学び手を育てる対話力
学び手を育てる対話力[第9回]対等性が対話的学びの礎
トピック教育課題
2020.03.20
学び手を育てる対話力
[第9回]対等性が対話的学びの礎
東海国語教育を学ぶ会顧問 石井順治
子どもの関係に対等性を
よく学ぶ子どもは、話したがり屋の子どもではありません。よく聴く子どもです。しっとりと対話のできる子どもです。
自らの考えを言いたくてたまらなくなっているとき、人は、他者から何かを得るよりも自らの考えの主張に走ってしまっています。その状態は、自分の考えに固執している可能性があります。その意識が強けれが強いほど、新たな学びは生まれないでしょう。
対話は主張に偏った意識では成立しません。相手とのやりとりから学ぼうという意欲がなければ対話にはならないのです。他者とのかかわりによって、自らを高めたい、変えることも厭わないという欲求がなんとしても必要なのです。
それには他者の言葉を誠実に聴かなければなりません。たとえ自分とは異なる考えであっても一旦は尊重して受けとめなければなりません。もしどう考えてよいかわからないで困っている仲間がいたら、そのわからなさに寄り添わなければなりません。そうでなければ、すべての子どもが参加する対話は実現できないのです。
そう考えると、対話においてもっとも大切なことは、だれもが対等に参加できるということだと言えるのではないでしょうか。優位に立つ者と劣位に甘んじる者、主張ばかりする子どもと聞くだけになっている子どもという関係では、対話はできないのです。対等性こそ対話的学びの礎です。
対等性を築く教師の存在
その対等性が私たちの日常生活において普通にあるのかというとそうとは言えないように思われます。相手によって状況が微妙に変化するからです。けれども、学びにおいてそういう状態は看過できません。対等性の薄いところでは、すべての子どもの学びが保障できなくなるからです。
そこで大事になるのが教師の存在です。もちろん対話的学びに入ったら子どもたちだけで考えを擦り合わせて学び抜くことが大切なのですから、教師が必要以上にあれこれと介入することは控えなければなりません。けれども、その前に、そういう学び方ができる土壌がなければなりません。それをつくるのは教師です。対話的学びにおける対等性がどれほど重要であるかを理解している教師です。
教師としてまず問われなければならないのは、自らの聴き方・学び方です。自己主張場かりする教師、逆にただ黙っているだけの教師ではなく、同僚など周りの他者と真摯に言葉を交わし、教師としての学びをしている教師でなければなりません。子どもに対しても、一人ひとりの様子をよく見つめ、それぞれの子どものさまざまな思いや考えを聴いていなければなりません。つまり、周りの人々とどのような質の対話をし、そこでどれだけ他者や子どもの声に耳を傾けているかという教師のあり方が、子どもたちの聴き方・学び方に大きな影響を与えているということなのです。
もし、教師が、何人かの子どもの、学習のわからなさも何らかの事情で抱えているしんどさも何もとらえず、表面的に何事もなかったかのように授業を進めていたとしたら、その学級の子どもたちが対話的に学べるはずがありません。
それに対して、どの子どもに対してもできる限り対等なまなざしを送り、言葉をかけ、心を砕いている教師が担任だったら、その教師と毎日何時間も共に生活をするうちに、どういう聴き方をすべきか、どのように学び合えばよいのか、そういったことを子どもたちも身につけていくでしょう。
教師が本気で大切にしていないことは、子どもも本気でやろうとはしません。私は、聴ける教師の下でしか聴ける子どもは育たないといつも言っていますが、対等性についても同じです。どの子どものこともできる限り対等に見ようとしていない教師の下では、子どもたちの対等性も育つはずがないのです。それが教師の「存在感」です。
対話的学びの作法を示す
もちろん、自らの背中を見せるという「存在感」だけで子どもたちの聴き方や学び方が育つほど現実は甘くありません。何をどう大切にすべきかの指導は必要です。そういう意味で、グループの学び方を学ぶ機会を設け、どのように学び合うとよいかという作法のようなものを示したいものです。例えば次のようなことです。
●聴くこと、聴いて考えること、聴いて学ぶこと、それがもっとも大切なこと。話すことに夢中になり過ぎないようにしよう。
●グループの一人ひとりが主役。だからだれのどんな考えも、もちろんわからなさも、すべて大切にしよう。それらに出会うことで一人ひとりの考えが深まるのだから。
●話すときは仲間の表情を見ながら話そう。聴くときは目を見て聴こう。そうしなければ互いの考えは伝わらないし学ぶこともできない。
●なかなか話そうとしない仲間に対しては、誘いかけたり励ましたりそっと尋ねたりして言いやすい雰囲気をつくろう。
●考えの異なりを尊重して聴こう。もちろん異なる考えを出し合うだけですませたり簡単に賛成とか反対とか決めたりしないで、考えの異なりにしっかり向き合い自分の考えを見つけよう。
●もしだれかが明らかに間違った考えを出してきたら、いきなり間違いだと言うのではなく、どう考えてそうなったのか、どこをどう考えるようにすればよいのかと考えるようにしよう。
これらの事柄は、学力やさまざまな異なりを超えて対等に学び合うための作法であり心構えです。もちろん、こういうことが単なるスローガンになってしまっては何にもなりません。大切なのは具体化であり意識の持続です。
とは言っても、こういう学び方の指導を行う教師がどういう聴き方・学び方をしているかが最終的にものを言うのです。方法的なことが効力を発揮するとき、そこに教師の「存在」があるということを改めて噛みしめたいものです。
Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
いしい・じゅんじ
1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。新刊『「対話的学び」をつくる 聴き合い学び合う授業』が刊行(2019年7月)。