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校長室のカリキュラム・マネジメント

末松裕基

校長室のカリキュラム・マネジメント[第11回]社会からどのような学校が期待されているか

NEW学校マネジメント

2020.08.26

校長室のカリキュラム・マネジメント[第11回]
社会からどのような学校が期待されているか

『リーダーズ・ライブラリ』Vol.11 2019年3月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 変化の激しい現代社会において、学校は様々な矛盾に対峙して乗り越えていく必要があります。たとえば、専門職と呼ばれる仕事のなかで、教職は、人々の技術と能力を創造し続けることが常に期待されます。

 学校や教師は、子どもたちの技術と能力を高め続けることも求められます。以上は、知識社会がもたらすあらゆる機会や可能性と子どもたちをつなぐ「触媒者」としての教師の役割をあらわしています。

 また、現代社会がつくり出す膨大な問題を和らげ、それらに対抗することが教師には求められます。膨大な問題とは、過熱する消費主義、地域社会の問題、貧富の差の拡大などです。これらは、現代社会が人々の安全や公共生活にもたらす脅威への「対抗者」としての教師の役割です。

 学校や教師はこれら相反する2つの目的をどうにかして達成しなければなりません。さらに、教育への期待が高まる現代社会では、学校が目指すべき成果やそこに至るまでの学校経営の過程や方法が、教育政策によって標準化される傾向にもあります。そして、それらは十分な予算や資源を投入して実施されるのではなく、必要最小限のコストでの達成が目指されます。学校や教師は仕事をする上で、様々な現代的規制や制限を課されるという意味で、教育改革の「犠牲者」となります。

 これら3つの矛盾した状況に置かれる現代の学校には、矢継ぎ早に教育改革の嵐が吹き荒れ(犠牲者)、それにもかかわらず、子どもたちに損害を与えないように改革の嵐の盾になり(対抗者)、なおかつ、現代社会を生き抜き、成功につながるための技術や知識を子どもたちに教え、導く必要があります(触媒者)(ハーグリーブス,A.『知識社会の学校と教師―不安定な時代における教育』木村優・篠原岳司・秋田喜代美監訳、金子書房、2015年、30頁)。

 学校経営においては、まさにこの3つの矛盾を受け止めながら、その難しさに向き合い、理解し、行動するという「改革の当事者」としての姿勢が重要になります。

地域社会から学校はどう見えているか

 戦後の日本の教育はどのように変化し、そのなかで、地域社会から学校はどう見えてきたのでしょうか。大きくその変化を三段階に区分して考えてみましょう。

 まず、第一段階として、戦後から1960年代の高度経済成長期においては、教育は「善きもの」として地域社会から信頼され、そこでは「子どもの発達」という考え方をもとに、社会の進歩を先取りする役割が学校教育に期待されてきました。

 そして、第二段階として、1970年代から1990年代においては、高度経済成長もかげりを見せはじめ、校内暴力や不登校、高校中退などの問題が増加し、教育の神話性や学校の支配・抑圧性が問われることになりました。地域社会において、教育や学校を「善きもの」とする価値観が疑われはじめました。これは、学校や教師の問題が直接、批判の対象となったというより、戦後のイケイケドンドンの近代的価値観自体に疑いの目が向けられたと言えるでしょう。

 第三段階の1990年代後半からは、グローバル化が加速し、従来の産業構造が大きく転換します。そのなかで、近代的価値や制度がさらに見直され、それらの再編が進み、かつて批判された教育や学校をどのように現代的に再構築するかが問われています(詳しくは、小玉重夫ほか編『教育の再定義』岩波書店、2016年を参照)。

何のための公教育か――プラットフォームとしての学校

 このような変化のなかで、教師の力量向上が喧しく叫ばれるだけでなく、「学校と地域の関係の見直し」「学校と地域の連携・協働の重要性」が指摘されるようになりました。

 戦後の高度経済成長は、企業による新規学卒者の一括採用によって、学校と企業社会が結びつくことを特徴としていました。年功序列の職場秩序や終身雇用制を特徴とする日本的経営システムのなかで、企業に忠誠を尽くして働く人材を学校教育を通じて養成することで、学校教育は企業の需要に応えてきました。そして、この企業戦士とその予備軍としての受験戦士を家族が支え、これらは「戦後日本型循環モデル」と呼ばれてきました(本田由紀著『もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて』筑摩書房、2014年)。

 企業では、学校で習った知識・技能は、仕事で活かされることがさほど期待されず、その時々に必要な知識・技能は企業において入職後に学ぶことになっていました。端的に言うと、企業としては「学校は余計なことを教えずに、企業戦士足り得る素材を提供してくれればいい」というスタンスが多かったと言えます。

 しかし、1990年代以降のグローバル化を契機として、この日本特有の企業中心の社会構造が変容し、雇用のあり方が崩れはじめます。その結果、非正規雇用の若者は会社でトレーニングを受けられない事態が生じ、社会問題化しました。公教育のあり方に対して、素材育成型から人材の差異化への転換を求める声が近年多くなってきたのもこのような背景が関係しています。

 以上の変化を踏まえると、現代の学校にはどのような姿が期待されると言えるでしょうか。

 まず、「教育と社会保障の連携」という観点からは、学校をプラットフォーム化して、貧困問題等の社会問題に取り組むことが求められます。そして、日進月歩の産業界の技術変化に企業内研修で間に合わないのであれば、学び直しの機会として学校教育を機能させるなどが求められ、そして、それとともに、産業に取り込まれるだけではない場所として、学校と雇用の関係を特に高等教育において見直すことなどが考えられます(小玉ほか編、前掲書、89-93頁)。

 プラットフォームとしての学校は、企業中心の従来の直線的、一方通行型の社会構造ではなく、雇用、教育、社会保障が交差点型に関わる社会として、そのなかで教育が機能するようなイメージでここでは構想されています。

 このようなあり方は学校をプラットフォームとして、雇用に対しては教育を通じて人々の「可動性・移動性(モビリティ)」を高めるという意味で「モビゲーション(モビリティ+エデュケーション)」と呼ばれています。

 また、社会保障に関しては、教育とともに社会的弱者や支援を必要としている人々に「ケア」をしていくという意味で「エデュケア(エデュケーション+ケア)」と呼ばれています。

 このように社会変動に向き合いながら、学校の進むべき方向を見定め、そのあり方を再定義、構築していくことが欠かせません。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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特集:インクルーシブ教育とユニバーサルデザイン

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リーダーズ・ライブラリ Vol.11

2019年3月 発売

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学芸大学准教授

専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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