学び手を育てる対話力
学び手を育てる対話力[第5回]対話的学びの授業研究とは
トピック教育課題
2019.12.23
学び手を育てる対話力
[第5回]対話的学びの授業研究とは
東海国語教育を学ぶ会顧問 石井順治
(『学校教育・実践ライブラリ』Vol.5 2019年9月)
求められている授業研究の転換
全国津々浦々、どこの学校であろうと、授業研究を実施しない学校はないでしょう。それほど、授業研究は日本の学校文化になっています。では、その授業研究が、子どもの対話力を育み、対話的な深い学びがどうあるべきかを検討するものになっているかというと、まだまだ転換途上なのではないでしょうか。皆さんの学校ではどうでしょうか。
対話的学びを深める授業研究で大切にしなければならないのは、指導する教師の教え方よりも、学ぶ子どもの学び方であり、そこで生まれる子どもの学びの事実でなければなりません。教師に教えられる学習ではなく、自ら対話的に取り組む学びなのですから、子どもが主体的・対話的に学びに取り組めているかどうか、その学びが深まっているかどうかの検討がなんとしても必要です。そのうえで、それを促進する教師の指導についての検討をするのですが、その内容は、どう教えるかというものではなく、深い学びを生み出す対話力をどう育て、どのように対話的学びを生み出し深めるかというものでなければなりません。それは、従来の授業研究のあり方では対処できないことです。今、学校は、授業研究のあり方の転換を求められているのです。
対話的学びとしての授業デザイン
授業を研究するには、どういう題材で、どのような授業をするかという事前の研究と、実施した授業において、子どもの学びがどうだったか、子どもの学びに対する教師の対応はどうだったかを検証する事後の研究があります。もちろん教師は、授業論や教材論について日常的に研鑽を積んでいなければなりませんが、子どもの学びを具体的に研究するのは授業前後の取組です。
事前研究で行うことは授業デザインの作成です。しかしそれは、従来行ってきた学習指導案の場合と同じではありません。教師の指導のプランではないからです。どう対話的に子どもに取り組ませ深めるかのデザインだからです。それには次の点に留意する必要があります。
まずは、日頃から、子ども相互のつながりを深め、対話的に取り組む授業を行い、子どもの対話力と対話的学びへの意欲を高めておくことが欠かせません。その研究がまず必要です。
次に、子どもが夢中になって取り組めるよう子どもにとって魅力的な課題を設定するようにします(Vol.4の本稿参照)。
対話的学びには、全員によるものよりも少人数による学びの場が重要です。それを1単位時間内にしっかり設定する必要があります。短く小刻みな時間設定ばかりではよくないです。それでは学びが深まりません。子どもが探究できるよう適切な時間確保を心がけたいものです。
こうして作成する授業デザインは、詳細な指導手順を記したものにはなりません。教師の指示と発問によって細かく進める授業ではないからです。この意識転換はなんとしても必要です。
ただ、子どもが対話的に取り組む学びだとは言っても、それを深い学びに昇華させるには、学びの状況を見極めた教師の「足場かけ」などの対応(Vol.3の本稿参照)をしなければなりません。そのために必要なのは、授業展開を詳細に決めることではなく、子どもの考えを予想しておくことです。
ところで、その授業のデザインですが、それは大勢で協議して作成しないようにすべきです。対話的学びは子どもによって進みます。ですからその学級の子どもを知っている教師がデザインすべきです。大勢で作れば「どう教えるか」という罠にはまってしまいます。大勢で協議してよいのは教材研究とそこから派生する課題についてです。
子どもの事実をもとにした事後研
授業後に検討しなければならないのは、教師が子どもの学びに適切に対応できたかどうかです。けれども、それには子どもの事実を丁寧に振り返らなければなりません。どこで学びが生まれたか、どこで学びが滞ったか、それが明確でなければ教師の対応がどうだったかの判断はできないからです。
ところがそれが容易なことではないのです。これまでの授業研究が教師の指導に焦点を当てすぎていて、子どもの事実をみることを疎かにしてきたからです。子どもは何人もいて、学びの事実は一様ではありません。もちろん子どもの事実とは表面に浮き出てくるものだけではありません。子どもの内に秘められているものもあります。学ぶのは子どもであり、それぞれの子どもが主体的に向かう学びを実現するのが私たちの理想です。だとしたら、見えにくいものも含めた一人ひとりの学びの事実をできる限り深くとらえないと授業はできません。ですから、事後の検討会ではその子どもの事実を丁寧に深く見直さなければならないのです。そうでなければ、主体的・対話的で深い学びの授業研究にはなりません。
そのような検討会を実現するには、授業参観のあり方から見直す必要があります。教室の後ろから眺めているだけの参観では子どもの事実はとらえられません。子どもがペアやグループになったら近づいて子どもの声に耳を傾けなければなりません。一人ひとりの子どもの考えを聴きとるだけではなく、考えと考えの関連、子どもの考えと課題とのつながりを浮き彫りにするように聴かなければなりません。対話的学びの検討は、そうした参観をしなければできないことなのです。
私は、そのような事後の研究協議こそ対話的になるべきだと考えています。つまり、教師が対話的に研究できる学校が、教室における子どもたちの学びを真に対話的なものにできるのです。
授業を研究するということは、どこまでも子どもの学びについて真摯に考えるということです。見栄えのよい上手い授業、技巧的に優れた授業を目指すためではありません。もちろん、研究授業だけよい授業をするためでもありません。
ということは、授業研究をイベント的にしてはならないということになります。授業研究を特別な日のフランス料理にするのではなく、日々のお惣菜のような、もちろん美味しいお惣菜を目指しますが、そういう授業研究にすべきなのです。
Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問
石井順治
いしい・じゅんじ
1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。