UD思考で支援の扉を開く
UD思考で支援の扉を開く 私の支援者手帳から[第10回]人間性にまつわる煩悩(3)人生への倦怠
トピック教育課題
2020.04.13
UD思考で支援の扉を開く
私の支援者手帳から
[第10回]人間性にまつわる煩悩(3)人生への倦怠
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
(『学校教育・実践ライブラリ』Vol.10 2020年2月)
思うに任せないことを度々経験してきた子たちは、「どうせ何をやってもうまくいかないだろう」とあきらめてしまうことが多いです。小学校の3年生、4年生くらいのまだ人生のページを開く前の時期に、友達とのトラブルに遭ったり、家庭での修羅場を見たりして、自らの生きざまに倦怠感を感じてしまっていることがあります。今回は、こうした生き様の推移として起こる事態を「人生への倦怠」として捉えてみた上で、そこからの脱出法について考えてみたいと思います。
予期不安
トラブルの予兆を感じることは悪いことではありません。それは危機管理の出発点ですから、まっとうなことです。これに対して予期不安(不安を予期すること)はどうでしょうか。不安は漠然たる陰性感情の沸き上がりを予測することです。つまり、具体性を欠いた違和感にとらわれるような、不快な心の到来を予測することなのです。
私たちは普段、先のことを予測しながら考え、行動しているわけではありません。しかし、思うに任せないつらい体験をしてきた子どもは、元々うまくいくという前提がなく、うまくいかないことが前提となっているので、はなから「どうせうまくいかない」と不安になり、事態を直視することができず、放り投げてしまいます。こうした予期不安は漠然とした危機の推測ではありますが、トラブルの予兆の察知とは異なり、危機管理への役立ち感は乏しくなります。むしろ「不安を煽る」という言葉があるように、予期不安は、当事者を不安定にさせることはあっても、危機の調整役にはなりそうにありません。
「もう飽きてしまった」
これは、思うに任せない状況の慢性化に対する、一方の旗頭のような、苦し紛れの言葉だと思います。慢性的な予期不安は、倦怠感を生みます。苦しさから逃れて楽になりたいと思うことから発せられるのですが、「この子のために何とかしてあげたい」という煩悩では、一筋縄にはいきません。
自分は悪くない
「もう飽きてしまった」と同様に、もう一方の旗頭は「自分は悪くない」という言葉です。
こちらは「飽きてしまった」に比べ、攻撃性を伴うので、「飽きてしまった」とは別の意味で始末が悪いものです。
「どうせうまくいかない」とあきらめて、ものごとを投げてしまう。けれど、周囲は放ってはおきません。放り出してしまったことに対して、無理に励まされたり、責められたりしてしまうわけです。場合によっては、自分の親が責められることになるかもしれないし、親から責められるかもしれません。物事を放り出してしまうことで、元々なかったはずの責任を追及されることになります。もちろん、それだけのことを言ったり、してしまったりするのですから、当然に責められるわけです。
しかし、そうなると、大抵の子は、自分の非を認めようとはしません。悪いのは自分ではない、悪いのは世の中だという気持ちも起きてきます。
このような攻撃性が高じて、「誰でもよかった」といって人に危害を加えるという行動に出る極端なケースもあります。
予期不安は、このように、倦怠や攻撃となって出てくることがあるのです。
仕切り直し
僕がかつて扱ってきた人たちは、少年院や刑務所に入っていた人たちでした。悪いことをしてきた人たちに、これからはいい人になろうと言って、よくなれば苦労はしません。過去を捨てて「やり直し」をしようとはよく言われる助言かもしれませんが、それではこれまでの人生を否定することにもなりかねないわけです。また、「過去のことはいいから、今日から生まれ変わろう」と言って、その瞬間からいい人になれれば楽ですが、現実的にはそうもいかないでしょう。
ですから、「やり直し」ではなくて、「仕切り直し」という考え方がよいのではないかと思います。
この連載で、度々紹介した「そこのゴミを拾って」というやり方は、「ありがとう」の言葉が付いてきます。その瞬間、その人はいい人になっています。
そもそも、何もかもがいいという人はあまりいません。僕たちは、両方を併せもっている存在なのです。僕らのお相手にも当然、いい部分があるわけですから、無理に矯正したり更生させたり、考えや行動を改めさせようと指導したりすることは得策ではありません。倦怠や他者への攻撃を起こす人は、自分を何とかしようとジタバタするものです。そのジタバタが下手だから、余計に自分の傷を広げることをしてしまいがちなんですね。そういう人に、常にいい人になってもらおうとする必要はありません。評価される機会が少なかった人たちですから、まず「そこのゴミを拾って」からスタートすればよいのです。
彼らには、3日に1回、できれば1日1回、短い時間でもよいので、このような「ありがとう」が言われる状況を作ってあげたいものです。行動分析学では、3日以上の間隔が空くと、かかわりの効果はうすれてしまうと言われているそうです。ですから、少なくとも3日に1回は「ありがとう」を言えるかかわりをしてみてください。「ありがとう」は、少しずつ、いい人に向かうために通る門です。それが仕切り直しにつながるのです。
これは、特別な人にだけに行うかかわり方ではありません。ユニバーサルデザインの発想から行っていくものです。誰にでも通じる肯定的なかかわりを仕切り直しに生かしていくことで、「人生にも、少しはいいところもあるのだな」と思わせることができればよいのです。
いずれにしても、仕切り直しは、やり直しほど、これまでの人生への否定感が伴っていないように思われます。人生に対する反省など不要。たとえ挫折しようとも、「このやり方ではうまくいかないことがわかってよかった」と仕切り直せばよいのです。これが大団円へと繋がる道になるのではないでしょうか。(談)
Profile
特別支援教育ネット代表
小栗正幸
おぐり・まさゆき
岐阜県多治見市出身。法務省の心理学の専門家(法務技官)として各地の矯正施設に勤務。宮川医療少年院長を経て退官。三重県教育委員会発達障がい支援員スーパーバイザー、同四日市市教育委員会スーパーバイザー。(一社)日本LD学会名誉会員。専門は犯罪心理学、思春期から青年期の逸脱行動への対応。主著に『発達障害児の思春期と二次障害予防のシナリオ』『ファンタジーマネジメント』(ぎょうせい)、『思春期・青年期トラブル対応ワークブック』(金剛出版)など。