Leader’s Opinion~令和時代の経営課題~
Leader’s Opinion ~令和時代の経営課題~ [今回のテーマ]部活に“チカラ”はあるか 中澤篤史
トピック教育課題
2021.12.24
Leader’s Opinion ~令和時代の経営課題~
[今回のテーマ] 部活に“チカラ”はあるか
西田知浩+中澤篤史
早稲田大学准教授
中澤篤史
(『新教育ライブラリ Premier II』Vol.3 2021年8月)
部活動に期待する“チカラ”
問題山積の部活動だけれど…
一昔前には考えられないほど、今や、部活動の問題点が明るみになった。
強制参加、体罰・暴力、死亡事故、いじめなどの生徒にとっての問題。強制顧問、過重負担、休日出勤などの教師にとって問題。
こんな風に部活動の悪いところばかりが目に付くと、部活動の良いところが見えづらくなってくる。そこで解決すべき問題が山積していることを自覚しつつ、あえて本稿では、私なりに部活動に期待する“チカラ”を論じてみたい。
いったい部活動の良さは何か。たとえば、教師が「生徒指導に有効だ」と言ったり、保護者は「わが子を厳しくしつけてくれる」と期待したり、競技団体は「競技の普及に役立つ」と評価したりする。
しかし、ちょっと待ってほしい。そもそも部活動は生徒の自主的な課外活動である。教師や保護者や競技団体にとって良いからといって、生徒にとって良いかどうかは別問題だ。
では、生徒目線ではどんな良さがあるか。「友達ができる」「礼儀正しくなる」「受験や就職に役立つ」と言う生徒がいるだろう。たしかに、それらは部活動の良さかもしれない。しかし、部活動以外でも得られる、間接的な良さにすぎない。
それらをはぎ取れば、部活動をすることそのものに行き着く。すなわち、「したいことができる」という良さだ。
部活動の良さは、何と言っても、生徒がしたいスポーツや文化活動ができるということだ。楽器を演奏したい生徒は、吹奏楽部に入れば楽器を演奏できる。サッカーをしたい生徒は、サッカー部に入ればサッカーができる。
つまり、私が考える部活動の良さとは、したいことができるということだ。
この指摘は、とても単純で当たり前に聞こえるかもしれない。しかし、それだからこそ、反論もまた難しいはずだ。したいことができること自体には、否定しがたい良さがある。
「したいことができる」ことの意味
では、したいことができることには、どんな意味があるのだろうか。
「したいことができるなんて、ただ楽しんでいるだけじゃないか」「自分の欲望を満たしているだけで大した意味は無いよ」。そう思われるかもしれない。
一面ではそのとおりなのだが、まさにそこが重要でもあるのだ。すなわち、したいことができることには、「楽しむ」という価値がある。
読者も私も誰もが人生を楽しみながら送りたいと願っている。と同時に、楽しむためにはいろいろハードルがあったり、その前にやるべき仕事もあったりして、人生を楽しむことは難しいということもわかっている。
大人になってみて、いきなりスポーツや文化活動を楽しもうと思っても、仲間を集めたり、予定を合わせたり、施設を借りたり、道具を揃えたり、とさまざまな困難が立ちはだかる。楽しむことは簡単に実現しない。
ならば、趣味やスポーツや文化活動を楽しむことができるように、何をどのようにすればよいのか、そのやり方を子ども時代に学校で練習しておいてもいいはずだ。
学校とはそもそも、子どもが卒業後に人生をしっかりと生きていけるようにトレーニングする場所だ。そして教師はその指南役だ。この形式を、部活動にも当てはめて考えてみよう。
卒業後に社会の荒波に揉まれる前に、学校という守られた場所で、生徒という保護された身分で、人生を楽しむための事前練習をしておこう。
コンセプトは「楽しむ練習」としての部活動だ。
部活動で育む人生を楽しむ“チカラ”
部活動は、生徒がしたい範囲で、スポーツや文化活動を楽しむ分には素晴らしい。ただし、楽しむことを強要もしないし評価もしない。参加は強制しないし、楽しむことが実現できなくても仕方がない。
楽しめなくても仕方がない、と言うと残念に聞こえるかもしれない。でも、授業ではない課外活動の部活動でしたいことをすることは、あくまでオマケと割り切った方がいい。「したい気持ち=欲望」を満たすかどうかは、生徒自身にかかっている。
欲望を満たすこと、それは自由を謳歌することにつながる。だから「楽しむ練習」としての部活動には、「自由の使い方」を学ぶ、という新しい教育的意義がある。
中でも重要なのは、意志決定の仕方だ。授業とは違って部活動では、参加するかどうか、何をどうするかを選んで決める自由が生徒にある。だからこそ強制参加なんてもっての外だ!
部活動では、生徒の自己決定権が守られねばならない。部活動で生徒は、自分に与えられた自由をどのように使うのか、そのための知識や方法を試行錯誤しながら学ぶことができる。
それだけではない。部活動をすると決めても、1人ではできない。なぜなら、自分以外の他者とともに活動することが必要だからだ。
ところで、その他者もまた、自分と同じように、その人の自由を使おうとしている。部活動では、自分の自由と他者の自由がぶつかる。だから裏を返せば、部活動では「自由と自由の共存の仕方」も学ぶことができる。
たとえば部活動を楽しみたいと思っても、部員同士で意見がぶつかることがある。ただ、それは当然のことでもある。大切なのは、そこで他の意見を受けとめたり、自分の意見を修正したりして、双方の納得できる結論が得るように努力することだ。
少し大変に聞こえるだろうか? でも大丈夫、生徒はきっと頑張り抜けるはずだ。だって自分自身が楽しむためなのだから。
「楽しむ練習」は、部活動だからこそできる。部活動を通して人生を楽しむ“チカラ”を育ててほしい。
Profile
中澤篤史 なかざわ・あつし
1979年大阪生まれ。東京大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科修了。博士(教育学、東京大学)。一橋大学講師・准教授を経て現在、早稲田大学スポーツ科学学術院准教授。スポーツ・身体・人間に関連する社会現象を、社会学を中心とした社会科学的アプローチから探究し、特に運動部活動の在り方や問題などを専門的に研究している。主著『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)、『そろそろ、部活のこれからを話しませんか:未来のための部活講義』(大月書店、2017年)、『「ハッピーな部活」のつくり方』(内田良との共著、岩波ジュニア新書、2019年)。Twitter:@naka_AT_sushi