続・校長室のカリキュラムマネジメント[第10回]言葉を体で読む

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2020.04.11

続・校長室のカリキュラムマネジメント[第10回]言葉を体で読む

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.10 2020年2月

東京学芸大学准教授
末松裕基

 本連載も残すところわずかになってきました。今回はいつもと少し違ったテーマを論じたいと思います。ただ、これまでにも繰り返しその重要性を述べてきた読書や言葉への向き合い方を真正面から論じるという意味です。

言葉が軽視される時代

 われわれは、便利な社会に生きているわけですが、そのために、じっくりと考えることや難しいことに向き合うことをしなくてもよくなってきています。

 SNSやスマートフォンがこれだけ急に普及するというのは、文化的背景や年齢を問わずに、誰にでも通用する分かりやすい情報が飛び交うことを意味しています。小学生にYouTubeのような映像が流行するのは、ほとんど前提や準備なく直感的に物事が分かったような気になるからです。

 ただそういう物だけが流行する世界は恐いです。なぜかというと、人間や社会のほとんどの事象は、そのように分かりやすくはないからです。瞬発的に直感的に物事の背景や仕組みが理解できることの方が本来、珍しいのです。

 長年付き合っている友人でも、会っていない間に起きていることを全て把握することは無理ですし、その間にお互いが生きている感覚も考え方も多少は変わっています。「元気にしてた?」と問いかけられて、「うん、元気だよ。そういえばこの前ね......」とのやり取りが正解とは限りません。

 質問した当人は「(最近、ちょっと私は元気がないんだけど)元気にしてた?」と言いたかったのかもしれませんし、「(この重たい話を急にするのは失礼かな......ひとまず......)元気にしてた?」かもしれません。

 そもそも質問に意味など込められていない状況もあるかもしれませんし、目に見えないものをいかに想像しながらコミュニケーションを図っていくか。「いま」「ここ」だけではない世界観でどのように社会や人間を考え、行動していくかが問われます。コミュニケーションとは、一方の意図どおりに展開し他者を統制するようなものではなく、それは双方にとって賭けに近く危ういそれゆえに創発的、生成的なものです。

自分の眼と精神を高いところへ

 昨今の政治家の例を挙げるまでもなく、表層的で初めから信頼に値しない形式化された言葉が虚しく行き交うことを多く目にします。接客などもその良い例ですが、マニュアルをこなした方が楽なのでしょうし、誰がやっても一通りの問題のないコミュニケーションができますので、それでよしと思う人も多いと思います。ただ、そういう大人の姿を子どもは信頼できるでしょうか。

 コミュニケーションはその場での瞬間的なやり取りにかかっているだけではなく、普段からの他者との落ち着いた交流が求められます。読書による他者との対話はそれが可能です。読書は見ず知らずの他者(紀元前の異国の人であれ!)とじっくりコミュニケーションを取ることができます。

 私が読書のあり方を考える際に参考にすることが多い、作家の大江健三郎さんは読書について次のように語っています。

 「わずかな時であれ、自分の眼と精神を高いところへ引きあげられる経験。そのためにこそ僕は、本を読む喜びをつねづね更新してきたのだと思う。」(「作家と読書」『読書と私』文藝春秋、980年、79頁)

再読は友情の証

 他者との対話として読書するという点から考えると、困難のない安心を得るための読書は、あまりオススメできません。そういったものもたまにはあってよいですが、1ページに分かり易い格言めいた一文しか載っていないような自己啓発本は、単純な内容ゆえに何にでも当てはまるようにできています。

 結果的に、みなさんの安心を満たしますが、現状追認に陥るばかりか、みなさんの不安をお金に替えているだけですので、そういうマーケティングの対象としてみなさんを狙う他者には警戒が必要です(大学人にもそういう人がいますが、みなさんを信頼していると言えるでしょうか?)。

 一度や二度、読んだだけでは他者は理解できません。長年連れ添った友人やパートナーですら、そんな簡単な存在ではありません(付き合えば付き合うほど謎は深まるばかり......)。

 読書はなおさらです。理解するなど不可能なことです。ですが、そういう前提で何度も何度も向き合う必要があるのが他者であり、読書です。詩人の長田弘さんは次のように述べます。

 「本について語られる言葉のおおくには、すくなからぬ嘘があります。誰もが本についてはずいぶんと嘘をつきます。忘れられない本があるというようなことを言います。一度読んだら忘れられない、一生心にのこる、一生ものだ、という褒め言葉をつかいます。......人間は忘れます。だれだろうと、読んだ本を片っ端から忘れてゆく。......忘れるがゆえにもう一回読むことができる。そのように再読できるというのが、本のもっているちからです。」(『読書からはじまる』日本放送出版協会、2001年、27-28頁)

 長田さんはこう述べたあとで、再読が必要となるのは、読書という経験をたえず自分のなかで新しい経験にしてゆくことができるためとしています。この連載に限らず、再読する価値があるかないかを一つの選書の基準にしてください(一読してすぐ分かることは、みなさんもうすでに知っていることですし、そういう本は他者というよりは使い捨ての読書の可能性が高いです。結果的に自他を使い捨てするコミュニケーション能力が身に付きます)。

 ですので、正解を得るための読書ではなく、対話する読書を目指して、多少難しくとも、継続する工夫をこそしてください。毎日、30分でいいです(試しにタイマーをセットして、30分読書してみてください。相当、読めることに気づきます)。そして、仕事で疲れているときこそ、声に出して朗読して読んでみてください。

 音楽のよさを理解するために、歌詞カードを黙読してもよく体感できないのと同じように、言葉もリズムでできています。昨今、流通する情報は、言葉というよりも固有名詞も顔もない記号のようなものです。デジタル情報はゼロ・イチに還元されたものですし、LINEのスタンプは自らの感情や言葉を見ず知らずの第三者にアウトソーシングしたものです。子どもになぜ絵日記を書かせるのでしょうか。

 

 

Profile
末松裕基 すえまつ・ひろき
専門は学校経営学。日本の学校経営改革、スクールリーダー育成をイギリスとの比較から研究している。編著書に『現代の学校を読み解く―学校の現在地と教育の未来』(春風社、2016)、『教育経営論』(学文社、2017)、共編著書に『未来をつかむ学級経営―学級のリアル・ロマン・キボウ』(学文社、2016)等。

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