「こころ」を詠む [最終回] 鞄から仔猫のかほや川まぶし
トピック教育課題
2023.07.05
目次
「こころ」を詠む[最終回]
鞄から仔猫のかほや川まぶし
克弘
俳人には、言葉づかいに厳しい人も少なくありません。たとえば「パソコン」「コンビニ」を俳句に詠んではいけない(正式に「パーソナルコンピューター」「コンビニエンスストア」と言わないといけない)。「走ってる」「歌ってる」というように「いる」の「い」を略してはいけない。古典文法もしっかりと守らなくてはなりません。ら抜き言葉、さ抜き言葉など、もってのほか。
私は元来いい加減な性格なので、多少言い回しが強引だったり、文法的に間違っていたりしても、「勢いで分かればいいじゃん!」と思う方です。松尾芭蕉のよく知られた「荒海や佐渡に横たふ天の河」だって、文法的に見れば「横たふ」は間違っていますからね(本来は自動詞の「横たふる」であるべき)。流行り言葉や若者言葉も大好きで、ふだんから「わかりみが深い」「陽キャだなぁ」「おつでした」などと、近しい人との会話ではじゃんじゃん使っています(さすがに俳句に詠みこむまでの勇気はないのですが……)。
そんな私ですが、「使いたくない言葉」というのもいくつかありまして……。そのひとつに、今年のお正月に、遭遇したのです。
お正月には河口湖畔に宿をとるのが、この数年の習いになっています。今年はとくに、すばらしい好天に恵まれ、まぢかでの富士の眺めを楽しみました。食事は、ちょうど富士と湖を正面に置いた、大きなガラス窓の前。「山梨だけど海産物もおいしいね」「ほうとう、この小さな鍋で食べるくらいがちょうどいいかも」などと、一緒に行った家族と話していると、仲居さんがお茶を持ってきて、にこやかにこう声をかけてくれました。
「お客さんは運がいいですよ、こんなふうに何日も逆さ富士が見えることって、そんなにないんですから」
そう、私が「使いたくない言葉」のひとつが、この「逆さ富士」なのです。仲居さんは全く悪くないのですが、私の方がどうしても拒んでしまう。なぜかといえば、俳句の投稿作を選んでいると、この「逆さ富士」を詠んだ句が、とても多いのです。この言葉そのものは、くっきりと湖面に映った富士山を表すものとして、味わい深いと思うのですが、みんなが使いだすようになると、ドアノブや階段の手すりと同じようなもので、手垢がついてきます。その結果、「逆さ富士」を入れるだけで俳句が陳腐になる、そうすると俳句の選者としては嫌いになってくる、というわけなのです。
かくいう私も、もちろん陳腐な言葉づかいを指摘されることもあります。ある作家の方に、ちょっと高級な中華料理屋に連れて行ってもらったことがありました。「どれでも好きなものを一品ずつ頼もう」という彼の提案に、「じゃあ、八宝菜で」と答えたら、「つまらないやつだな」と笑われました。これは私が悪いわけではないと思うのですが、そのあとで紹興酒の吞み比べをして、熟成年数の異なるそれぞれの杯に「おいしいです」「これもおいしいな」と感心していたら、「君は仮にも文学者だろ」と呆れられました。うーん、確かに恥ずかしい!
「逆さ富士」「おいしいです」がなぜダメか。語彙力の問題ではありません。すでに誰かが作った言葉を、そのまま使ってしまうのは、唯一無二の自分をアピールしなくてはならない場では、どうしても不利になるということです。たどたどしくても、自分の言葉で思いを伝えることが、自分という人間を知ってもらうことにつながります。
そもそも、私たちの言葉はすべて「借りもの」です。「パパ」「ママ」からはじまって、「犬」「ねこ」「いただきます」「ごちそうさま」「努力」「未来」……と、成長とともにどんどん語彙は増えていきますが、そのすべてが、身の回りの家族や先生、友達、本にある言葉を、真似したものです。自分だけのオリジナルの言葉を、なにひとつ、私たちは持っていません。それで人生を送る上ではほとんど困らないのですが、誰でもときに立ち止まることがあるでしょう。たとえば、まっさらな湖に富士が映っている眼前の風景の素晴らしさを、ここにはいない誰かに伝えたい──そんなふうに思うときに。
そんなとき、「逆さ富士」をあくまで拒み、自分の言葉を生み出すため、立ち尽くしながら悩み続けているのが、詩人と呼ばれる人種なのです。めんどくさいですよね。
さて、長く続けてきたこの「こころを詠む」の連載も、今回で最終回。俳句って、やっぱり難しいと思いましたか? それとも、少しは関心を持ってもらえたでしょうか? 俳句という文芸が、世界の隅にあることを、どうか心に置いて、いつでも飛びこんできてくださいね。私はこれからも、しぶとく俳句の世界に居座り続けるつもりですので、扉を叩いてくださるのを、ずっと待っています!
Profile
髙柳克弘 たかやなぎ・かつひろ
俳人・読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者
1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。現在、「鷹」編集長。早稲田大学講師。新刊に評論集『究極の俳句』(中公選書)。2022年度Eテレ「NHK俳句」選者。中日俳壇選者。児童小説『そらのことばが降ってくる 保健室の俳句会』(ポプラ社)で第71回小学館児童出版文化賞を受賞。最新句集『涼しき無』(ふらんす堂)にて第46回俳人協会新人賞を受賞。