教育実践史のクロスロード

岩宮恵子

教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・第4回] 河合隼雄 こころの物語を読み解く―教育のなかに生きる臨床心理学の智慧

学校マネジメント

2022.02.25

「片子を死なせてはならない」

 このような日本における「母性」と「父性」をめぐる問題を、河合先生は昔話の「鬼の子小綱」のなかの「片子」を通じていろいろなところで論じられている(『昔話と日本人の心』岩波書店、1982年など)。

 人間の女性が鬼にさらわれ、そこで半鬼半人の片子を産むが、人間界に帰りたいと願う母親の意を汲んで、片子は人間界に母とともに帰ることができるように努力する。片子の活躍のおかげで帰ることができたのに、人間の世界では半分が鬼の姿の片子の相手を誰もしてくれない。そのうち片子は「居づらく」てたまらなくなり自殺をしてしまうという凄まじい話である。自殺に至るまでの類話では、「自分は人間が食いたくなって困るので、殺して欲しい」と頼んだ挙げ句、結局は片子が自殺するしかなくなるというものもあるらしい。

 河合先生は、『昔話と日本人の心』のなかで、片子について「後に取り上げて論じることにしよう」と書きながら、まったく論じていなかったことに後で気づき、「『片子』の示す問題の深さに気づいて暗然とした気持ちとなった」のだという。そして『生と死の接点』(岩波書店、1989年)のなかで、「片子」についてあらゆる論文や資料から検証し、様々な角度から考察を加えておられる。

 最初にこの「片子」を巡る論考を読んだ当時は、帰国子女のクライエントの苦しみにずっと同伴していた時期だったこともあり、「片子」の例として帰国子女のことが記してあったのに飛びつき、文化差による心のなかの分裂という視点での見方にはまっていた。しかし、河合先生の知見は、当然、それだけで収まるものではない。「片子」を通じて、日本人がこれから本当に創造していかなくてはならない「父性」の問題について現代人の課題全体を見通しているのである。

 日本のような農耕民的な母性社会のなかでの父性は、「イエ」や「世間体」や「和」を守るためには、強い態度をとることができる。しかし「個人」としての判断がそこにあるわけではない。一見、立派な父性に見えていても、「世間体」や「和」を守るための「空気を読んだ」判断であり、「ひとりの個人として」どう考えているのかということを明確にすることはない。一方で、牧畜民的な父性は、周囲がどう思おうと、自分個人の判断を明確にするところに特徴がある。帰国子女のなかには、教師の意見とまったく違う考えを発言したり、クラスメイトにも思ったことをそのまま口にしたりするという形でそのような父性が出てくる人もあり、そのことで排除を受けてとんでもなく居づらくなってしまうこともある。

 「片子」はこの牧畜民型の父性の象徴としての「鬼」と、母性社会の血を半分ずつ受け継いでいる存在だ。本当に日本人がこれから創造していかなくてはならない父性のヒントは、この片子のイメージのなかにあると河合先生は捉えている。しかし「片子」が日本で生きようとすると、強い排除を招いてしまう。

 空気を読むのが苦手で母性的な「和」を乱す存在として、その苦しみが「発達障害」として焦点化されている人たちも、社会のなかに居心地の悪さを感じて引きこもっている人たちも、そして「人が食いたくなって困る」ほどに、自分の攻撃性に歯止めがきかなくなって、モンスターと言われている人たちも、「片子」なのではないだろうか。このような問題を抱えている人を誰もが避けて相手にせず、居づらさを感じさせて「排除」してしまうと、それは日本人が必要としている新しい父性の芽生えである「片子」を見殺しにすることになってしまう。

 また、アメリカに国籍を変えた、今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏の「日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています」「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません」という言葉からも、日本では優秀な人が自分の発想に集中して研究できないという実情が伝わってくる。「片子」はとにかく、日本に居づらいのだ。

 「片子を死なせてはならない」という言葉は、愛読していた『生と死の接点』に、サインがほしいとお願いしたとき、ちょっとだけ考えて、すらすらと書き加えられた言葉である。今の学校現場にも、たくさんの「片子」がいる。「片子を死なせてはならない」という強い意志で、河合先生は様々な仕事に向かっておられたのだということが、今、痛いほど身にしみる。

 

 村上春樹は、「河合先生」という呼称を、河合先生は半ば意図的に受け入れ、衣のように纏っていたように感じると述べている。この日本のなかで、本当に創造していかねばならない「父性」を、河合先生は「河合先生」と呼ばれることを引き受けることで、体現しておられたのかもしれない。

 

 

Profile
岩宮恵子 いわみや・けいこ
 1960年生。聖心女子大学文学部心理学科卒。島根大学人間科学部教授。島根大学こころとそだちの相談センター長。河合隼雄学芸賞選考委員。日本ユング心理学会理事長。著書に『フツーの子の思春期─心理療法の現場から』『生きにくい子どもたち─カウンセリング日誌から』『思春期をめぐる冒険─心理療法と村上春樹の世界』『好きなのにはワケがあるー宮崎アニメと思春期のこころ』など。

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