、施設設備等の急増対策が一段落し、知識基盤社会の重要性も指摘される中、量の充実から質の向上への転換がより本格的に模索される時期に入ったことを意味します。
またそれとともに、進学率の上昇等と相まって、同年代の多くの子供たちが長期間、学校で過ごさざるを得ない状況になり、学習動機の希薄化、過度の同調圧力等も一層課題となってきました。
家計の負担軽減を図るための教育の無償化など、少子化への対応が日本社会の抱える重大な政策テーマであることは、ますます明らかになってきていると思われます。
特徴的な3つの要因(② 低成長の時代)
二つ目の要因としては、我が国がバブル経済崩壊後の「低成長の時代」に入ったことを挙げたいと思います。
平成4年(1992年)以降、多少の増減はあるものの、GDP(国内総生産)は30年間ほぼ横ばい状態が続き、世界経済のグローバリズムや新自由主義の進行の下で、非正規雇用の割合も全雇用者の3分の1以上に達してきています。教育の分野でも、家庭環境や学歴、学力の差が世代間を超えて受け継がれていく格差の連鎖、子供の貧困、引きこもりの問題等が指摘されるようになりました。
さらに、国では赤字国債の発行残高が急増するなど厳しい財政事情が続き、経済界等や地方からの意向も汲んで、規制緩和や地方分権、独立行政法人改革などの行財政改革が大きな流れとなっています。そのような変化が、教育行政での規制見直しを促し、地方公共団体の裁量拡大や新しい学校運営の導入の契機となった一方、各学校や校長の人事・予算面での裁量拡大は未だ道半ばと見る向きもあるでしょう。
特徴的な3つの要因(③ 情報化の加速)
その他の要因としては、インターネットの普及等の世界的な技術革新による「情報化の加速」が挙げられます。
SNSは時代社会を変える力を持つようになり、人工知能(AI)やビッグデータ等による新たな時代の到来も指摘されています。スマートフォンなどの普及によって子供たちは学校や保護者を介することなく、容易に一般社会の情報に直接アクセスできる環境となりました。
その一方で、新型コロナウイルス感染症の全国的な拡大で露呈したように、我が国の学校における情報環境は、ソフト面やマンパワーも含め諸外国と比して決して十分なものとは言えませんし、その他の社会の各分野でも国際的な競争力の低下が散見されるようになっています。
情報化の進展は、自宅でのテレワーク、時間や場所に制約されない教育・学習活動、DX(デジタルトランスフォーメーション)による産業革新や新たな職業の創出など、次の時代の学校教育や人材育成の在り方に大きな影響を与える要因と言えるでしょう。
不易と流行
このような様々な要因を念頭に置きつつ、しかし、どのような時代にあっても変わらない「不易」と、社会の変化に応じて変えていくべき「流行」の両面を、教育は常に見据えていかなければなりません。過去の歴史を振り返るとき、我々は、いつの時代にあっても、大きな節目節目に、国を挙げて教育改革の検討の場が設けられ、対処策を先人たちが模索し続けてきたことを見て取ることができます。
次回からは、時系列でそれぞれの時代を概観していきたいと思います。
●Profile
中澤貴生(なかざわ・たかお)
京都大学法学部卒業。昭和62年文部省入省。大分県教育委員会総務課長、初等中等教育局小学校課課長補佐、内閣官房中央省庁等改革推進本部参事官補佐、岐阜大学教授、内閣官房行政改革推進室参事官、日本学術会議参事官などを歴任。令和2年より『学制百五十年史』の編纂事務に携わる。令和4年、定年退職。