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続・校長室のカリキュラムマネジメント

末松裕基

続・校長室のカリキュラムマネジメント[第8回]人間形成の物語を

NEW学校マネジメント

2021.01.27

続・校長室のカリキュラムマネジメント[第8回]人間形成の物語を

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.8 2019年12月

東京学芸大学准教授
末松裕基

物語なき時代にあえて

 カリキュラムをどのように考えるか。このような話を本連載では直接にはせずに、あえて迂回してきました。ここでも教科書的な定義はせずに、人間形成がどのようにあるべきか、何を目指してどのような学びをよしとして議論するのかという広い視野から考えてみたいと思います。

 今のような不透明で先行きの見えない世界や社会で、人間がどのように育ち学んでいくか、つまり、人間形成の物語をどのように構築できるかということです。

 哲学的な議論としても、現実的な現象としても「これを信じておけばよい」という「大きな物語」が社会で成立しなくなってきたと言われて、もう50年ばかり経とうとしています。

 それでは、個々人がそれぞれ目先の快楽を求めて「小さな物語」に満足していればいいかというと、それでは社会はますます自己中心的で、かつ、人とのつながりをみんな求めてはいるものの軽薄で安易なSNS的なつながりしかない世界になってしまいます。本当に他者の助けや支援を必要とするときには、お金を支払ってサービスを得るしかないような事態にもなりかねません。SNSはあくまで「サービス」と名の付くものですので、どこまでいっても消費的なつながりしか期待できないのも事実です。

 それでは、なぜ、このような事態が生じたのでしょうか。人間や社会に関わる物語を一生懸命考えようとするのは、なにも、教育の世界の特権ではありません。

 私がこの連載でも意識的に度々取り上げている小説家や詩人は、「社会のカナリア」として、人間形成の課題について真っ先に警鐘を鳴らす役割を果たしてきましたし、脚本家も人間や社会に関する前例のない物語を紡いでいるという点では、教育界が見習うべきヒントを数多く生み出しています。

損得を超えた物語を

 たとえば、脚本家ユニットの木皿泉は、次のようなおもしろい指摘をしています。少し省略をしながらご紹介します。

 「今すべてが一時しのぎ的で基盤がないもんね。高度成長時代であれば、冷蔵庫やクーラーを買えば楽な生活ができるという物語があるから、みんな明日を信じて頑張ることができた。だけど今は雇用も年金も危ういし……生きることに立ちすくみ、『現実』に対して受け身になってしまう。わかります……『どうせこんなもんだ』と決めてかかっている感じがしますよね、特に若い人は。行動する前に情報を検索して、損か得かみたいな線をあらかじめ引いちゃう。映画だったらレビューで星が多い方を見た方が得だとか、損をするのを嫌だから勝ち馬に乗っておこうとか。自分で勝手にそんな線を引くから、世界が『どうせ』に縮んでしまうんです……世界はたまたまこんな風なだけで、明日は全く違っているかもしれない……少し視点をずらすだけで世界は変わります……損得を超えたところで人間関係を作っていかないと……私たちが生き得る物語はほかにもたくさんあるんだということを見せていくことによって、誰もが立ちすくんでしまっている現状を打ち破ることができると思います……数字や損得を超えた物語を描く力。それが日本の政治、政治家だけじゃなくて、私たちの側にも足りないんじゃないかなあ」

(「世界は『どうせ』で縮みゆく」朝日新聞、2013年9月13日)

 このような指摘を踏まえると、教育界に携わる人にも人間形成に関わるシナリオ作成能力が求められていることがよく分かります(だからこそ、フィクションを含めて、たくさんの本や映画などを通じて物語に触れる必要があるのです)。

 社会が複雑になり、人間関係が難しくなればなるほど、表層的で安易な物語が蔓延します。「泣ける話」や「すぐ分かる話」をはじめ「人間関係がうまくいく〇〇の法則」や「○○するための15の法則」のような根拠も耐久性も無い言説が書店やテレビには溢れかえっています。

 中学校の教科書レベルでも本気で勉強したことがある人は分かると思いますが、歴史一つを学ぼうとするだけでも、自分が知らない世界がとんでもないほどの広がりと深さで実は存在していることに気付きます。

 刹那的に「いま」「ここ」にばかり目を向けて、人間関係を打算的に考える環境が増えてきましたが、そういったものを学校での学びを通じて乗り越える可能性はかなりあります。

人間形成の物語を

 教育学の世界でもこれらについての議論は丁寧になされています。たとえば、教育哲学者の高橋勝さんは次のように論じています。

 「『大きな物語』の退場は、無数の「小さな物語」の登場に道を譲ったのかといえば、必ずしもそうではない。アイデンティティや自己形成といった個人の生を根源的に意味づける物語そのものが、いまや衰弱死しかねない状況が出現している。……いつしか有用性と経済効率というフレームが、私たちの日常的思考を拘束する初期設定となった。その結果、社会という土壌で、大小の物語そのものが根腐れ状態となり、技術的な『問題処理』的思考ばかりが氾濫する時代となった。……その結果、どのような状況が生まれたのか。……本来は、大人世代から子ども世代への知恵や物語の伝承行為であり、夢や希望、理想や願望を基盤として成り立つ人間形成の営みが、そうした『物語性』を封印する方向で、経済効率的に語られる傾向にある……『人間形成の物語』が不在のまま、過剰な教育意識が子どもに差し向けられるという、まことに逆説的状況が出現している。しかしながら、物語を欠いた人間形成の論議ほど不毛なものはない。……明治期以来、人間形成や教育が、これほどの息苦しさと負担感の中で行なわれる時代はいまだかつてなかったはずである。

(『経験のメタモルフォーゼ─〈自己変成〉の教育人間学』勁草書房、2007年、i-iii頁)

 エビデンスやアカウンタビリティが声高に叫ばれる時代ですが、教育の世界でもっと夢やロマンが語られてよいと思います。

 

 

Profile
末松裕基(すえまつ・ひろき)
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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