学校改革の新定石
学校改革の新定石 第4回 事案決定システム
学校マネジメント
2019.07.05
学校改革の新定石
第4回 事案決定システム
(『新教育課程ライブラリ Vol.4』2016年4月)
自校では当たり前としていることが、新赴任者にとっては、驚くような内容と受け取られることが多い。私は校長の時に、新赴任者向けに次のようなお知らせを配布した。
多忙を生み出す学校常識
「本校には、職員会議がありません。○○委員会もありません。担当者が提案をまとめ、起案し、主幹→副校長→校長のラインで審議します。決裁されれば、それが決定事項となります。決裁を受けていない文書は、印刷・配布はできません」
私が東村山市立大岱小学校で、この「事案決定システム」を学校経営方針の第一に掲げたのは、何でも「共通理解で決定する」という学校の常識を変えたかったからだ。共通理解が多くなると、どうしても教師同士が集まる機会が多くなる。そのため、教師と子どもとの距離が遠くなるため、様々な弊害が出る。
私が赴任した頃の4月の放課後の実態(次ページの表)をみると、教師が子どもたちと向き合える日は、2日しかない。新学期の初めは、子どもと教師が向き合い、心を通わす大事な時期にもかかわらず、それができなかった。4月は、多忙であると分かっていても、それが学校常識と思い込み、手を打たなかったからだ。「子どもが大事」と多くの教師は言うが、会議の方をとる学校常識がある。こうした学校常識が存在するのはなぜだろう。
ある報告書が、学校の閉鎖的な体質、職員会議や校内内規で校長権限を制約する慣習、一般の常識と乖離した教職員の意識、職階制の形骸化等があることを指摘した。とりわけ、校長権限に関する事項が職員会議の決定に基づき策定された校内の内規により処理されていることを問題視していた。
私は、この問題の解決策の一つとして「事案決定システム」を考案した。教師に職員会議の決定がすべてであるという考え方、文書による意思決定が重要であるという考え方があったので、そこを変えたかったからだ。事案決定は、事案に係る決定案を記載した文書に事案の決定権者が署名し、押印する方式をとった。事案の作成責任者に必要な指示を与えて起案させる方式である。
なお、私が所属した自治体の教育委員会は、同じ時期に新しい職階制度を導入した。それは、教諭、主任教諭、主幹教諭、副校長、校長、統括校長の六つの層だ。事案決定を行うための職層だ。こうした職層ができたため事案決定システムによる決裁が可能となった。
事案決定システムを導入したことにより、校長の方針が伝えやすくなった。だが、いくつかの課題が残った。事案決定のシステムが変わっても、職員会議の回数や長時間の開催が変わらなかったため、子どもに向き合うことができない状態が続いた。企画委員会や職員会議で周知する起案文書の検討のための諸会議等を相変わらず行ってきたことも原因だった。職員会議を行うのは当たり前、共通理解は重要との学校文化も色濃く残っていた。そこで学校外の組織に習い、スピード感のある決裁や会議の回数を減らす等の施策をとることにした。
事案決定システムで校務改善を
従来のシステムは、担当者が提案資料を月1回の委員会へ提出し、そこで検討した文書を企画委員会で審議し、職員会議で共通理解する形式であった。担当者→月1回の各種委員会→企画会議→職員会議というラインである。このシステムは、決定するのに時間がかかった。職員の総意で決定する形式だったからだ。
そこで、校務一役を一人で担当する職員に起案をさせた。作成した起案文書は、「担当者→主任教諭→主幹教諭→副校長→校長」のラインで決裁し、全教師に周知するようにした。審議検討型からワンストップ型の決済フローに切り替えたのである。
この学校独自の事案決定システムの開発により、スピードのある決裁ができた。校長の経営方針も浸透した。これまであった事案決定システムを通さないで提案する文書はなくなった。「校長の経営方針」と強く打ち出すことには勇気も要ったが、時期を逸しないことに徹したことがよかったと思われる。
現在、私の経験をある自治体の学校へ導入している。その学校は、県としての管理運営規則は変えずに事案決定システムを導入した。職員には、会議を減らすための一つの方法であると理解してもらった。当初は、職員から異論も出たが年を追うごとに浸透し、現在では当然のように行われている。
全国には、多くの事案を抱えながら、それぞれに決済までの手間や時間がかかっており、私がかつて悩んだ同じことを感じている校長もいるかもしれない。諸課題が一気に解決できることを経験した者からお伝えしたいことは、この事案決定システムを早急に導入して欲しいということだ。学校でしか通じない常識を、このシステムで変えられるからからだ。
Profile
西留安雄
にしどめ・やすお 東京都東村山市立東萩山小学校長、同大岱小学校長を経て、東京都清瀬市の清瀬富士見幼稚園長。大岱小では校長在任中に当時学力困難校といわれた同校を都内トップ校に育てた。現在、高知県・熊本県など各地の学力向上の指導に当たり、授業・校務の一体改革を唱える。主著に『学びを起こす授業改革』『どの学校でもできる! 学力向上の処方箋』など。