教育実践史のクロスロード
教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・第3回] 木下竹次 疑って解き、伸びていく子どもの姿を見つめてー主体的・対話的で個別最適な学びの原形
学校マネジメント
2021.12.27
疑って解くことを信条とした独自学習と相互学習
大正10年発刊の児童向け学習雑誌『伸びて行く』創刊号で、木下は、「児童は蕨芽のように伸びて行く。しかも力強く伸びて行く。児童は『伸びて行く』ことによって、学習の導きを得る。学習の問題を捉える。その解決を発表する。誌友互いに思想を交換する。広く趣味ある読物を得られる。児童はこうして伸びて行く。蕨芽のように伸びて行く」という言葉で、同雑誌の趣旨を表した。『伸びて行く』は『赤い鳥』とともに当時の参考読み物の代表的存在として全国の児童に愛読された。
また、「何にかぎらず先づ独自で学習してみる、疑うて、解いて、又疑うて、手の着くところから学習を進める。或は実験実習に依り、或は図書図表により、或は指導者にみちびかれて。かくして相互学習に進み行く。更に再びもとの独自学習にもどる。ここに著るしい自己の発展がある」と記した。すでにこの頃、各時限を40分に短縮して確保した「特設学習時間」を第1時限目に導入していた木下は、この時間を独自学習のみの時間としようとの構想に至っていた。まず、児童が独りで疑う、つまり主体的に問いを立てることから出発することを提唱した。独自学習で自らの見解を携え、相互学習で他者との質疑応答によって対話的に学びあった上で、独自学習を深化させていく。木下は、相互学習は独自学習のためのものとし、究極の学習は独自学習だと断言している。
松本千代栄訓導は、奈良女子高等師範学校附属高等女学校に外部進学した頃の記憶として、「カリキュラムでは国語の副読本も色々なものがありました。……授業時間になると誰かが先生に何か言いますが、先生がおっしゃると、先生が指名していないのにぱっと立って『それはこうこうこうで』、またぱっと立って『こうこうこうで』というふうにディスカッションになるんです。自分としては『はいっ』と手を挙げて、先生にあてられてから立ち上がるという教育の方式しか知らなかったので、びっくりしました。附属小学校から来る40人と外から来る10人で構成されておりました。私は外から入った人間だからこの空気にびっくり仰天しました。そんなふうに附属では自由にディスカッションできるように育てておりました。……私は『どうやって勉強してくるの? そういうふうに一人で言えるの?』と友人に聞きました。友人は『本で調べてくるの』と答えて、私は『ふーん、そうなの』と。自分は教科書で習ったことは手を挙げて、という教育でしたから。自分できちんと調べてきて、そのあと教室で他の人とディスカッションするという教育でした」と、驚きを率直に語っている。
教員の働き方改革の現代においては、深夜までとは論外であろうが、残された写真(写真1)2を見ると、いかに木下と訓導たちが熱意をもって『伸びて行く』の編集に取り組んでいたかを垣間見ることができる。木下自身は内外の教育関連書籍をいち早く書店に注文し、夜が更けるまで自室の灯りが消えないほどの読書家であったが、訓導にもその時々に関連文献を手渡し、直面する課題について議論を求めた。訓導たちも自ずから読書家となり、その習慣は学級文庫に備えておくべき児童用参考書選定へとつながり、『伸びて行く』や『学習研究』の原稿創作においても発揮された。
[注]
2 奈良女子高等師範学校附属小学校内学習研究会編集『伸びて行く』第3巻第3号、1923年、巻頭(奈良女子大学学術情報センター所蔵)
