「こころ」を詠む [第3回] 胡桃割る一回きりのひびきけり

トピック教育課題

2023.01.31

目次

    「こころ」を詠む[第3回]

    胡桃割る一回きりのひびきけり

    克弘

    『教育実践ライブラリ』Vol.3 2022年9

     いきなりですが、東京の銭湯って、高くないですか? 自宅の最寄りの銭湯は、一回五百円。月に十回以上は足を運ぶ銭湯愛好家としては、もう少し抑えてほしいですが、やむをえません。自宅のお風呂か、銭湯か。「心浮き立つ二択」を成立させるための五百円なら、惜しくありません。

     「心浮き立つ二択」というのは、私の造語です。日常の中にわくわく、どきどきする選択肢を挟み込んでいこうというのが、ポリシーなのです。

     人生は選択の連続といわれます。「進学か、就職か」「この人と結婚するべきか、否か」「転職するべきか、留まるべきか」など、さまざまな選択を迫られる時があります。でも、こういう二択って、現実的には「どちらが幸せになれるか」というよりも、「どちらを選んでも大変なのだが、どちらがマシか」という選択ですよね(未来ある中学生や高校生がこのエッセイを読んでいたらガッカリするかもしれませんが……)。そのあたりの人生の機微を、次の俳句はじつによく言い当てています。

      死ねば野分生きてゐしかば争へり 加藤楸邨

     「野分」は秋の季語で、今でいう台風のこと。死んでしまえば、あとかたもなく肉体は消え失せて、野を吹き渡っていく風になってしまう。むなしいものです。かといって、生きていたところで、他人とどちらが偉いとか、お金を持っているかとか、心すりへらす競争にさらされなくてはならない。偉大なるシェイクスピアは、ハムレットに「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と言わせましたが、俳人に言わせればどちらを選んでもそう変わらないよ、というわけ。

     人生の「選択」には苦しみがついてまわります。でも、「どっちもいいな!」と思えるような選択も、あらまほしきものですよね。だったら、自分で作ってしまえばよいということで、私はおりおり、「今日は自宅の風呂にするか、銭湯にするか」といったような、どっちを選んでもハッピーな二択を案出することにしているのです。

     この「心浮き立つ二択」のいいところは、たとえば選択肢に「銭湯」を入れている以上、「自宅の風呂」も「銭湯」に匹敵するものにせねばならないという使命感が生まれて、生活の質が向上するという点。銭湯の良さは、なんといっても、のびのびと手足を伸ばして広い湯舟につかれることでしょう。天秤の片方に、この快適を乗せる以上は、自宅の風呂もまた、快適な場所にしなくては釣り合いません。ということで、湯舟は狭いのだけど、そのぶん、好きな香りのバスソルトを入れたり、泡風呂にしてみたり、ちょっと背伸びしてアロマキャンドルを焚いてみたり……と、「自宅の風呂」の重量を増やして、「銭湯」と釣り合うようにします。そこではじめて「悩み」が発生します。「うーん、今日も一日がんばったから、お風呂の時間は充実させたいな、さて、銭湯に行くべきか、自宅で泡風呂にするべきか、それが問題だ」などと苦悩することができる。この「苦悩」は、幸せな苦悩です。

     ほかにも「晩御飯はカレーにするか、ラーメンにするか」「週末には絵画を観るか、登山に行くか」などなど、「心浮き立つ二択」を人生に増やしていきたいもの。そんな話を友人Sとしていたら、「わざわざ選択肢にする必要あるか?」と、怪訝な表情。

     彼曰く、なるほど「銭湯」と「自宅の風呂」は、二択にせざるをえない。一度に別の湯舟につかることは不可能だ。しかし、「カレー」と「ラーメン」はどうか。ある程度の胃腸の強さは必須となるが、同じテーブルに置いて、二つの味を楽しむこともできるだろう。「絵画」と「登山」は、無理もなく両立できる。週末の日曜日、午前中には絵画に胸を震わせ、午後には登山で汗を流せばよいのだ。

     私は虚をつかれた思いでした。美術鑑賞も山歩きも同日にこなせると言い切るSのヴァイタリティにも驚かされましたが、「二択」にこだわる必要はないという彼の意見は思いもしないもの。しかし的を射ています。私はふっと、ある有名な一句を思い出していました。

      桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子

     女性の作る俳句はかつては「台所俳句」などと蔑(なみ)されたものでしたが、その時代にあって、立子のこの一句はまことに痛快です。何をかまうことなく、桃にかぶりつき、煙草を喫う。好きなことなら両方やってしまうのです。Sも、この豪胆さの持ち主なのでしょう。

     二択を楽しむ、などと言っていた自分が、なんとも器の小さい人間のように思えてきました。ようし、これからはちまちましないで、二つでも三つでも、まとめて楽しんでやるぞ!

     とまあ意気込んだところで、少食の私は、鯛焼きの頭だけで満足してしまうタチ。分相応な落としどころをさぐることとします。

     

     

    Profile
    髙柳克弘 たかやなぎ・かつひろ
     俳人・読売新聞朝刊「KODOMO俳句」選者
     1980年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。専門は芭蕉の発句表現。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。現在、「鷹」編集長。早稲田大学講師。新刊に評論集『究極の俳句』(中公選書)、第三句集『涼しき無』(ふらんす堂)。2022年度Eテレ「NHK俳句」選者。中日俳壇選者。児童小説『そらのことばが降ってくる 保健室の俳句会』(ポプラ社)で第71回小学館児童出版文化賞を受賞。

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