教育実践史のクロスロード
教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・第3回] 木下竹次 疑って解き、伸びていく子どもの姿を見つめてー主体的・対話的で個別最適な学びの原形
学校マネジメント
2021.12.27
教育実践史のクロスロード ActII [リレー連載・第3回]
木下竹次
疑って解き、伸びていく子どもの姿を見つめて
ー主体的・対話的で個別最適な学びの原形
京都大学等非常勤講師
坂下直子
(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.3 2021年8月)
大正自由教育の牽引役として
ここに1枚の写真がある1。大正10年に行われた、奈良女子高等師範学校附属小学校(以下、奈良女高師附小)における講習会の参会者(のべ約1500人)が、背景の校舎全体を覆うようにして校庭に並ぶ姿に、思わず目を奪われる。現代と比べれば乏しい交通事情のもと、全国から詰めかけた多くの教育関係者は、何を見ようと訪れたのか。
明治末から大正期、デモクラシーの気運にのって新教育が生まれ、各地で次々と実践が営まれた。推進者たちは異口同音に「強いられている子どもの目」を憂い、「自ら欲して為す子どもの目」の輝きについて発言している。近代国家建設の一環として学制が発布され、知育最優先の教育方法に内在した効果と課題のうち、後者に対する問題意識が変革を促した。初等教育の実践の中でも全国の牽引役を担ったのが、第2代主事であった木下竹次が率いる奈良女高師附小である。
[注]
1 創立百周年記念誌編集係編『わが校百年の教育』奈良女子大学附属小学校、2012年、p.27
奈良の学習法の根底
木下が主事として就任したのは、大正8年のことであった。教科別自学主義教育の実践をすでに始めていたという下地もあり、訓導たちは進歩的教育の素養を持っていたが、木下の赴任は同校に大きな変化をもたらした。いわゆる「奈良の学習法」のあけぼのである。
主著『学習原論』で記されたとおり、木下は、「私は教師の教育力を尊重するとともに児童生徒の学習力を尊重したい。私は人は本能を基礎として教師指導の下に漸次自律的学習を遂げて人らしく発展することが可能であることを子どもから教えられた」と、述懐している。また、「教育といえば教師の側面からながめたように思われるから、児童の方からながめた学習という名称を用いるのである」と説いている。『教育原論』ではなく、『学習原論』と題したゆえんであろう。その理論は独自のもので、のちにキルパトリック、パーカースト、ウォッシュバーンの来校時に、彼等からの「これは何プランか?」との質問に対して、槇山栄次校長は、「木下プランです」と答えている。中野光は、「『学習原論』は1920年代の教育界におけるベストセラーであり、他のいかなる教育学者の著書よりも多くの教師に読まれた。それが外国の書物の紹介や翻訳でもなく、ただ観念的に展開された理論でもなく、木下というひとりの教育者によって実践的に創造された理論であったからでもあろう」と評している。玉川学園創設者・小原國芳も、京都帝国大学在学時の講義中に小西重直より推薦書を提示された中で、日本のものは『学習原論』ただ1冊だったと回想している。
着任早々、木下は意欲的に教育改革に乗り出した。「学習は学習者が生活から出発して、生活によって生活の向上を図るものである。学習は自己の発展それ自身を目的とする。異なった遺伝と異なった環境とを持っているものが、機会均等に自己の発展を遂げ自己を社会化して行くのが学習である」「学習の目的は自己の建設である」「生の要求をまっとうするがために創造の力を創造的に使用する作用を修得することである」という信念を表出している。学習者中心の教育が唱導されている今日とは異なり、国家に貢献する人材を育成することが教育の使命であった当時、「学習」を主語にした視点で自己の発展や建設を第一義としたことは驚きである。
実践に裏付けられた自律的学習の主張
木下が信念を貫く根拠となったのは、現場での実践であった。最前線で、その目で確かめた事実から理論を構築していった。そのまなざしは、当時一般的であった他律的学習から自律的学習へと注がれていく。知識技能の習得を目途とした教育方法として効率的なのは、他律的学習すなわち強制的な学習方法であろう。だが、それは前提条件であって学習の最終目標ではないと気づく。「何のために知識技能を修得するのか考えてみるがよい。知識技能を修得させておいて他日の社会生活に利用させようなど思っているのがよくよく問題だ」と批判した。
そして、自律的学習によって、「各自の能力に相応して優劣とも有効な結果に到達する」とし、各自の到達度を把握するための答案は必要だが、点数で他者との比較を誘発し刺激することは慎み、保護者に成績表を開示しないこととした。個々の子どもの特性に応じた一人一人の自主的な学びの進展を目指す姿勢は、現代で言う個に応じた個別最適な学びを想起させる。そのためには学習を、「発動・創作・努力・歓喜的になさしめる」ことが重要で、動機付けや精神統一による学習方法の体得、学習材料の生活化、環境整備を重んじた。
当時、批判を受けながらも、教師も環境の一部として存在すべきと説いたことは特筆に値する。「教師が脇役に徹して、児童に自律的学習をさせてみると、教わってはとうていできないことを自ら考え進み新天地を開拓する児童固有の本性を発揚することができた」という、実地経験に基づいた主張は説得力を持つ。近年の、「子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割」「子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力」を備えた、「令和の日本型学校教育」を担う教師の資質能力の在り方に通じる。そして、「学者が原理を説くものの示し得なかった具体的な方法」を示そうと多くの著作を刊行した。学者を志すも養父から反対された体験が、実践主義的な研究姿勢を生んだのかもしれない。