田村 学の新課程往来
田村 学の新課程往来[第2回]平成の教育を見つめ直す
トピック教育課題
2019.08.31
田村 学の新課程往来
[第2回]平成の教育を見つめ直す
生活科の誕生
平成から令和に変わりました。このタイミングに平成の教育を見つめ直してみたいと思います。
平成元年は、私が教員になったばかりの頃です。この年には、教育課程の基準の改訂があり、新しい学習指導要領が示されました。このときの改訂では、「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」を掲げました。最大の出来事は、小学校における「生活科」誕生と言えるのではないかと思います。小学校の低学年において、既存の社会科と理科を廃止し、新しい教科を位置付けたわけです。
生活科という教科は、それまでの教育の在り方を見直して生まれてきました。このことについて、当時の文部省、生活科担当の初代教科調査官中野重人氏は、その著書『生活科のロマン』において、次のように記しています。
「生活科が誕生し、その教育が始まった。わが国の小学校教育史に残る大きな出来事である。
周知のとおり、平成元年(1989)の学習指導要領の改訂で、小学校の低学年に生活科が新設された。それに伴って、従前の低学年の社会科と理科は廃止されたのである。戦後教育四十数年、小学校にあって教科の改廃は初めてのことである。
ちなみに、明治期以降のわが国の小学校教育を振り返るときに、教科の改廃はまれであったといってよい。それは、例えば、戦時体制への教育とか、敗戦後の新しい国づくりの教育というような国家・社会の大変動に際して、教科の改廃が行われたにすぎないのである。
このように教科構成を変えるということは、学校教育の在り方と深くかかわっている。それだけに、平時にあっての教科の改廃は、容易なことではない。生活科新設の波紋が大きかったのは、当然のことである。賛否両論が渦巻いたのである」
それまでの時代においては、教育とは、授業とは、教師が子供にいかに効率的かつ有効に教えるかが重視され、指導する側の論理が優先される傾向がありました。そんな中、小学校の低学年において、「具体的な活動や体験を通して」学ぶ生活科が誕生したわけです。学び手の子供を中心とした教科、学習者の論理を優先する教科が生まれたわけです。子供中心の教育思想がそれまでの日本に無かったわけではありませんが、生活科誕生のインパクトの大きさは想像に難くありません。コペルニクス的大転換。同時に既存の教科が廃止されるとなれば、激震が広がり、賛成反対の議論の嵐が吹き荒れ、日本全国を大きな渦に巻き込んでいったのでしょう。
さらに驚くべきは、生活科誕生時の学習指導要領の指導書(当時は、学習指導要領解説ではなく指導書と呼んでいました)には、「生活科は、あれこれの事柄を覚えればよい教科ではない。具体的な活動や体験を通してよき生活者として求められる能力や態度を育てることであり、つまるところ自立への基礎を養うことを目指しているのである」と声高らかに宣言しているではありませんか。何という思い切りの良さ、こんな文章をよく掲載できたと目を疑います。
学習者としての子供の視点に立つ
このことを今期改訂と結び付けて考えるとどうでしょうか。私が注目すべきは、平成27年8月の論点整理にあるのではないかと思います。そこには、
「各学校が今後、教育課程を通じて子供たちにどのような力を育むのかという教育目標を明確にし、それを広く社会と共有・連携していけるようにするためには、教育課程の基準となる学習指導要領等が、『社会に開かれた教育課程』を実現するという理念のもと、学習指導要領等に基づく指導を通じて子供たちが何を身に付けるのかを明確に示していく必要がある。
そのためには、指導すべき個別の内容事項の検討に入る前に、まずは学習する子供の視点に立ち、教育課程全体や各教科等の学びを通じて『何ができるようになるのか』という観点から、育成すべき資質・能力を整理する必要がある。その上で、整理された資質・能力を育成するために『何を学ぶのか』という、必要な指導内容等を検討し、その内容を『どのように学ぶのか』という、子供たちの具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある」
と記されています。
実際の社会で活用できる「資質・能力」の育成のためには、「学習する子供の視点」に立って検討する必要があるとしています。このことは、先に示した生活科誕生の際の考え方と共通であると考えるべきでしょう。その意味では、平成の時代は、生活科という新教科の誕生に始まり、その理念を熟成させながら教育課程全体に広げてきた30年と考えることもできるわけです。
もちろん、子供中心の考え方は、子供のやりたい放題の放任や野放しを意味し、教師の指導性を放棄するものではありません。知識の習得を無視したり軽視したりするものでもありません。むしろ、教師の指導性は一層重視され、その質的向上が求められるはずです。高度化された知識構造の形成に向けて、個別の知識やその習得の仕方も一段と重視されていると考えるべきでしょう。
生活科の誕生には、そうした深い意味と価値があり、社会の変革を見据えたチャレンジだったわけです。こうした平成の教育とその変化を、私たちは丁寧に見つめ直さなければなりません。
平成が終わろうとする4月25日(木)、中野重人先生がご逝去されました。ご功績の偉大さを改めて実感するとともに、そのお考えの先進性、卓越した識見に学び、深くご冥福をお祈りしたいと思います。
Profile
國學院大學教授
田村 学
たむら・まなぶ 1962年新潟県生まれ。新潟大学卒業。上越市立大手町小学校、上越教育大学附属小学校で生活科・総合的な学習の時間を実践、カリキュラム研究に取り組む。2005年4月より文部科学省へ転じ生活科・総合的な学習の時間担当の教科調査官、15年より視学官、17年より現職。主著書に『思考ツールの授業』(小学館)、『授業を磨く』(東洋館)、『平成29年改訂小学校教育課程実践講座総合的な学習の時間』(ぎょうせい)など。