玉置崇の教育放談 [第4回] 教師が個別最適な学びのイメージを持ちたい
授業づくりと評価
2023.03.03
玉置崇の教育放談
[第4回] 教師が個別最適な学びのイメージを持ちたい
岐阜聖徳学園大学教授
玉置 崇
「個別最適な学び」の理解は?
令和3年3月に文部科学省初等中等教育局教育課程課から出された「学習指導要領の趣旨の実現に向けた個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に関する参考資料」では、「個別最適な学び」は、「指導の個別化」と「学習の個性化」に整理されていて、児童生徒が自己調整しながら学習を進めていくことの重要性が示されています。
その資料を読み進めれば、「個別最適な学び」について詳しく知ることはできますが、結局、「個別最適な学びとは何か?」と尋ねられると、うまく説明できないという方が多いようです。
「個別最適な学び」のイメージを持つことができる体験談
私は、「誰もが個別最適な学びを体験している」と思っています。このことを自覚していただくために、自分自身の「個別最適な学び」を紹介しています。なぜなら体験談を伝えることで、それぞれの方が「自分にとっての個別最適な学びは〇〇だ」と、イメージを持っていただけると思うからです。
私自身の「個別最適な学び」経験は、落語の面白さを知り、落語をもっと知りたいという己の学びの要求を満足させる動きをしたことです。それは高校時代でした。
当時、教育課程に週1時間の「クラブ活動」が位置付けられていました。必ず「クラブ活動」を履修しなければ単位はもらえません。しかし、学校から提示された「クラブ活動」には、私が所属したくなるものはなく、やむを得ず、「落語鑑賞クラブ」を選択したのでした。
この「クラブ活動」は、落語好きな先生が教室に持ってきた落語のレコードを聴くだけというものでした。
20数人が所属していたように記憶していますが、自分も含めて、落語に興味がある者が集まっているのではありません。特に入りたいところがなく、ここなら楽そうだという発想で所属した者ばかりでした。当初はどうも入部希望者が皆無だったようで、担任から「特に希望がない場合は落語鑑賞クラブに入ってほしい」と勧められたことも思い出しました。
このようなクラブ活動ですから、落語のレコードがかかり始めると、寝始める仲間が多く、私も「落語鑑賞クラブ」は「睡眠クラブ」だと考えていました。映像はなく、音だけを30分間ほど聞くわけですから、興味がない者は眠くなって当たり前でした。
ところが、桂米朝の「軒付け」を聴いたときでした。初めて教室で笑いが生まれたのです。「鰻でお茶漬け」というくすぐりが繰り返されるのですが、そこでみんなが大笑いしたのです。もちろん私も笑いました。そして、初めて落語は面白い!と思ったのです。まさに落語に開眼したのです。だからこそ、66歳になった今でも演者も演目も覚えているのです。
振り返ってみると、自分にとっての「個別最適な学び」が始まったのは、そのときからです。当時、地元ラジオ局が東西の落語家を呼んで「なごやか寄席」という番組を制作していました。そのための公開録音もしていました。その公開録音に参加するには、往復はがきで応募して、当選しなくてはなりません。何枚も往復はがきを出しました。そのうちの1枚が当たり、生の落語を聴く機会を得ることができました。
ここで確認しておきたいのは、教師に往復はがきを出しなさいと言われたわけではなく、自ら出したことです。まさに「個別最適な学び」です。個別(自分)の最適な学び(この場合は落語を聴きたいという学び)を実現させるために自ら動いたのです。
生落語を聴き、落語への興味はさらに高まりました。レコードや本を買いました。これも自分で決めたことです。誰かに指示されたものではありません。まさに「個別最適な学び」ができるように、自分で動いたのです。
大学へ進むと、桂米朝の落語を生で聴きたいという思いが強くなりました。この欲求を満たすために、とうとう愛知から大阪まで足を運ぶようになりました。新幹線代がかさみます。大阪に1週間連泊したこともあります。小遣いはあっという間になくなりますが、落語をもっと知りたいという学びへの気持ちは低下するどころか、ますます高まったのです。
教師が「個別最適な学び」のイメージを持ち、子どもたちに伝える
私の体験談を通して、ご自身の「個別最適な学び」のイメージを持つことができたと思います。誰もがこれまで何かにのめりこんだ事柄があると思います。それを子どもたちに語って聞かせるとよいでしょう。
「個別最適な学び」は、子どもが、自らの学びの欲求にしたがって主体的に行動して学びを深めていくことだと考えています。「個別最適な学び」の解説の中で、「学習の自己調整」という文言がありますが、「自分の学びのために自分で学習を調整していく」ことが大切なのです。いくら優秀な教師であっても、一人一人の子どものために「個別最適化された学び」を提供することはできません。子どもがどれだけ先生とともに学びたいと言っても、いつかは子どもから離れなくてはいけません。子どもが教師から離れるときまでに、子どもが自ら学ぶことができる力をつけることが求められているのです。
Profile
玉置 崇 たまおき・たかし
1956年生まれ。愛知県公立小中学校教諭、愛知教育大学附属名古屋中学校教官、教頭、校長、愛知県教育委員会主査、教育事務所長などを経験。文部科学省「統合型校務支援システム導入実証研究事業委員長」「新時代の学びにおける先端技術導入実証事業委員」など歴任。「学校経営」「ミドルリーダー」「授業づくり」などの講演多数。著書に『働き方改革時代の校長・副校長のためのスクールマネジメントブック』(明治図書)、『先生と先生を目指す人の最強バイブルまるごと教師論』(EDUCOM)、『先生のための話し方の技術』(明治図書)、『落語流 教えない授業のつくりかた』(誠文堂新光社)など多数。