特集 AI時代を生き抜く子供を育てる AI時代に必要な「哲学対話」とその育み方

トピック教育課題

2021.07.15

学校に哲学教育を

 そんな哲学対話は、学校教育の現場でも広がりつつある。哲学対話という形で導入しているところもあれば、あえてそう銘打ってはいないものの、実質的には哲学対話のようなことをされている学校もある。広い意味では、高校で始まっている探究型学習のような時間もそうなのかもしれない。

 これについては学校ごと、あるいは授業ごとに先生方が実情に応じて工夫されていると思われるので、絶対このモデルが正しいとか、いいということはないと思われる。ただ、私がこれまで様々な場所で実践する中で、また研究をする中で望ましいと考える方向性はあるので、それについて少し論じておきたい。

 基本的には、哲学対話は「哲学対話」という名前で導入をした方がいいと考える。もし可能であれば、哲学という授業を小学校から設定することで、その中で哲学対話を一手法として導入するのが最も理想的だと思われる。私はかねてより義務教育に哲学を導入すべきだと訴えてきた。授業時間数との兼ね合いもあるが、道徳を哲学に代えてはどうかという提案もしてきた。詳細は『「道徳」を疑え!』をご参照いただきたいのだが、これについては18歳選挙権に絡む議論の際、国会でも意見陳述したことがある。

 なぜなら、小中高生が社会のことについて考えるためには、単に知識があるだけでは不十分であって、そもそも考えるということについて、方法論をきちんと確立しておく必要があると思ったからだ。それをやるのが哲学なのだ。もちろん国語の授業でも道徳の授業でも、児童生徒に考えさせる機会を提供してはいるだろう。しかし、今社会が求めている、根底から前提を覆すような思考をする機会はどうだろうか? おそらくそこまではできていないのが現状なのではないだろうか。

 こうした理由から、哲学教育の中で哲学対話を定期的に実践できる環境が理想だと思う次第である。さらにその中でどういったことをやっていくかについては、『ゼロからはじめる哲学対話哲学プラクティス・ハンドブック』を参照していただくのがいいかと思われる。これは先述の哲学プラクティス学会のメンバーが中心となって執筆した、まさに哲学対話のためのマニュアルである。

 ここでは私なりに一つだけ、授業づくりの参考になる手法を提案しておきたい。それは、課題解決のプロセスの中に哲学対話を位置付けるというものである。小学校から高校までいずれにも共通して使えるフォーマットだと思う。

 一般には、企業や自治体、あるいは地域社会と異なり、教育現場における哲学対話には、あまりこうした具体的な問題を持ち込まないようにしているはずだ。先のハンドブックでも、その辺りについては分けて書いてある。

 そこには、あくまで答えを急がず、他者との言葉のやりとりの中で考えること自体に意識を集中してもらいたいという教育的配慮があるのだろう。ただ、実際の社会で哲学対話が求められるのは、やはり課題解決のためなのだ。最終的にはそこに行き着く。

 哲学対話もまた、社会に出て課題解決のために使うツールであることを忘れてはいけない。だからこそ私は、あえてそのプロセスの一環として位置付けてはどうかと思うのだ。そもそも課題解決する際に、その物事の本質を考えるのは当たり前であって、これまでそこに哲学対話がなかったことの方が問題であったように思われる。

 しかしその逆はこれまで議論さえされてこなかったのである。つまり、哲学対話をやる際、それを課題解決のプロセスとして位置付けていくということである。具体的には、課題解決をするという構えで授業を設定し、その際最初に解決すべき問題群、いわば困りごとを包括する言葉について哲学対話を用いて本質を考えるというものである。例えば、自分の学校のある地域が過疎化で困っているなら、「過疎化とは何か?」といったことがテーマになるだろう。

 あるいは、その次の段階で、過疎化に困っているから、自分たちのプロジェクトではこういうことをやるべきだというのが決まれば、それについて本質を考えてみるという手もある。この自分たちがやるべきことを、困りごととしての問題に対して「課題」と呼ぶ。例えば過疎化に対してまちづくりをするなら、それが課題となる。そして、「まちづくりとは何か?」という形で本質を問うことになるだろう。

 さらには、何らかのソリューションが出てきた時、そのソリューションの本質をいったん哲学対話で突き詰めるということもあり得るだろう。まちづくりのために映画祭をやるという提案をすることになったとしよう。その際には「映画とは何か?」とか「映画祭とは何か?」ということについて哲学対話をしてもいいだろう。それによってより効果的な映画祭の方法が見つかるかもしれないからだ。

 こんなふうに課題解決のプロセスにおいては、少なくともこの三つの段階で哲学対話を用いて本質を明らかにするチャンスがあるといえる。ぜひ試していただきたい。

小さな哲学者たちを育てる

 ここまでは学校教育の中でできること、やるべきことについて論じてきたが、最後に家庭でできること、やるべきことについて少し話しておきたい。当たり前のことだが、教育は何も学校だけでやるものではない。哲学対話もまた同じだ。

 フランスのドキュメンタリー映画『小さな哲学者たち』をご存知だろうか? フランスの幼稚園で哲学対話の実践を行った記録である。実験的に行われたものだが、数年かければ幼稚園児でも哲学対話ができるようになることが示されている。フランスの哲学者パスカルのいうように、つくづく人は「考える葦」であることを実感した。

 中でも特に印象的だったのは、子供たちが家でも哲学対話をし始めたことだ。親を相手に続きをやる。先生たちはそれに感謝していた。親が続きをやってくれていることにである。これには二つの重要な意味がある。一つは哲学対話を習慣化するということ、もう一つは特別なことではないように感じさせるということだ。

 なんでも習慣になると強い。すぐに頭にスイッチが入るようになるから。そして何より、特別なことだとか、学校の科目だと思わなくなったら、それはもう自分の能力になる。話す力や、文字を書く力と同じように。

 だからぜひ家庭でも哲学対話をしていただけるといいと思う。ノウハウがないといわれそうだが、フランスの幼稚園でもそれは同じだった。園児自身が教えてくれるのだ。園児たちは、幼稚園でやっているのと同じように、自然に問いかけるようになる。親に向かってある日こう問うのだ。「親は何の役に立つのか?」と。日本の家庭にもそんな問いが飛び交う日が来れば、もはやAIを恐れることはなくなるだろう。

 

[引用・参考文献]
・プラトン著、中澤務訳『プロタゴラス─あるソフィストとの対話』光文社古典新訳文庫、2010年
・小川仁志著『「道徳」を疑え! 自分の頭で考えるための哲学講義』NHK出版新書、2013年
・河野哲也編『ゼロからはじめる哲学対話哲学プラクティス・ハンドブック』ひつじ書房、2020年
・パスカル著、前田陽一・由木康訳『パンセ』中公文庫、1973年

 

Profile
小川 仁志 おがわ・ひとし
 哲学者・山口大学国際総合科学部教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。専門は公共哲学。商社マン(伊藤忠商事)、フリーター、公務員(名古屋市役所)を経た異色の経歴。大学で新しい課題解決授業に取り組んでいる。Eテレ『世界の哲学者に人生相談』では指南役を務めた。著書は『AIに勝てるのは哲学だけだ』(祥伝社)、最新刊『1分間思考法』(PHP研究所)をはじめ100冊以上。YouTube「小川仁志の哲学チャンネル」でも発信中。

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