学び手を育てる対話力

石井順治

学び手を育てる対話力 第1回 教える授業から対話的学びへ

トピック教育課題

2019.08.23

学び手を育てる対話力 第1回

『学校教育・実践ライブラリ』Vol.1 2019年5月

授業における「対話」の大切さ

 これからの時代を生きる子どもたちに必要なのは、教えてもらって習熟する勉強ではなく、自ら思考し探究し発見する学びです。それは、教えることに偏った授業からの脱却と、子どもが自ら深い学びを目ざす授業の創造を教師に求めます。そのときなんとしても実現しなければならないのが「対話的学び」です。授業は、言葉によって進行します。何かを操作したり、体を動かしたりすることがあっても、授業を推し進めるのは主に言葉です。

 その授業における言葉の大半が教師によるものであったら、その授業はどういうものになっているでしょうか。学ぶのは子どもですから、学びの対象に対して子どもがどう考えるかは極めて重要です。教師の言葉が多いということは、子どもの考えが十分に出されていないということになります。私たちは、まず、こうした教えることに偏った悪しき一斉授業を克服しなければなりません。

 それでは、子どもの言葉がたくさん出されたらそれで豊かな学びになるのかというと、そうとも言えません。それらの言葉が学びの深まりを目指し、題材に本質に食い込むものでなかったら、大量の言葉は意味なく泡と消えるでしょう。

 大切なのは言葉の質です。教師の言葉はどこまでも題材の本質をとらえたものでなければならないし、子どもの学びを促進するものでなければなりません。また、子どもの言葉は、ただ教師の問いに答えるだけのものではなく、自らの考えを惜しみなく発揮して学びの対象に向かうものでなければなりません。

 子どもの言葉のなかで、もっとも大切なのは「対話」です。学びにおいて何を学ぶかという学びの対象は極めて重要です。その学びの対象に子ども一人ひとりが向き合います。そのとき、子どもは、学びの対象と対話し、自分自身と対話します。その内実で学びの深さが決まります。

 けれども、学びにはわからなさや間違いがつきものです。最初からわかっていれば学びは生まれません。学びは、わからなさから生まれるものなのです。つまり、わからなさや間違いは学びを生み出す出発点であったり、学びの途中で出会う大切な分岐点だったりするのです。

 そのような出発点・分岐点から学びを実現していくためにどうしても必要な対話がもう一つあります。それは、仲間との対話です。同じ目的地に向かって歩を進める仲間とどうかかわりどう対話をするか、それは子どもの学びにとってとても重要なことです。なぜなら個別の子どものわからなさ、予測を超えた意味ある気づきはそれぞれの子どもの内に秘められることが多いからです。それは、一人の教師ではとらえきれません。けれども、子ども同士が対話すればすがたを現します。そして、わからなさや気づきが受け止められたり、子どものつながりによって進展したりします。

 言葉によって進められる授業、それは、学びの対象との対話を基盤に仲間と対話しながら一人ひとりが自己と対話する授業です。「対話的学び」を目指す私たちはそう考えなければならないのではないでしょうか。

対話力を育む取組を

 このように、対話力は子どもにとってなくてはならないものです。それは授業において学びが深まるというだけの大切さではありません。これからの時代を生きる子どもにとって、対象と向き合い、仲間ととともに、自分はどうなのかと問い続ける対話的学びは、確かな生きる力となります。それは社会人として生きる何年後にもつながっていくのです。教師の仕事は、子どもたちの未来のために行うものなのですから、授業を「主体的・対話的で深い学び」にしていくことは極めて重要なことです。

 しかし、教える授業から対話的学びに転換することは簡単なことではありません。何の取組もしないで子どもに三つの対話力が育っているわけではないからです。何より大切なのは、学ぶのは子どもなのだから、子どもの考えを知らなければ、そして子どものなかで学びが生み出されていくのを待ち支えなければという教師の自覚です。その自覚が教師に生まれたとき、言葉巧みに教えることよりも、子どもの対話力を育てなければという発想の転換ができるでしょう。

 とは言っても、子どもの対話力を育てるのはたやすいことではありません。どう教えるかは教師の行為ですが、どう対話するかは子どもの行為だからです。しかも、子どもは何人もいて一人ひとりすべて異なります。そのような一人ひとりの対話力が一朝一夕でよくなるわけはありません。時間をかけて、具体的な体験を積み重ねて少しずつ育まなければなりません。

 また、学びの対象との対話をよりよいものにするには、とりあげる題材、とりわけ1時間1時間の課題を対話に耐えうる魅力的なものにしなければなりません。どの子どもにもわかる喜びをということで安易にやさしいことを課題にしてはなりません。子どもは、今はできない、またはとても難しそうだけれどそれがわかるようになったらどんなにいいだろう、そう思ったとき、信じられないほどの意欲と力を出します。もちろん教科書の問題を順にこなすだけの授業にしてもなりません。子どもは、教師の熱意と自分たちへの期待を感じたとき夢中になって学び始めます。それには、教科書を使う使わないにかかわらず、手づくり感のある課題を準備すべきです。

 次号以降、子ども同士が対話しながら学びを深めていく様子を具体的にご覧いただきますが、それらは単に子どもたちに話し合わせたものではありません。どの授業も、仲間との対話力を地道に育ててきてのものだし、取り上げている学びの対象は教師によって深く吟味されたものです。

 新学習指導要領本格実施まで残すところ1年になった今、教える授業から対話的学びへの転換が必須です。それは教師の強い自覚と不断の取組がないとできないことです。今、その自覚が教師たちに求められているのです。

 

Profile
東海国語教育を学ぶ会顧問

石井順治
いしい・じゅんじ 1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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東海国語教育を学ぶ会顧問

1943年生まれ。三重県内の小学校で主に国語教育の実践に取り組み、「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任。四日市市内の小中学校の校長を務め2003年退職。その後は各地の学校を訪問し授業の共同研究を行うとともに、「東海国語教育を学ぶ会」顧問を務め、「授業づくり・学校づくりセミナー」の開催に尽力。著書に、『学びの素顔』(世織書房)、『教師の話し方・聴き方』(ぎょうせい)など。

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