池田小菊訓導は、「木下氏の影響でもっとも大きかったことは、皆なかなかよく書物をよんだことだと思います。絵の好きなものは絵、文学を好きなものは文学、哲学方面の勉強をするもの、動植物をやるものと、教員自身でそれぞれ自身の特徴を発揮して、教員もよく『学習』しました。だから、皆それぞれ一家の言をもっていて、教員会議には談論さかんに行われ、皆気焔を上げたものです。教室で討論式が採用されたように、教員会議にもやはりそれが行われたわけで、男も女も皆意見を主張して、ずいぶん熱を上げたものでございます。ああいった教員室の熱、木下氏をして『寧楽の都に活火山あり』といわしめたあの熱、あれは今思い返しても大へん気持ちがよく、実際、あのころは愉快だった」と、懐古している。木下も訓導たちも、独自・相互学習を行っていたと言える。今日、教員に求められる資質能力として、「得意分野を持つ個性豊かな教員」や「学び続ける教員像」との関連性や、「組織としてカリキュラムを創り、動かし、変えていく、継続的かつ発展的な、課題解決の営みである」カリキュラム・マネジメントに照らしても興味深い。
『学習研究』の創刊と合科学習
『伸びていく』発刊の翌年に創刊された機関誌『学習研究』で、特集号が組まれるほどに何度も掲載されているのが、「合科学習」関連の寄稿である。
今日の総合学習の源流として位置づけられる合科学習は、奈良女高師附小の学習法の中で特徴的な実践であるが、木下は、「合科とは分科を合わせた意味でなくて全一的生活を指している」「各教科の学習は合科学習から分化する」と説いている。教科学習を「小径」とし、合科学習という「大径」があると表現していた。学習者自身が自分の生活内容を合科的に選定し、その生活方法を自律的に創作実現し、全人格の渾一的発展をはかるのだとした。低学年向け大合科、中学年向け中合科、高学年向け小合科学習に分け、前述の独自学習から相互学習、そしてまた独自学習へという流れがあり、同誌上で数々の実践が披露されている。
成城小学校の機関誌『教育問題研究』には、当時の主事の小原が、恩師木下宅と奈良女高師附小を訪問した時の様子が記されている。彼は特設学習時間を参観し、児童が思い思いに学習する様子を見て、その研究態度や探究の姿勢に感心したと記している。また、河野伊三郎訓導の合科学習「環境の教育」を参観し、西洋に発表しても恥ずかしくないものだと賞賛した。奈良の公園・市街・田園・寺社・経済行政機関一切を背景(環境)として、それを利用し理科・数学・文学・歴史・地理、全てをやっていこうという試みだと合科の内実を分析した。経験主義か系統主義かという二項対立を乗り越えて、総合と教科の相互環流をはかる上で参考となろう。
卓越した先見性の彼方に
木下は、22年にわたり実践的に研究し続け、送別会の席上で、「私の心も生活も教育の事も学校の事で一ぱいになっていた。今学校を辞めるということは、自分の生活が断ち切られるという事になる。私の住居は学校であった」と振り返り、筆を折った。
ICTの出現をも予言し、卓越した先見性を備えていた木下は、生活科・総合的な学習(探究)の時間創設から、近年の主体的・対話的で深い学び、協働的な学び、カリキュラム・マネジメント、GIGAスクール構想等の教育の情報化加速化政策、個別最適な学びを天界から眺めて、微笑んでいるだろう。OECDによって示された、ウェルビーイングやエージェンシーという概念について、持論を展開させているかもしれない。
子どもの視点に立って「学習」とは何かを追求し、具体例の宝庫である著作を世に問いながら、大勢の見学者を受け入れるほどに耳目を集めた思想と実践は、今日なお継承されている。
[参考文献]
・奈良女子高等師範学校附属小学校内学習研究会編集『伸びて行く』目黒書店、1921年
・奈良女子高等師範学校附屬小学校内学習研究会編『学習研究』目黒書店、1922年
・木下竹次『学習原論』目黒書店、1923年
・奈良女子大学文学部附属小学校編『わが校五十年の教育』奈良女子大学文学部附属小学校、1962年
・木下亀城・小原國芳編『新教育の探究者木下竹次』玉川大学出版部、1972年
・創立百周年記念誌編集係編『わが校百年の教育』奈良女子大学附属小学校、2012年
Profile
坂下直子 さかした・なおこ
京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。教員、公共・大学・学校図書館の司書経験から、教育方法学と図書館情報学双方の視点で研究を続ける。現在は、京都大学はじめ多くの大学で司書・司書教諭・学校司書養成科目を担当している。